こちらの続編になります。
※主人公が道徳的にあまりよろしくない。

 そもそもこんな些細で平凡、その上自業自得なしょうもない悩みを抱えた学園生活など、彼等、ヒーロー科A組のそれに比べたらちっぽけなものだ。

 出久達が災害救助訓練授業の際に敵の連合に襲われるも返り討ちにした、というニュースはあっという間に学校中に広まった。そして今日、食堂で偶然机が同じになった出久に、事件の話を聞いた。本当は、事件自体はたいして興味なかった。ただ、「無理はしていないか」「怪我はもう完治したのか」という個人的な確認をしたくて声をかけただけだった。ただそれだけだったのに。
 出久の口から出てくる全てが、私にとっては全てが信じ難いものだった。彼がそんな非現実的な事態に巻き込まれていたなんて、言葉で聞いても全く想像がつかなかったのだ。頭の中でそれらが結びついて形を成してくれない。ばらばらのまま、頭の上のあたりで重く漂っている。
 感想を率直に言うと、彼が更に遠くに行ってしまったような気がして空しかった。我ながら勝手な奴だと思う。しかもその上、「よかったら、今日一緒に帰らない?」という控えめな彼の誘いを断って、悲しい顔をさせてしまった。

 その、罰が当たったとでもいうのだろうか?

「いいかテメーら!! そこから動くんじゃねェ!!」

 帰り道で、敵(ヴィラン)と遭遇するだなんて思わなかった。その男は腕をナイフのように鋭利なものに次から次へと変化させては力任せに振り回して周りを牽制している。片腕にはぐったりとした様子の女性が。どうやら意識を失っているらしい。ふと少し視線を下せば、周囲のコンクリートがちらちらと光って見える部分がある。その液体の色はこの状況でなら気持ち悪い程用意に想像できてしまう。数人が腕や足を押さえて必死にその場から逃げようとしているのがその証か。
 いくつか悲鳴がビルとビルの間をいったりきたりしている。よりによって、通路に人が溢れかえる多い夕方の時間のことである。どっと押し寄せ散らばろうとする人の波に体がついていかない。

 ――本当についていない。タイミングが悪い。そんな不謹慎な考えばかりが頭を埋め尽くしていた。しょうがないだろう、咄嗟の時、自己防衛本能が働いてしまうのは普通のことだ。
 ああ、ヒーローならこんな時、自分のことより他人を優先してすぐに駆け出して行って敵に対応するんだろうなと。出久達なら立ち向かっていくんだろうなと、目の前で起きている事実と私の間に空想上の硝子を一枚挟み、他人事のようにそう思った。これだけの騒ぎだ。もう少し、もう少し待てはきっとヒーローが助けに来てくれる。それは分かっていた。
 ただ、敵が人質の首に手をかけた時、私は、思いついてしまった。反射的に、とか衝動的に、とかではなく。ただ「思いついてしまったから」というだけで。それでつい、私は――。

「アハッ」

 弾けるような。炭酸飲料の蓋を空けた時にもれた空気のような、乾いた、短い笑い声がその場に響いた。

「ハハハハハハハハハハハハッ!!」

 男が笑っている。その他の悲鳴をかき消さんとするばかりに声を張り上げて、笑っていた。その様を見てしまった辺りの空気がまた一段階冷えたのを悟る。今まで刃物を振り回していた危険人物がいきなり笑い出したら恐怖以外の何物でもないだろう。それはきっと得体の知れないものに対する恐怖に似たものに違いない。
 私はといえば思いの外恐怖を感じてはいなかった。だって、彼を笑わせているのは私なのだから。
 このままでは更に被害者が出てしまうのは必至だった。ならば、その動きを封じてみたらどうだろうと思いついた。「笑うこと」以外が出来ないほどに、抱腹絶倒させてしまえばいいんだ。そして今、私が思う通りになった。

「ハッハハハハハハハハハハ!!!!!」

 ついに人質となっていた女性がその腕から零れ落ちた。
 やはり今、私の中に恐怖という感情はなかった。ただ純粋に私の個性は、ここまで強大だったのかという驚きでいっぱいである。そして同時に心の内から顔を出してきたのは醜い欲望ばかり。
 もっと、もっと試してみたい。だって自分の力だもの。

「アハハハハハ、ヒィ、ッハハ、ヒィ」

 酸素が足りなくなってきたのか、つっかえそうになりながらも彼はまだ笑い続けている。
 限界を、知りたい。限界を。どこまでいけるのか、私は“どこまでやれるのか”を――。
 知りたいと思う事は罪ではないでしょう?と心の内で許しを請う。そこには誰もいないはずなのに、それなのに誰かが頷いてくれたような心地よさを感じた。

