《P.D.000.00.00》

 その後、私達はゆっくりと後退していきながら、弾幕を抜けてくる敵機を迎え撃った。初めての格闘戦もした。ゲルググにはビーム・ナギナタという最新鋭のビーム武器が備え付けられていた。通常のビームサーベルとは異なり、中央の発振器の両側から刃の形状をしたビームが放出されるようになっている。それをただひたすらに振り回して敵を斬った。
 ア・バオア・クーの防衛戦まで戻ってくると、元々配備されていた隊にくわえ、大勢のザクやゲルググが集まっていた。その機体の様子はとても見れたものではない。おそらく、彼らも私達と似た理由で戻ってきた学徒兵達なのだろう。
 途中、本部からの指令が数分途絶えるなどのアクシデントもあったがなんとか乗り切った。本来であればそれは異常な事態であるはずなのに、初陣である私には目の前にある全てがどれも異常でしかなく――精神的にも硬直しており、ただ言われた通りにするので精いっぱいだったことも重なって――それに疑問や反感を抱くような余地はなかったのだ。

 ふとデジタル時計に目をやると、「10:23」の文字の並び。戦闘開始からほぼ半日が経っていた。訓練のように休憩の時間をとれるはずもなく、戦闘慣れしていない学徒たる私達は、精神的にも体力的にも疲弊しきっていた。

 その時であった。

 ぴかりと、頭の中で光が弾けた。続いてぞわっと、背中を何かが這い回るような悪寒が私を襲う。しかしおかしなことにレーダーの数値に異常はない。では、この「ブブブ」という音すら聞こえてくる程の振動はどこから来ているのか? こんなにも具体的に、嫌な予感というものを感じたのは生まれて初めてであった。
 それから少し遅れて、コクピット内にもけたたましいアラートが鳴り響く。敵兵をセンサーで捉えた合図である。しかし聞き覚えのない奇妙なその音に、それがジムやボールではないことをすぐに悟った。

「な、に……この音……」

 狼狽える私に続いて、こくり、とイワンが息を呑む音が聞こえた。

「あ、ああ……こ、これは……」
「イワン、この音は何? 聞いたこともない音がする……コルバドの奴、人の機体弄っといて設定ちゃんと元に戻さなかったの?」
「……違う、違うんだ。なまえ」

 尋常ではない彼の脅えようが私にはよく理解が出来なかった。分かるのは、敵が一機、異常な速さでこちらに向かってきているということのみ。

「ああ、嘘だろ。この音は……この音は……どうせ、鳴らないだろうって言って、あ、ああ……!」
「イワン?」

「これは、鳴っちゃいけない音なんだよォ!!」

 彼が常日頃から穏やかな人であることをよく知っていたからこそ、ただ勢いだけでひねり出したような叫び声に私は耳を疑った。
 再び、頭の中で何かが煌めいた。レーダーを確認するよりも先に、眼球の方が先に動き……白い装甲を、視界にとらえた。“嫌な予感”が形を持って駆けてきたのだ。そうして瞬時に理解する。イワンの恐怖を、その音の意味を。

 ああ、あれは――。

 

「ガンダム……!!」

 

 『連邦の白い悪魔』。ガンダムが暗い宇宙を滑るようにして向かってくる。ザクもドムも、ゲルググも――彼を遮るものは、ただの障害物とでもいわんばかりに造作もなく薙ぎ払われていく。間近で起こるいくつもの爆発に、機体が震えた。
 それは右方から突如現れたザクⅡも例外ではない。無防備にもガンダムの前に“現れてしまった”そのザクは、ガンダムに向けて“訓練通りの完璧な手順”でライフルを構える。パイロットの焦燥と恐怖が機体ごしにも伝わってくるような、あまりにも拙い動作。その、マニュアル通りの動きが隙を生んだとでもいうのだろうか。スラスターで瞬時に向きを切り替えたガンダムは、ザクの照準から外れた。そして、そのまま自らのビームライフルの引き金を、引いた。ザクに向かって光が飛ぶ。ふ、と時が止まったような感覚。立体音響システムが間に合わなかったほんの一瞬のタイムラグ。世界は静かだった。
 そして、ザクの機体が軋みながら微かに膨張した次の瞬間、爆発が起きた。

