《P.D.309.01.03》

 何故こんなことになったのか。思い返してみても、まだ夢のようにぼんやりとした不確かな記憶だ。むしろ夢であってほしかったというのが、正直なところである。

「女……? しかもまだ子供じゃないか」

 優しい、耳をくすぐるような低い声。その時の私の体の状がどんなものであったかなど分からないし、ヘルメットをつけていたため、すこしぼけて聞こえていたもの確かだ。

「お、とうさん……?」

 けれど、とても「懐かしい」と感じる声だったのは間違いなくて。
 力無く声を搾り出して、ゆっくりと目を開く。そうしてすぐに「ああ、違う」と理解した。声は確かに似ていたが、確定的に父とは違う人間であると理解した。私の言葉に、大きく目を見開いた彼の瞳の色は――私と同じ。忌まわしくも愛しい、あの星の色そのものであったから。

 

*

 

 灰色の、コンテナの中のように簡素な作りをした部屋の中で、私は確かに生きていた。

 極限まで酸素の少なくなったコックピットの中、気を失う直前の記憶は朧げで――。いや、暗闇の中であったことは間違いようもない事実であり、「朧げ」という表現はおかしいのかもしれない。気を失う直前も、その直後もきっと、ただ闇だけがそこにあったのだろう。
 どれくらいの間、気を失っていたのか。自らの肉体の状態はどの程度のものなのか。連邦に所属する艦であるのか、わたしこれからどうなるのか。漠然とした不安と疑問がぽつぽつと脳裏を埋め尽くしていく様を、まるで窓の外に降る雨のように他人事で見つめていた。本物の雨など、見た事もないけれど。

 

「ようやく落ち着いたようだな。全く……意識が戻ったと思った途端に暴れ出して、どうなることかと思ったが」

 目が覚めて最初にあった年配の男は、その白衣のような衣服から察するにこの艦に常駐する医師であるようだ。「もう少し発見が遅ければ、血液中の酸素すらもなくなり窒息死していたところだった」と、抑揚のない声で恐ろしいことを告げた彼を、定まらない視点でぼんやりと見上げていたのを覚えている。

 青みがかった灰色の天井。見覚えのない白く質素な服。体の至る所に繋がれた名前も知らない医療機器の数々。酸素の通う、重力調整された部屋。私を照らす無数の光。随分と長い間暗闇の、宇宙に無の中にいたせいで、何もかもが眩しく目が眩む。落ち着ける要素など何ひとつとしてなかった。もしかすると、その時既に私の体は、脳は感じ取っていたのかもしれない。「ここは違う」と。
 徐に腕をあげる。その動作が随分と久しぶりに感じて、また、身体的なだるさも伴って、自分の腕がいつも以上に重く感じた。

「薬が効いているだろうから、まだしばらくは安静に。……君の今後の措置については艦長と相談するが、それまでは監視体制をとらせてもらう」

 起き上がろうとした私を、彼は言葉で制止した。とても冷たい声だった。
 そのまま私の視界から立ち去ろうとした男に、待て、と言いたくて口を開く。しかし上手く言葉が出ない。声を出すという呼吸レベルの単純な動作にすら拭いきれない違和感を感じるのは、余程ブランクがあるからなのか。どれくらい眠っていたのだろう。それとも何かしらの「薬」のせいなのかもしれないが、今の状況ではそれを判断することなど不可能だった。どうしようもない焦燥感が波のように押し寄せて、勢いのまま「あっあっ」と、まるで喘ぐように、息継ぎをするかのように声を連ねた。
 そこでようやく男の足が止まる。振り返り、何事か、と眉を顰めてこちらを射抜く。

「……じ」
「どうした」

「――ジオンは……まけ、ましたか」

 震えて掠れた声は、自分のものであるとは到底思えなかった。訝しげにこちらを見下ろすその姿が、じわりと歪んだ。

 

*

 

「お前も奇妙なものを拾ったな」

 ここにはいない存在に、思いを馳せつつひとり呟く。窓の外に見える宇宙は、何時もと変わらずどこまでも黒く澄んでいる。はじめて宇宙を見た時は綺麗だと感じたものだが、その奥深さは人間が到底知り得ることもできないものであると再び思い知らされた気分だ。人間は未知なるものに惹かれる。そしてまた、恐怖も抱くのだ。

「けれどもあれもひとつの命だ。……見つけてしまったからには保護せねばなるまい」

 塗りつぶされたような黒い空。その中を流れていく幾億もの塵を眺めて目を細めた。
 この艦隊の専属医師である男は、「宇宙を漂っていた少女」のおおまかな健康状態を説明したのち、ふぅ、と大きなため息をついた。最初にベッドで目を冷ました時、パニックに陥った彼女が暴れていたとも聞く、彼の苦労はその様を直接見ていない私では計り知れないのだろう。

「ヒューマンデブリでしょうか? 近頃、海賊団共がヒューマンデブリによるMS部隊を編成しているという話をよく耳にしますし……」
「ふむ……そうかもしれんな……」
「しかし、奇妙な点もいくつかあるのです」

 と、それまで黙って後ろに控えていた整備士が口を開いた。

「まず、彼女が載っていた機体の所属についですが、その構造、装甲材質、サイズ……どれをとってもギャラルホルンの所有するデーターにすら無い機体です」
「ほう、それは興味深いな」
「また、現在調査中ではありますがビーム兵器のようなものも搭載しているようでありました」
「ビーム兵器?」

 厄災戦以降、ナノラミネートアーマーが普及し、その需要はゼロに近しい程無くなったはずだが。

「何より――動力がエイハブ・リアクター ではなく、核融合炉……のようなものを使用しているようで」
「……エイハブ・リアクターではない?」
「……あんな子供が何故あのような機体に……。……ボードウィン卿?」

 僅かばかりの興奮を含んだ声で語る整備士の言葉が、どこか遠いもののように感じる。彼にとって重要視されるべきは「あのような機体」であることはよく理解できる。誰でも、そちらに焦点がいくだろう。けれど何故か今の私には「あんな子供」のことが無性に気になって仕方がなかった。
 「父さん」、という小さな声が私の耳にこびりついて離れない。私の頭の中で、まだ幼い娘の姿が揺れる。
 未知のMSに搭乗していた少女とは一度しか目を合わせてはいないが、おそらく14、15くらいの歳だろう。アルミリアとは歳も離れている。なのに何故その姿が重なってしまうのだろうか。
 「父さん」。あの言葉のせいだ。やはりどうしてもあの言葉が私の耳に、頭に、はりついて剥がれない。

 あれは、呪いだったのか。魔法だったのか。