こちらの続編になります。

「……背ぇ高いよね」
「は?」
「男の子って感じするわ。うん、男の子すごい……。……けどそれがすぐ隣にいるとなると威圧感もすごいもんだね」
「……悪いが我慢してくれよ。こればっかりはどうしようもないんだから」

 そうだね、どうしようもないよね。生まれもってそうなったものはね。たまたま隣にいただけの名も知らぬ少年にあてつけのように心の内に浮かぶこの思考回路が嫌いだ。こんな自分が嫌いだ。すまんな少年、と同じ歳である彼に心の内で謝罪する。こんな感じのやつだけどもこれから3年間よろしくな。私が彼なら、心の中でこんなことばっか考えてる奴と絶対よろしくしたくないわって思う。素直~。

*

 憧れだった雄英高校に入学できた。わーい。ヒーロー科は流石に無理だったけど、クソ高い倍率を越えて普通科に入れたんだーわーいこれで将来安泰だ~。なんて調子に乗っていた昨日までの自分を殴ってやりたい。

 幼馴染みである出久が雄英高校のヒーロー科を受験する、という話は少し前から私も知っていた。その為に彼が何かしら努力していたことも、うっすらとだが察してはいた。彼が見事にヒーロー科に合格したという、耳を疑うような情報は、「ご近所」という縦横無尽に張り巡らされたネットワークによって唐突に知ることとなった。雄英高校の知名度の高さと評判の良さはもちろんだが、そんな学校に、あの緑谷さんちの出久くんが、という事実はこの狭いネットワークの中ではビックニュースに他ならない。それほどの衝撃。同じくヒーロー科に合格した爆豪よりも、出久の方が大々的に取り上げられていたのには流石に驚いたが。
 けれども私はそのことをうまく飲み込めずにいた。というよりも、飲み込んでしまうことを体が、心が拒否していたというべきだろうか。正直なところ、伝言ゲームの失敗説や私以外の人間が全員集団洗脳されている説など、確率としては1%にも満たない期待と空想に、「立派な事実になれよ~」と心の中で水を遣っていたりもした。これぞ無駄な努力。俗悪な行為。存外、「いい子」だと思っていた自分も人並みかそれ以上に性格が悪いことを数年前に自覚してからは、それ以前と比べれば多少息がしやすくなったように思う。開き直りにも程があるけれど、皆そういうものなんじゃないだろうか。本当に心が一片の染みもなく綺麗な人なんて、きっといない。
 勿論そんな風に考えていたことは誰にも言ってはいない。私はこの個性のおかげで八方美人を発揮できているし、頑張って築いてきた多くの関係性を揺らがせるようなことは極力したくなかった。(学校で個性を使うのは原則禁止されてはいたが、どうせ使ってもバレないような地味な個性だ。現に中学三年間でも一度も先生にバレたことはない。いやもしかしたら何度かはバレていたのかもはしれないが、バレたところで人に害をなすようなものではないと向こうも私も理解していた。)仮にもし心の内を誰かに打ち明けたとしたら、人の幸せを祝ってやれない、心の狭い最低な奴だと思われるのは目に見えている。
 けれど違うのだ。どんなに捻れていたって人の幸せは私も嬉しい。けれど今回はただの「人」ではなく「出久」だった。そこが違う。とても大きな違いだ。

 今朝、数時間前に会った出久は、私の知っている出久とはまるで別人のようだった。
 彼を前にして色々と思ったことはあるが、あまりの衝撃でか、それとも自己防衛本能からか、大半はもう忘れてしまった。なんとなく覚えているのは、ただ「あぁ、やっぱり出久も男の子だなぁ」なんていう、しょうもない感想で。それから、それから。

