《UC0079.12.31》

 初めて戦場に出たのは、小隊に着任してから約一カ月後のことであった。ジオン公国の巨大要塞――ア・バオア・クー防衛戦。ジオン公国は、前日のソーラレイによる攻撃で連邦の主力艦隊を落とすことに成功はしたものの、デギン・ザビ様と共にあった艦隊、グレート・デギンをも失うこととなってしまった。

「我が忠勇なるジオン軍兵士達よ! 今や地球連邦軍艦隊の半数が我がソーラ・レイによって宇宙に消えた。この輝きこそ我等ジオンの正義の証しである。決定的打撃を受けた地球連邦軍に如何ほどの戦力が残っていようとも、それは既に形骸である。敢えて言おう、カスであると! それら軟弱の集団が、このア・バオア・クーを抜くことは出来ないと私は断言する。」

 ギレン・ザビ総帥の言葉が響き渡る。その声に耳を傾ける兵の誰もがノーマルスーツに身を包み、それでもまだ戦いが終わることがないということを自覚していた。敬礼のポーズを崩すことなく、彼一人を見つめる幾つもの瞳。そんな矛盾を塗りつぶすほどの力が、その声にはあったのだろうか。

「人類は、我等選ばれた優良種たるジオン国々民に管理運営されて、初めて永久に生き延びることが出来る。これ以上戦い続けては、人類そのものの存亡に関わるのだ。地球連邦の無能なる者どもに思い知らせ、明日の未来の為に、我がジオン国々民は立たねばならんのである!!」

 どちらにせよ、もう後戻りは出来ないのだ。

 

*

 

 ア・バオア・クーは、正面から見れば十文字型の要塞である。周辺宙域を4つのエリアに分け、それぞれ東西南北になぞらえてN、E、W、Sフィールドと呼称されている。我等がジオン軍は空母「ドロス」を中心とする主力艦隊をNフィールドに展開していた。Nフィールドはジオン公国全土を正面に望むエリアであるため、勿論防備はどのエリアよりも厚くなる。そして私達が配備されたSフィールドは、地球を正面に臨む――。つまりはア・バオア・クーの「正面」ともなるエリアであるため、ドロスの姉妹艦「ドロワ」が配備されていた。Sフィールドが、Nフィールドに次いで連邦との主戦場となるのが必至のエリアということは、誰の目にも明らかであった。
 戦闘配置命令が出たのは早朝であった。訓練通りコクピットには数日分の非常食と水、医療パックを詰め込む。それをすべて使い切る程に戦闘が長引くこともあるのだろうか?――そんな考えを振り切るように顔を上げた。目の前にある緑とグレーの装甲を撫ぜると、ひやりとした固い感触が指先から伝わってくる。私の全てが、今からしばらくの間、この機体の中へと預けられる。そして広い広い宇宙へと飛立つのだ。
 昨日まで濁流のように混ざり合い押し寄せてきた不安と葛藤が、今この時だけは音を潜めていた。決して、それらの感情が消えてしまったという訳でもないはずなのに、この手に触れる冷たさがそうさせるとでもいうのだろうか。コクピットを閉じるその刹那、向き合うようにして並んでいたゲルググに乗りこむ、見知った顔と、目が合った。

『そんな心持ちじゃ勝てるもんも勝てないぞなまえ。落ち着けよ』

 私に笑ってそう言ったコルバドは今、ひどく強張った表情をしていた。はじめてみる表情だった。
 私も同じ顔をしているのだろうか?そんなことを考えながら、未だ慣れぬその椅子に腰を下ろした。

 

 各自配置についた後、指令があるまでゲルググの中で待ち続けた。前日まで続いた猛特訓の疲れと、慣れない無重力のふわふわとした感覚。無慈悲にもそれらの要素に眠気を誘われそうになるも、なんとか振り切り、既に何度も頭に叩き込んだマニュアルに目を通し続けた。
 戦闘が始まったのは、記憶が正しければ9時ごろである。突然の爆音に浮き上がる体。前方で戦闘が始まった合図だ。しかし、管制塔から出された最初の指令は「その場から動くな」という至極シンプルなものであった。少しほっとしたのも束の間、ぴかりと視界が次々に瞬く。連邦の艦隊による一斉射撃である。モニターの中を走るおびただしい程の光の矢に、その時は恐怖、というよりはただただ圧倒されていた。

 

「Sフィールドからも、かなりの敵が接近中!」
「かなりじゃ分からん!!」

 戦闘が激化するにつれ、正規兵や隊長機と連携した学徒兵のザク部隊は、あの連邦の光をくぐり抜けるようにしてどんどん前に出ていった。対して「その他」の私達は、ただ遠くで光るものにめがけてライフルを撃ち続けていた。攻撃がちゃんと敵機に当たっているのかどうかも分からないまま、ただ、闇雲に。
 戦況は、不確定な情報ばかりで分からない。通信に入ってくるのはやはり「岩陰から撃て」「光を恐れるな。そこに向かって撃て」という先輩達のあまりに平易な指示のみ。ジオン軍が優勢なのか、劣勢なのか……「イワン達は大丈夫だろうか?」。そんな考えも、疲弊する精神と鳴り止まない爆音によって次第にかき消されていった。

 

*

 