「あれ、お前、みょうじか?」
「……っ!!」

 あまりに、敵だけに視線も意識も集中してしまっていて気付く事が出来なかった。
 この状況で、私よりも落ち着いた異端的な存在がいたことに。

「心操っ……!」

 何でここに、と続けようと思ったその瞬間ーー。ぴたりと、今までその空間を支配していた狂気的な笑い声がぴたりと止んだ。そして私の唇、いや、私の全てが止まっていた。
 最初は、体が異様な程に軽くなったのかと思った。しかしそれは違った。体が動かない。体が、自分のものではなくなっている。ある意味完全に脱力した状態だったのだろうか。自分で力を生み出すことが、何一つとしてできないのである。

「……なぁみょうじ」

 視界が、だんだんとぼやけていく中で彼の声だけが体中に沁み渡るようによく通る。

「笑顔、引きつってんぞ」

 そしてこの日、心操に私の個性がバレた。

*

「心操もヒーローになりたかったんだね。知らなかったよ」
「……勝手に過去形にすんな。別にこれくらいで諦めてないし。少し……前よりは希望持てたし」
「……そうだね」

 体育祭での心操は、私の知っていた心操とは全くの別人のようだった。そして、今隣で机に俯せている彼もまた、それまでとは違っているように見えるから不思議だ。
 体育祭後の教室は、HRも終わったというのにいつも以上に騒がしく、興奮冷めやらぬといった状態であった。普通科はたいして活動はしていないのだが、見ているこちらも緊張とか命の危険とか、感じてしまう程白熱した競技ばかりであったからしょうがないといえばしょうがないのだろう。

「……つーか、俺は以前からずっとそう言ってたよ。クラスの奴等も俺の個性が個性だけに本気にしてなかったみたいだし、みょうじに至っては聞く耳も持ってなかったみたいだけど?」
「ご、ごめんって」

 彼が拗ねている様はとても珍しいものでついその伏せられた顔を凝視してしまった。
 心操は一生懸命やり切った。試合の後のクラスメイト達の言葉を思い出す。きっとこれからは皆彼を応援してくれるだろう。彼は私以上にそれを理解してはいるだろうから、あえて声をかけることはしないけれど。

 そう、心操は一生懸命やり切った。……出久を相手に。
 心操がヒーローになりたかったということよりも、出久の体育祭での活躍ぶりの方が驚いた。敵連合襲撃事件でのことは本人から聞いてはいたが、正直信じ切れていなかった。しかし実際この目で、あの小さくて泣き虫だった出久が勝ち上がっていく様には度肝を抜かれるどころか、心臓を鷲掴みされるような痛みすら感じた。突き付けられたのは私にとってはあまりに鋭利な真実だったのだ。

 私がクラスメイトに個性を隠していたように、出久も私に個性を隠していたんだ。何年も、ずっと、隠されていたんだ。出久はどんな気持ちで私と会っていたんだろう。

「――あ、そういえば、ずっと気になってたんだけど。今聞いていい?」
「一応傷心中の俺でも答えられることならなんでも」
「街で敵が暴れてた時、何で私が個性使ってるって分かったの」
「……」

 あの後、名も知らぬヒーローが駆け付けてくれたので、幸いにもあれ以上負傷者が増えることはなかったようである。そこだけは皮肉かと言わんばかりにタイミングが良かったのが複雑なところだ。

「……それ触れない方がいいやつだと思ってた」
「それと、もしかして私に個性使った?」
「あー……うん」
「やっぱり……。……で、何で私だと?」

 先を促すように彼の机を軽く小突く。洗脳されたことについてはたいして問題ではなかった。そうだろうと仮定はいていたし。それより気になるのはどうしてあれだけ人がいた中で私が個性を使っているのかを見抜いた方法だ。
 しばらくして彼は顔をあげて、その瞼を重たそうに下げている。眠たいの?と聞きたくなるほどであった。それから少し躊躇った様子で頭を掻き、ようやくこちらに視線を向けた時にはいつも通りの芯のある瞳に変わっていた。

「……お前だけだったからな」
「……何が?」
「あの場所で、あの気の狂ったような敵を見て笑ってたの」
「――は?」
「実のところ、半分くらいは勘だよ。みょうじっていつも笑ってるけど、それとは違う感じだったからかな」