「私、なんのためにこんなに頑張って、走って、そしてなんでここにいるんだっけ」。

 そして今、記憶喪失になった人間の気分でこの席に座っているワタシは誰だ?
 唯一、この頭が理解できていることといえば、出久はなにも悪くないという事実だけだ。

*

 ため息を吐くという簡単な動作すらも億劫になり、ただ「この思考を一旦どっかに置こう」と視線を再び隣の少年に戻す。
 隣の席の彼は、クラスの男子の中でも背が高い方らしい。そのせいか席に着いた状態でもぴょこり、と彼の頭が他の皆より飛び出している。はじめての教室に緊張しているのか、どこかぎこちない様子と相俟ってシュールな笑いを誘う姿だった。そして目の下の隈もすごい。雄英に通えるのが嬉しすぎて昨日は眠れなかったのだろうか?
 今日の日程は全て終わっていたが、帰ろうと言う気が起きなかった。配られたばかりの教科書をいくつかぺらぺらと捲っている彼もまた、まだしばらくは帰るつもりがないらしい。普通科といえども超難問の雄英に合格するくらいだ。彼もまた勉強熱心なのだろう。
 じっと見つめていたから、何かを感じたのか。ふ、と彼が顔を上げた際に目が合ってしまった。彼の眉間に皺が寄る。困惑の表情だ。互いに気まずい空気になってしまい、そこでようやく若干の罪悪感が生まれた。もちろんやましい気持ちはひとつもなかったが、特に理由もない。焦るな、笑っとけばなんとかなる、と自分に言聞かせつつ、言い訳をどうしようかと足りない頭で考えていると、「……帰らないの?」と至極真っ当な言葉が振ってきた。

「えっと……なんとなく」
「なんとなく……」
「せっかくだし、クラスメイトと交流を深めようと思って……?」
「疑問系……。にしたってそれを言わない方向でもっと自然にできないの。なんか……さっきから人のこと見てるだけじゃん。背、高いね、とか……ただの感想だし。悪いとは言わないけど……ああ、いや」

 俺もコミュニケーションに置いては人のこと言えないか。と、軽い口ぶりで彼は続けた。その割にはめっちゃ喋るなお前。こっちから話しかけといてなんだけど、予想外だよ。と、思っていたら口に出てしまっていたらしい。

「喋るね」
「また感想か……」
「あはは、ごめんごめん。なんか、まぁ色々あって。……まだ実感わかないというかなんというか……ちょっとぼーっとしてた」
「あー、まぁ。その気持ちはなんとなく分かる」

 はっきりとしない物言いで彼は頷いた。それから少しだけ彼と目が合ったまま無言状態が続いた。

「お前さ……個性、何なの?」

 そしてまたその沈黙を破ったのは向こうの方だった。

「え、なにいきなり。私に聞いてる?」
「いやお前に以外に誰がいると……別に、個性を聞くことは珍しくもなんともないだろ。新学期の定番っていうか……」

 だとしても名前よりも先に個性を聞くのは失礼にも程が……。「ん?」とここで頭を捻る。そういえば朝来て最初に顔合わせた時にお互い自己紹介をしたのだった。すっかり忘れていた。思い返せば出久と会ってからの通学路の記憶も薄いし、どれだけショックだったんだよ、と自嘲するような笑いが漏れた。
名前なんだったけ、とさりげなく視線を落とすと、彼の教科書の表紙に書かれた四角い文字が目に止まった。心操。字面で見ると尚更珍しいと感じる名前だ。一回で覚えられなかったのも納得できる。読み方は確か、しんそう、だったか。

「んー……実のところ、私、無個性なんだよね」

 “無個性”。その三文字を口にした瞬間にいくつかの視線がこちらに向けられたのが分かった。そこでようやく、私達以外にも数人のクラスメイトがまだ教室に残っていることに気付いた。
 へぇ、目の前の心操くんはただ下顎を下げただけの至極単純な動作で私の言葉を受け入れた。

「雄英の倍率高いのに、すごいな。どれだけ努力したんだ、お前。いやそれ以上に……」
「……努力?」
「ああ、ごめん。これは決して嫌みなんかじゃなくて本当にすごいなって。…………名前何だっけ」
「あははぁ、忘れてたんか。私もさっきまで忘れてたし別にいいけど。みょうじ、みょうじなまえ」
「みょうじね。ってかお前も忘れてたの」

 彼が目を細めると、その下にある隈の存在が更に際立った。

「……そういう心操くんの個性はなんなの」
「あー……これ、言うと……敵(ヴィラン)向きだっていつも言われるんだけど」
「敵向き?」

 心操は頭を掻いて、うっすらと笑みを浮かべた。いや、確かに口角はゆるりと上がり曲線を描いてはいたが、目がひとつも笑ってはいなかった。私には分かる、これは作り物の笑顔だと。

