《U.C.0089.5.13》

 何故だか時折思い出す横顔がある。そして芋蔓式に、青い瞳と柔らかい輪郭、きつく結ばれた唇がまるでそこにいるかのように瞼の裏に鮮明に映るのだ。あれが私にとっての初恋であったのかもしれないし、そうでなかったのかもしれない。そもそも、思い出されるのは夢のように不確かな情報だ。顔立ちやその体つきも、私の都合の良いように隙間を補填している可能性だってある。けれど戦時中のめまぐるしい記憶の中で、彼女が纏った不思議な感覚を恋などというものに錯覚してしまっているのも、しかたのないことだった。

 

 当時は、戦争も終盤。ベテランパイロット達は幾度となく続いた戦闘で次々と命を落とし、とにかく人手が足りなかった。そこでギレン総帥は学徒動員の年齢制限を急遽緩和し、まだ幼い兵を募ったのだ。彼の演説に奮い立たされた少年少女は数えきれない程であっただろう、勿論、私もその内の一人であった。もし、一年戦争があの日で終わっていなかったなら。ゆくゆくは徴兵令が出されていただろうというのは、多くの先人達も口にしている。それ程に、連邦とジオンの戦力差は明確であった。あそこまで連邦を追いつめることが出来たのは、やはりMSとソーラ・レイの存在が大きいだろう。
 なまえも学徒兵の一人で、私と同じア・バオア・クー“第224MS小隊”に所属していた。ほとんどが男のその集団の中で、まだまだ思春期真っ盛りであった私たちにとっては、女子は何をしていても目に入る。孤立していた彼女は、一際目立つというよりは、明らかに“浮いていた”。その隣にいたのはイワンという少年で、私の親友であったアルバートとも仲が良かった。親友の友人の友人。文字にすると奇妙だが、確かに彼女とはそれ以上でもそれ以下でもない言葉通りの関係で、当時はそれを気にも留めていなかった。
 初めて会話した時に聞いたのは、学徒兵に志願した理由であった。「父親の仇をとるため」と、その顔に似合わない言葉が出てきて大層驚いたのを覚えている。きゅっと上がった眉が彼女の第一印象を決定付けた。そのときは単純に気の強い女なんだな、と思っていた。
 しかし、彼女はある時から何かに怯えるように顔を伏せ、口数が少なくなって言った。その様子を私ですら不思議に思う程であったから、親友であるイワンは誰よりも心配していたのだと思う。
 自分がもう大人になってしまったからなのか、やはり継ぎ接ぎの仮の存在であるからか、あの頃直に見ていた彼女と、思い起こす記憶の中の彼女は随分と違う人間に思える。彼女は、本当は誰よりも弱かったのかもしれない。今ではなんとなく分かるのだ。きっと、なまえは気付いていたのだろう。この戦いの虚しさに、大人達の思惑に、ゲルググ隊の価値に――。女性だから、というのが関係があるかどうかは差し引いても、彼女は感受性が豊かで実に分かりやすい人間だった。しかしそれを決して自分から表に出そうとはしなかったのだ。同じ、学徒であり、ゲルググ乗りの私達には。

 

 戦場に出て後悔した。気を紛らわすためとはいえ、ふざけてつけた効果音が、リアルな砲撃や光線と共にあちらこちらを飛び回る、その異様さに。間抜けな音がしていても、その攻撃によって誰かがすぐ近くで死んでいるという、そのギャップ。そうなることくらいが推測できていたはずなのに、しかし実際目の前にすると、当然笑えるはずもなかった。
 最初にその音を聞いたのはアルバートだった。慌てて彼の機体の近くまで移動すると、モニター上にひとつの点が現れる。私達は息を呑んだ。その音は確かに、鳴るはずのない音だったし、だからこそ、「それが本物なのか」確かめたい気持ちが沸いてくる。その好奇心を抑えることができなかったのだろう彼は、「様子を見てくる」と一言残して岩場から飛び立っていった。そして私も彼を止めることができなかった。