 笑ってないよ、と言いかけて止める。ここで心操が嘘をつく意味なんてどこにもない。ならば、それは事実だと受け止めるべきなのだろう。
 それにしても、「いつもと違う」、ってどういう――。そこまで考えて、私は一番知るべきではなかった事実にも気付いてしまった。そうだ。あの時、個性を敵だけに集中して発動させていたんだ。全力で、あの男だけに。
 ならばそれは、自然に零れていたものであったということか。

「あー……そういう……」
「みょうじ?」
「……いや、なんていうか、その……失望したかなと思って」
「……別に」

 大方、私が敵を抑え込んでいたことには違いないから、とか思ってるんだろうな。本当にどこまでもいいやつ。私は今たったいまワタシ自身に絶賛失望中なんだけど。

「それより俺としては嘘を吐かれてた……ってことの方がきついよ。無個性だって」
「……え? そっちなの?」
「そうだよ。だって1ヶ月近くだろ? しかもこんなこともなかったらずっと隠し通すつもりだったんだろお前……。友達だと思ってた奴にずっと騙されてたなんて、普通にショックだよ」
「友達……と、思ってた……?」

 一瞬、心操の言葉の意味を考えていると、違うのかよ、とまた彼が拗ねたように口を尖らせた。

「心操と友達になれてよかった」
「……何で過去形?」
「あ、ごめん。深い意味はないよ。けど、なんていうか……心操でよかったというか、心操には色々と打ち明けることができるなって」

 そう言うと、心操はほんの少し右下へと視線をずらした。1ヶ月程度ではあるが隣にいたからよく分かる。これは照れているのだ。今日は彼のレアな表情をいくつも見れて満腹だ。
 でもごめんけどこれも嘘だよ。だってこの情けない程に醜い感情は誰にも見せてはいけないものだ。墓まで一緒に抱えていくしかないたったひとつのものだ。

「そういうお前はどうなんだ?」
「私?」
「ヒーローだよ。知ってるか? お前みたいに“爆笑”が個性のヒーローだっているんだぜ」
「あぁ……知ってる。ヒーローオタクの幼馴染みに昔聞いたことがあるから」

 でも、どうしようもないよね。生まれもってそうなったものはね。
 また偶然隣にいただけの心操にあてつけのように心の内に浮かぶこの思考回路が嫌いだ。こんな自分が嫌いだ。すまんな少年、と同じ歳である彼にまたも心の内で謝罪する。こんな感じのやつだけどもこれからも彼は私とよろしくしてくれるだろうか。きっと、してくれるんだろうな。心操は心がとても純粋できれいな人だから。私が彼なら、極力関わりを持ちたくないと思うだろう。「友達」と思っていた相手に、ずっと嘘を吐かれていたのだから。
 事実、私はこれから出久とどう接すればいいのか分からなくなってしまった。

「私は、ただ此処が進学にも就職にも有利だったから入っただけだよ」

 私はヒーローになれない。
 でもこれは個性のこと言っている訳じゃない。前にも出久に思い知らされたはずだ。そもそものカテゴリが、私に与えられてた枠の形が、彼等とは違うのだと。個性どうこうではなく、性質の問題。それを、心操を見ていて改めて強く感じた。
 ヒーローと同じ個性だからヒーローになれる可能性があるとか、敵向けの個性だから敵に向いているとかそういうものではない。違う、もっと単純なもの。ようは、心の持ち用。

 心操は私の言葉を若干疑っているようではあったが、しばらく笑顔を張り付けていればそれ以上掘り下げることは断念したようであった。

「あ……俺も聞いていい?」
「ん、何?」
「……俺と緑谷、どっち応援してた?」
「もち、心操に決まってるじゃん。うちのクラスの代表で希望だもん」

 これだけは本当の本当だ。

 心の中の自分と、表面で笑みを浮かべているジブンがだんだんと解離していくのが分かる。家の洗面台の鏡で見る私と、学校のトイレの鏡で見るワタシが違う顔をしていることにだって気付いていた。本当にこんな冗談は止めてほしい。これぞまさにキリングジョーク。蝙蝠と化学工場にだけは絶対近寄らないようにしようと固く胸に誓った。

SMILE!

 その日帰り道で会った出久はやはり私より大きかった。周りの景色が変わっていく中で、擬態する虫のように表面を変えてきた。けれど昔も今も、私の本質は何も変わってはいやしないのだと、認めてしまえば随分と息もしやすくなったものだ。

「なまえちゃんの個性は人を幸せにできるから、ヒーローにだってなれるよ! 僕、そういうヒーロー知ってるんだ」
 幼い声が遠くで聞こえる。皆、どこか苦しそうに笑うのに。あれを笑顔と言って良いのだろうか。