空気が存在しない宇宙空間では、如何なる音も聞こえない。しかし音が聞こえなければ、いくら機体のレーダーで敵を識別できていても、パイロットがそれを視認してからの対応では当然遅すぎる……。
そこでMSには爆発や衝撃を識別するセンサーカメラと立体音響システムが内蔵されているのである。まずはカメラが瞬時に爆発を感知し、その威力と距離を図る。その後、各機体にプリセットされた音声が表示される、といったようなものである。視覚と聴覚の間のタイムラグは全くないといっていいだろう。MSでの間接的な戦闘において、如何に自然に、自分の体のように操るか、動かせるかが勝利のが鍵とされていた。音によって瞬時に今の状況を知ることはその次の運動にも繋がるため、その機能に尽力を注ぐようになったのは自然なことだろう。
艦隊での生活に慣れてきた緩みもあってか、学徒達の間で、プリセットされている音声データを映画やゲームの中で使用される効果音に置き換えて遊ぶのが流行っていた。勿論禁止されていたことではあるが、不思議と、誰も止めるものはいなかった。訓練時以外の時間であっても、戦争真っ只中の艦内にろくな娯楽あるはずもなく、唯一出来ることと言えば自らのMSを弄ることくらいしかなかったのも大きいだろう。
……とはいえ学徒に入る前の私は工業学校生でもなく、MS乗りであると言ってもまだパイロットとして必要最低限の知識しかないのが正直なところでそんな芸当ができるはずもなくプリセットをいじるようなことはしていなかった。あの夜以降、今までのように友人達と、“彼らと同じ空気で”息を吸うことができなくなってしまったのだ。
『ビヨーン』
「…………」
『ポコン』
「ははっ、間抜けな音だなぁ」
イワンが可笑しそうに笑う。プリセットは機体の識別番号毎に設定出来るようになっているらしく、今のは連邦のモビルポット、ボールの射撃の音であるらしい。
流石は新型機といったところか、ゲルググには高音質のスピーカーが内蔵されていた。爆発音なんか、腹に響く程である。ただ、その音自体に問題がある。
「ちょっと……私のゲルググ勝手に弄ったの誰!」
「コルバドだよ。あいつもゲルググ乗りだし、自分の機体の設定をそのまま横流ししたんだ」
「コルバドー!!」
近くに士官がいないことを確認しつつ怒鳴り声を上げる。すると隣に立つゲルググの背後から腹が立つほどのにやけ顔がふたつ現れた。
黒髪で少しきつい目つきをしている面長の少年がコルバド。丸みのある顔と鼻が特徴的でがっしりとした体格の少年がその友人のアルバートである。彼等は私の同期に当たるが、それまで人並みの関わりしかなかったこともあり、尚更「何故二人が?」という思いが苛立ちを助長した。
「それ某ゲームの効果音、気に入ったか?」
「気にいっ……!?」
「あっもしかしてなまえはあんまりゲームとかしないタイプ?」
重力が少ないのを良いことに2人がゆっくりと降りてくる。湧き出てきそうになる怒りを抑えつつ、二人を睨む。
「2人達、連邦舐めすぎじゃないの」
見当違いな事を言っていたアルバートも、同じ目線に立ってようやく私が本気で怒っている事を理解したのか、不思議そうにコルバドと顔を見合わせた。それから、「なんだよ」と拗ねた時のように口を尖らせる。
「別に舐めてるわけじゃないし、むしろ……」
「むしろ何よ?」
「……いや! それより、それよりなまえの方こそ、今更ビビってるのか?」
「なっ……!」
「いいよアルバート。……どうしたんだなまえ? 何かおかしいぞ。お前だってこのゲルググであの連邦の新型もぶっ倒してやるって意気込んでただろ。父親の仇だって」
アルバートの言葉に途中まで言い返そうとしていた口が詰まる。それから追い討ちのようにしかけられるコルバドの言葉。彼等の言うことは事実であった。事実であるからこそ、過去の自分の愚かさを再確認させられたように鈍い衝撃が胸を打つ。突然宇宙に放り出されたかのように、空気を求めてただ口を開発させる。
「やっぱりビビってるんだ」
「まぁまぁ。なぁ、なまえ。確かに俺たちまだひよっこだけだどさ、俺とお前のゲルググは最新の機体なんだぜ?」
背後にそびえ立つ機体に触れながら、コルバドが鼻息荒くその素晴らしさを語る。その黒い瞳には眩しすぎるほどの自信が宿っている。ジオン公国のためになんでもやってやるという意思が、私が見失ってしまったものが燃えている。
そんな彼を、横から羨望と嫉妬を混ぜた瞳でじとりと睨む、アルバート。
「あーあ俺もゲルググがよかったのに……なまえのと交換してほしいくらいだ」
「まーたそれ言ってるのか……いい加減諦めなって。まぁ、僕も同じだから気持ちは分かるけど……」
「機体なんて関係ない。ただ祖国のために全力で戦うのみ」だと、イワンは続ける。あの気弱な彼ですらそれを理解しているのに、私は駄目なのだ。今までは私も同じ気持ちでいっぱいだったはずなのに、駄目になってしまった。
「違うんだよアルバート。ザクの方が良いんだ。ザクに選ばれたパイロットの方が、上官達から期待されているんだ」と、そう言えたら?いや、言えるはずがないだろう。
棺桶。実に情けない。たった一言。あの一言で私は、このゲルググに自らの全てを預けられる自信がなくなってしまったのである。
「そもそも、だ。そんな心持ちじゃ勝てるもんも勝てないぞなまえ。落ち着けよ」
その言葉に何も言い返せずに黙り込んだ私を見て、居心地が悪くなったのかコルバド達は立ち去っていった。しんとした空間に取り残されたイワンは、しばらくの間こちらの顔色を伺ったり、手元を見たりと忙しない様子であった。なぜ残ったのだろうか、彼等と一緒に行けばよかったのにとその揺れ動く瞳を見つめていると、ついに目が合う。
先に口を開いたのは彼の方であった。
「なんか近頃、なまえがやけにピリピリしてるなと思って……それで俺がコルバト達に頼んだんだ。皆も上官に隠れてやってるし……。少しでも、気が紛れるかなと思って……ごめん」
音声プリセットの事か。あの二人とは特別仲良くもなかったし、そんな気はしていたが。
「そりゃあ苛立ちも……する、でしょ。いつ戦闘が始まるか分からないんだから……」
私の方こそごめん。その一言が上手く発音できずに口元で篭る。
少し前の私なら、彼等と同じ空気で笑い飛ばしてそれで終わっていたかもしれない。しかし今はもう違うのだ。
「なまえ、何があったかは知らないけど大丈夫だって」
この時の自分は、ただ自分の事しか考えていなかった。見えてしまった未来に恐怖して、自分で自分を追い込んでいたのだ。狭く浅い視界。そのせいで、些細な、それでも本来なら気付けたはずの物事に気付けなかったのだ。
「大丈夫」
私を想ってくれた彼の言葉を、上っ面だけで受け取っていた自分が憎らしい。
今になって思うことがある。本当は、皆同じように怖かったに違いないのだ。怖いからこそ、継ぎ接ぎの音で、それらを少しでも紛らわそうとしていたのではないかと――。
初めての宇宙。初めての戦闘。命を奪い奪われる、数分先に自分が生きているかどうかすら分からない、そんな世界が既に近付いていた。彼等と私に違うところなどなかった。
それでも、あの時の私は誰よりもまだ子供だった。