 アルバートは、「母さん」と叫びながら死んだ。あの声を忘れることは一生ないだろう。

 親友を惜しむよりもまず先に「増援を」という、恐怖に直結したシンプルな考えが私の頭を働かせていた。そこで初めて、センサーに映る味方機の個体識別反応により、友人イワンの乗るザクⅡとなまえの乗るゲルググもその場にいたことに気付いたのである。
 最初に狙われたのはイワンだった。コクピット付近を撃たれたザクⅡは、瞬きをした次の瞬間には光を放ち、小さな太陽のように赤く燃えながら爆破した。その爆発に巻き込まれたのは隣にいたゲルググーーなまえであった。
 しかし、そこで奇妙な光景を私は見たのだ。遠目で見たので定かではないが、でもあれは夢などではない。光に飲み込まれていくゲルググが、誘爆する訳でも吹き飛ばされる訳でもなく、爆心地に近いその場所でただ佇んでいた、ように見えた。そして広がりゆく光の暴力をものともせず、むしろそれに溶け込むようにしてゲルググは消えた。残ったのは、周りに漂う最早もとの形も分からない破片だけ。

 ――そして次いで私も白い悪魔と対峙する。

 銃口を向けられていると気付いた時はもうこの世の終わりとしか思えなかった。絶望という感情が身に沁み渡る暇もなく、ただ咄嗟に体を守るように手を前に出して、ぎゅっと目を瞑った。暗闇の中で感じた強い衝撃で頭をコックピットに打ち付けたが意識はあった。至近距離でありながら間一髪、ビームライフルはコックピット僅かに逸れて、機体の片腕を吹き飛ばされるだけで済んだ。私のゲルググは奇跡的に誘爆することもなかったため、コックピット内に被害は出なかったのである。思えばあの時ガンダムは、私よりも「何か他のもの」を追っているような様子で――半壊ながらもまだ動く余地のあった私にトドメをさすこともなく、弾幕の中を駆け抜けていった。そうして私は生き延びた。しかしこれは、ただ運が良かっただけに過ぎない。それ以外の要因が見つからない。あの時のことを今でも夢に見る夜がある。それ程に、奴は異常な存在だった。
 そして幸か不幸か、ゲルググと共に呆然と宇宙を彷徨っていた私は、撤退中であったエギーユ・デラーズ大佐率いる戦艦「グワデン」に拾われることとなり、一命を取り留めた。そして「グワデン」は艦隊を率いて、Sフィールドを――落ちるア・バオア・クーを背に戦線を離脱した。
 それは皮肉にもひとつの争いの終わりなどでではなく、ひとつの争いのはじまりに過ぎなかった。いや、ひとつではない。それから起こるいくつもの争いのはじまりで、私は流されるがまま、途方も無い運命に巻き込まれていった。そうして残ったのは、ただ空しい記憶だけ。
 

 アルバートは死んだ。宇宙を漂う彼の遺品を拾う暇もなかったのがただ悔しい。彼の母親に合わせる顔もなかった。あそこで死んでしまえば、全てが闇に葬りさられてしまうのだと痛感した。
 イワンも死んだ。アルバートよりも激しく、四散する機体をこの目で見た。その後には塵ひとつ残らなかった。
 しかし、なまえは違う。彼女は“消えた”。この話をする度、それは夢だと、見間違いだと殆どの人間から諭される。それでも私はそう思わざるを得ないのだ。あの日見たものはどれも間違いなどではなく、どうしようもないほどに全てが真実で、全てがこの瞳に焼き付いている。私は今でも時々思うのだ。

 彼女は、今もこの宇宙のどこかを漂っているのではないかと。

 

 

「一年戦争」と呼ばれるその争いで、ジオン公国は連邦に敗北する。
ア・バオア・クーに参加したジオン公国の学徒兵の数は6万人にも上ると言われているが、その8割が今も帰還していない。
コルバト・ストルツはア・バオア・クーでの戦闘から奇しくも生き残り、エギーユ・デラーズ大佐率いる戦艦とともに戦線を離脱した。
その後の彼はデラーズ・フリートにMSパイロットとして参加。更にはアクシズの地球圏調査チーム、エゥーゴの諜報員などの立場で活躍した。後に連邦軍に移籍したが、U.C.0088に退役。以降はジオン共和国にて戦史作家として活動を続けている。
「生き残ってしまったからこそ、戦いに翻弄され続ける運命だった」と、彼は語る。