 宇宙では何も変化感じ取ることはできないが、画面を見れば「19:30」の文字が光る。戦闘開始から既に10時間近く経っていたのには驚いた。余程神経を尖らせていたのか、それがほんの数十分くらいにしか感じられなかったのだ。気付けば、最初に配属された位置から随分と移動していたようでおる。どこも同じ景色といっても過言でない宇宙では、距離の感覚がまだ上手く掴めない。
 幸いにもイワンは無事であった。しばらくして前衛が落ち着いた頃、交代を言い渡されたザクの学徒部隊の一部が戻ってきたのである。彼等の機体の状態は様々で、出撃前と遜色のないものもあれば、片腕や片脚がないものもいた。また、損傷の殆ども被弾によるもので格闘戦をする程前衛に出た訳ではないようだ。らしくもなくほっとしたのも束の間、あっという間に混線する通信に肩が跳ねた。

「どうだった? 連邦を何機やった?」
「そんなの分からないよ。僕たちも直接戦闘区域に入った訳じゃないから……。……あ、あぁ、僕を庇って前に出た隊長が、やられて、」
「でも戦線突破された方に敵が集中してくれたおかげでなんとか離脱できたよ」
「馬鹿野郎! 防衛線の一部を突破されてるんだぞ。それで、生き残ったってなぁ……!」

 興奮しきっているのか、学徒達のくぐもった声がコックピット内に響く。その声色から滲み出る焦燥と恐怖がこちらの体も震わせた。時折聞こえる咽び泣きに至っては、とにかく、きつい。嗚咽の挟間で覚えのある名前がいくつも溢れてくる。流石は新型のゲルググである。皮肉な程に音質がいい。それに耐えきれず、通信を切りたくもなったが、しかしもう変えようもない事実なのだ。あれほど遠かった戦争が、今はもうこんなに近くにいると再認識させられるようであった。
 一人思う。私は、連邦の人間を何人殺してしまったのだろうか?

 

「Sフィールドのドロスが沈んだというのは本当か!?」
「ドロスが?! そんな話は聞いてないぞ……!」
「ここも落ちたらいよいよマズイことになるぞ。他のフィールドから増援がこちらに向かっていると連絡が入ったらしいが……」
「クソ……連邦め……」
「……こんなのがいつまで続くのかな」

 静寂を拒むように、ひたすらに彼らの会話は続く。かといってその場に固まり続ける訳にもいかず、本部と連絡をとり、補給のために帰艦するものと、戦場に残るものとで別れた。機体の損傷は比較的浅いものの、私とイワンも一旦はその場を離れることにした。
 流れ着いた元の形も分からない「残骸」を盾にMSの身を隠し、積み込んでいたドリンク状の宇宙食で腹を満たす。本来濃い味であるはずのそれが、びっくりする程無味に感じられてイワンと二人で笑った。その後簡易的な機体点検を行い、再び宇宙へと身を投げた。

「イワン、大丈夫?」
「……推力に少し不安はあるけど、大丈夫だよ。まだやれる」
「分かった。あまり無理はしないでね」
「はは……とはいってもね。思ったより……戦況は良くないみたいだ。もう、すぐそこで連邦のジム中隊と交戦してるらしい」

 彼の言う通り、飛び回るミサイルや敵艦隊の位置が今までとは違い、視認できる程に近くなっていることに気付き、少しだけ震えた。

 本部との連絡を取っていたのはイワンだった。同じ初陣とはいえ、隊長機と組んで交戦した彼の方が若干ではあるが経験が勝るからだ。
 ふと、気配のようなものを感じて右方に振り向いた。視線の先、遥か前方で、私のものとは違う青色のゲルググが光瞬く戦場を駆け抜けていくのを見た。敵も味方も、するりと交わしてただ疾る。それは一瞬の出来事ではあったが、機体の身の丈以上の大きさを誇るビームライフルを携えていたのを見逃さなかった。いや、偶然にもその一場面が、カメラのように視界に焼きついて離れなかったのである。どう見たってあれは、対艦用の武器だ。そして、今まで見てきた学徒達の操るそれとは桁違いの動き。間違いなくエース機だろう。であればパーソナルカラーを使用していることにも納得がいく。ああ、“彼”はたった一機で、艦隊を落としにいくのだろう。
 あれは、あれは確かに私達とは違う。真の軍人の、迷いのない真っ直ぐな意思そのもの。

「――どうかした? なまえ」
「……え? い、いや、何でもない」

 イワンのザクⅡがゆっくりと擦り寄ってきた。通信は済んだようである。

「ア・バオア・クーの防衛に戻ろう。ここから先に僕達が出たところで弾除けにしかならないよ」
「……弾除け」
「…………なまえ、怖いんだね」

 イワンの、確信的な声色に言葉が出なかった。

「なまえが何かに気付いているような気はしていたんだ。きっとこのことだったんだろ?」
「……イワン、もしかして上官達が言ってたニュータイプって奴じゃないの? すごいね」
「ニュータイプとか、そんなんじゃなくたって分かるよ」

 控えめな笑い声が耳をくすぐる。張り詰めていた糸が切れたかのように、ふっと体から力が抜けた。思えばここには私とイワンしかいないのだ。無意識に緩くなった口からは、内に隠してあった気持ちがぽろぽろとこぼれ落ちる。

「正直、今はもう父さんの仇だとか、そんなのどうでもいいの。……早く逃げ出したい……早く終わって欲しい」

 それが許されないことであると分かっていた。事実は変わらないし、志願した身で言ってはいけないことであると分かっていた。それでも言葉にして言いたかった。偽りの音しか聞こえないこの宇宙で、本当の気持ちを言葉にしておきたかったのだ。

「…………ア・バオア・クーに戻ろう。僕等は僕等にできることをしよう」

 イワンはいつでも優しい。