「火がっ……かっ、かあさーん!!」

 荒い砂嵐のような音と爆発音の中に混ざって聞こえた声を、私は聞き逃さなかった。「この声は」と頭が理解するのと同時に、それは残酷な程に容赦なく、ぶつりと音を立てて消えた。宇宙空間に飛び散ったザクの破片が、ゲルググのメインカメラに傷を付ける。視界の狭くなったモニタには、未だ広がる爆発と、それをも回避した無傷の白い機体のみが映っていた。

「アル、バート……」

 イワンの掠れた声に、私が考えていた事が間違いではないと思い知らされる。

「そんな、どうして。どうしてあいつがここに……」

 口から落ちた言葉はアルバートに対してなのか、ガンダムに対してのものなのか。アルバートはひとりしかいないし、ガンダムだって一機しか存在しないはずなのに。それなのに何故、こんなに広い宇宙で出会ってしまったのか。それはどれほど低い確率なのだろうか?頭の悪い私には計算できないけれど。
 私とアルバートは仲が良かったとはお世辞にもいえない。イワンと仲が良いから、というだけの間接的な関係性であった。それでも、それでも私は彼と会話したことがあった。共に訓練で協力しあったことも、ふざけて殴ったことも、喧嘩まがいの言い合いをしたこともあった。それこそ、彼やコルバドとは険悪な雰囲気で別れてしまったのだった。走馬灯のように流れる情景。確かにあった事実なのに、もうここからの時間にアルバート・ベルという存在はいないのだ――。

 しかし涙を流すような余裕もなかった。敵はまだ生きている。それどころか、ガンダムが通った道を辿るように、連邦の機体反応がじわじわとこちらに向かいつつある。私は粟立つ体のまま、震える手で操縦レバーを強く握りしめた。
 どうしたらいい?今すぐにここから逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。スラスターの推力はまだ残っている。今なら、推力を最大限出力すれば、ここから逃げられるのではないか?……いや、どこに逃げても戦場が広がっているだけだ。じゃあどうすればいい?
 ループするだけの思考を繰り返し、何も出来ずにただその場で浮いているだけ。そんな私の横から、緑の影が飛び出したのは、ガンダムが動き出すのとほぼ同時であった。

「よ……よくもっ!! 僕の友達を!!」
「イワン!!」

 悲痛な叫び声と共に、スラスター全開の猛スピードで彼は白い悪魔に向かっていく。動きだけなら、通常の彼では有り得ない程の気迫に満ちていた。しかし気が動転しているのか、ザクのライフルは一発も命中しない。彼の予想外の行動に呆然としていた私も、ビームナギナタを構えて飛び出した。
 あいつは、ガンダムのパイロットは何を考えているのだろう。私たち二人が武器を持って襲いかかったその瞬間でさえ、何かを探すように辺りを見回して飛んでいる。それなのに後から追うイワンや、他のジオン兵の攻撃を全て躱しているのである。
 脳裏に浮かんだのは、昔父からもらった、「海」という場所に住む生き物をまとめた図鑑の1ページ。深い深い藍色の世界に溶け込んでいたものが、黒い影からぬっと姿を現す。その一瞬を収めていた。得体のしれないものを見た時のあの恐怖。その中に少し混じった好奇心も含めて、あの時の感覚に似ていると思った。

「どんな……ベテランが乗ってるかは知らないけど、よそ見を、よそ見をするなああああ!! お前は、アルバートを殺したんだぞ!!」

 ザクⅡが振り上げたトマホークはただ一点だけを狙っている。それに援護しようと私もナギナタを伸ばした、その時。あいつはそれを見つけたのだろう。「それ」が何かは私には分かるはずもないが「見つけてしまった」のだということは、なんとなく気付いた。気付いてしまって、すぐに今の状況と照らし合わせ――血の気がひいた。
 あいつが探しているものがすぐ近くにある。そしてその進行方向に、イワンがいる。

「イワン」

 乾いた声が、静かな宇宙に落ちる。彼に向けられた銃口が、淡い桃色に光るのを見た。それは確かに、コクピットを狙っていた。
 

 

 眩い光が全てを染め上げる。奴はその影を小さくしながら、白に溶け込むようにして消えていく。「悪魔め」と、その背中に向かい、苦し紛れに呟いた声はもう誰も拾ってはくれない。けれど。

「……君も、同じなのか」

 悲しそうに零す、少年の声が聞こえたような気がした。