「……洗脳」

 ふぅん、とたいして顎も動かさずに私は彼の言葉を聞き流した。

*

 またやってしまった。という感情が私の内側を埋め尽くしていた。それは後悔というよりも単純な焦り。
――詳細は省くが、私は同じことを中学でもやらかしていた。

 なんであんな嘘を吐いたのか、今でもあの時の自分が何を考えていたのか分からない。自分の口が本当に自分のものであったのか疑う程に、それはするりと唇の隙間から抜け出したのだ。その上、情けなく笑っていたように思う。異様な感覚だった。流石に三年も前のことで記憶は曖昧だが、おそらく中学の時もこんな呆気ないものであったに違いない。
 中学の時は、あまりに「個性の欠片」も感じられなかった私に対し、クラスメイトが「もしかしてみょうじって無個性?」と聞いてきたのを、なんとなく肯定してしまったのがはじまりだった。正確には個性はいつだって使っていたのだが、単純に気付かれなかったのだと思われる。また、私が通っていたのが比較的学力重視の超エリート中学であったことと、基本的に育ちが良い人間が集まっていたのもあって、たまに見下すような視線を感じることはあっても、いじめられるようなことは決してなかった。むしろ、小学生の頃よりも幾分か生きやすい環境であったと記憶する。
 もしかすると今回も、それを求めての咄嗟の行動だったのかもしれない。ジブンのことなのに「かもしれない」というのはオカシな話だが。

 あっという間に私が無個性だという「嘘」はクラス中に広がった。というか入学して二日目で完全に周知されていた時は逆に面白かった。突き刺さるいくつもの感情を混ぜた視線に、「懐かしい」と検討違いな感想が浮かんだ。そして中学の時にも思った「出久もこんな感じだったのだろうか?」という疑問。考えるだけ無駄なことだ。私に出久の気持ちは一生分からないし、逆もまた然りだと思い知らされたばかりであったというのに。
 これは後から聞いた話だが、その時すでにクラスLINEなるものがほぼ完成してしまっていたらしい。私はその大事な一日目に心操としか話していなかったからか、完全にスタートダッシュが遅れていたようだ。(ちなみに心操もクラスLINEの存在を知らなかった。)

 学校側には当然、全ての生徒の個性が把握されているだろうから、すぐにバレる嘘であることは明白である。それもあって、まぁ本当のことを言っても言わなくても大差ないでしょ、と軽く考えていた。更にいうとここは雄英だし、と。
 そう、当時はたいして気に留めてもいなかったのだ。

 が、幸か不幸か、ヒーロー科では実施されたという「個性把握テスト」などと言ったものは、この普通科では行われなかった。そして個性を積極的に使うような授業もなかった。普通に入学式があり、普通に自己紹介タイムがあり……教師が現役ヒーローであるという点を除いては、普通の高校と大差ないスケジュール。授業の質についてはおそらく他の高校の普通科よりもレベルの高いものではあるけれど、普通科は普通科。勉強が第一で個性を伸ばすような授業は今後も皆無と思われる。
 そのため、入学してからもう1ヶ月近く経つというのに、周囲は私のことを「無個性」であると思い込んだままだった。それは私が八方美人パワーを振りかざしてクラスLINEをゲットした、今も変わらず。(ちなみに心操は未だにクラスLINEに追加されていない。私が追加しようと思ったら嫌がったのでそのまま放置している。)

「――やばいな?」

 完全に言うタイミング失ったやん。どないしよ。なんて聞く人によっては怒られそうな拙い似非方言を脳内で繰り広げる。
 正直、中学のように騙し通せるならそれでもいいと思っていた。その方が「楽」だし、とジブン勝手に。けれど今回のクラスメイトはなんというか……中学の時とはまた違って「いい子」達ばっかりなのだ。私がクラス唯一の無個性であることを気にしていると思い込んでいるのか、とても気を遣ってくれるのである。しかもその気の遣い方が「私の前では個性の話をしない」というこのご時世でなかなか難易度の高いやつだった。おかげで先生の耳にも入らない。それが個人的に困る。ここまで考えといて改めて思うけど私ドクズじゃねーか。知ってた。知ってた上でどうもこうもしてないあたりが真性である。
 中学の時は別に隠していても問題はなかったし、周りには無害だった。だから私も気にしていなかった。しかし今回は違う。爆豪と同じレベルで図太いと言われた私でも流石に申し訳なさMAXなんですけど。
 これだけ気を遣ってくれてたのに、本当は違うだなんて言ったらボコボコにされるの通り越して秒で嫌われてしまうのではないだろうか?嘘つきのレッテルを貼られるのは間違いない。(事実だし。)
 更に困るのが、本当のことを言ったところで微妙な反応されること必死の個性だということである。ええ……なんで隠してたの意味不明なんだけどいや私も意味不明なんだよねアッハッハとなるのは目に見えてる。せめてもっとこう……隠すべき理由が通るような強力だったり特殊だったりする個性なら告白しても――いやそもそもそんな能力を持っていたら私はここにはいないのだ。たらればの話をしてもしょうがない。
 はぁあと、盛大なため息を吐くと、それまで隣で静かに課題をやっていた心操が顔を上げた。

