《UC0079.12.21》

 それは、私達が戦場へと発つ1週間程前のことであった。その日、奇妙な夢を見て起きた私は無性に喉が乾いていた。比較的待遇はいいとはいえ各部屋に給水用のボトルがあるわけではない。固いベットで凝った肩をほぐしつつ、水分を求めて暗い通路を渡る。宙を滑る体と、寝起き特有の緩くぼけた頭。ひとつ、大きなあくびをしようと口を開きかけた時であった。

「やっぱり小僧どものザクとドムは隊長機ドム隊列を組むようにするってよ」

 ふいに聞こえた声に、手すりを掴み立ち止まる。向こう側の通路からこちらに向かってくる数人の男性の姿が見えた。非番なのか随分とラフな格好をしてはいるが、全員の顔には見覚えがあった。正規のパイロット達である。その中に自分が苦手としていた上官も混じっていることに気付く。私が女だからなのかどうなのかは知らないが、少しだけ当たりが強いと感じていたのだ。
 何か悪いことをしている訳でもないが、つい来た道を戻り、曲がり角で身を隠した。なんならそのまま一度部屋に戻るか、別の通路から給水室に向かえばいいだけなのに、段々と近付いてくる声とその内容に、自然と耳を寄せていた。
 きっと連邦との戦いが近いに違いない。ア・バオア・クー防衛戦に向けて具体的な作戦が発表されたのだろうか。明日の定期集会の際には私達学徒兵にも説明があるのだろうか。そんなことを悶々と頭の中に巡らせながら、突然濃ゆくなった戦争の影に、頭がすーっと冷えていくのを感じた。

「しかしなぁ……ゲルググの開発さえもう少し早ければこんなことにはならなかっただろうに」

 ――ゲルググ? 確かに聞こえたその単語に眉を上げる。

「そんなことを今更言っても仕様がないだろう。数少ないパイロット達が皆乗りたがらんのも分かるしな。……こうする他ないんだろう」
「ここまで生き残れたんだ。誰だって機種転換に手間取る新型よりも、使い慣れたザクの方がいいに決まってる。俺だってそうだ」
「俺達はア・バオア・クー直属だからまだマシな方だ。別の艦隊では学徒達をオッゴに乗せる予定らしいぞ」
「モビルポットか……まだ若いのに、可哀想にな」

 彼等は何の話をしているのだろうか。モビルポットというからには、連邦のボールのような機体なのだろうか?この時期になっても尚、ジオン公国はゲルググ以外にも新しい機体を開発していたのかと、初めて聞くその名前に気を取られていた時だった。

「乗り手があの様子じゃあ、オッゴもゲルググも……ザクも一緒だ。……例えるなら――」

 聞き覚えのある声。それは間違いなく、私が苦手としていた上官のもので。

「棺桶だ」

 その先に続いた言葉に、息が止まった。彼は今、なんと言っただろうか?かんおけ、たった四文字の言葉。たった四文字であるのに、頭がその意味を理解することを拒んでいるかのように、震えだす。しかし一度飲み込んでしまえば、心の内でどこか「ああ、やっぱりそうだったのか」と腑に落ちてしまっている自分もいた。
 ア・バオア・クー防衛のための主力艦隊の一つでありながら、その大きさに対しては些か少な過ぎる正規兵の数と、それを補おうとした結果年齢制限を緩和してまで用意した学徒兵。誰もが、その割合の不安定さに気付かない振りをしようとしていた。不安を押し隠すように気丈に振る舞う学徒に、やけに優しい大人達。贅沢な食事。

 彼等は知っていたのだ。私達が、ただの“弾除けにしかならない”ということを。
 所詮、一カ月にも満たない訓練期間で出来ることには限りがある。ふわふわとしたあの空気に飲み込まれ、なんの保証もなく湧き出て来たあの自信は、一種の麻痺状態のようでもある。今まで感じたこともないどうしようもない程の体の震えに耐えきれず、その場にしゃがみこんだ。

「父さん……」

 最早どこにもないその背中に縋るように、腕を伸ばす。しかし目の前にあるのは無機質なグレーの壁のみで、行く先をなくしたそれで自らを抱き込む。震えている。私はとても震えている。触れれば尚のこと思い知らされる。

「私は、ジオン公国の……。……私は……」

 弱い。

 志願した身でありながら、今になって強い恐怖を感じている自分が何より許せなかった。