「……なに、悩み事?」
「え? ああ、心操か……私に聞いてるの?」

 呼び捨てすることにもすっかり慣れてしまったその名を呼ぶ。すると彼は、「いや、だからお前以外に誰がいるんだよ」と呆れたと言わんばかりの声色で続けた。彼は変なところで急に目敏くなる。
 いつのまにか心操とは冗談を言い合……というか一方的に投げつけては叩き落されるくらいの関係になっていたが、こうして話すのは決まって放課後だった。別にそういう風に図った訳ではなく、休憩時間や昼食の時にはそれぞれ友人のところへ行くのでそもそも席にいないというだけである。

「いやぁ、悩み事っていうか……友人関係かな」

 まぁ絶賛悩んでるっちゃ悩んでるよね~。目の前の君にもめちゃくちゃ関係あることだけどな。などと正直に言う気にもなれなかったので適当にはぐらかすことにしたが、ぶっちゃけ間違ったことは何ひとつ言ってないね。偉いね。偉いか?

「――意外だな」
「何が?」
「みょうじって友達いたんだなって」
「お、喧嘩か? 言っとくけど私、昔は近所のガキ大将と互角にやり合ってたくらいの暴れん坊プリンセスだったからね?」

 シチリアの赤いオレンジジュース~などと私が脳内で歌っていると、「基準がよく分からない」と彼は眉を顰めつつぼやいた。
 基準が分からないって?じゃあ教えてあげよう。実は……その近所のガキ大将っていうのが今この学校で色んな意味で有名な爆豪克己くんなんですよ!な、なんだってー!……互角というのは多少語弊があるが、そこは置いといて。(今思い返すと本当によく死ななかったなと思う。)それを彼に言うと確実にもっとややこしいことになるだろうことは必至なので、あはは、と適当な笑いで流した。

「そうじゃなくて……。あー……みょうじのことを友達だと思ってる奴はたくさんいると思うけどさ、みょうじが友達だと思ってる人間はいないと思ってたんだよ」
「……私、頭悪いから心操が言ってることよく分かんないんだけど」
「嘘つけ、俺より座学の成績いいだろ」
「ちょっと待って、心操にテストの点数見せたことないよね?」
「隣だから見えた。数学は俺の方が上だった」
「見えたじゃねーよ馬鹿野郎」
「……みょうじって時々口悪いよな。プリンセスはともかく暴れてたんだろうなってのはよくよく考えれば納得」

 そうさせてるのはどこの誰かな?と漫画なら怒りマークを顔にベチッと貼付けているところだが、そうはならないのは私の個性のすごいところよ。我慢強いとよく言われるが、単純に相手とこれからも続くであろうその先の関係も見据えれば、マジにキレるべきところなんて殆どないように思うのだ。特に彼はクラスメイトの中でも比較的話しやすいタイプ、私に近しいタイプだと勝手に思っている。あとプリンセスはともかくの「ともかく」のところもっと詳しく。

「まぁ、なんか協力できることがあったら言ってよ。俺の個性でできるようなことならなんでもしてられるから」

 心操はにたりと笑みを浮かべたが、そこに自嘲的な意味が含まれていることはよく理解できた。こういうところだろうなぁ、私と近いのは。

「とんだブラックジョークだね」
「笑える?」
「微妙」
「おっと、それは残念だ」

 言う割に残念そうではないところが彼の狡いところである。

「それにね、心操に頼るようなことがあっても心操そのものに頼るからいいよ」
「みょうじのそういう口先だけの優しさ、嫌いじゃないけど」
「嘘つき」
「お互い様だろ」

 にたにたと世界を嘲るように二人で笑う。

 放課後。学校と家の狭間。この僅かな時間が私にとってのハーフタイム、唯一の癒しだった。今このとき、私達は二人で同じぬるま湯に浸かっているのだと思えた。そう思っていた。けれどそれは私ひとりだけだったのだと後に思い知らされる。世界を本当に世界を嫌っていたのは私だけだったし、本当に笑っていたのは彼だけだった。

SMILE!