コートの男が去った後、しばらくその背中の消えた先を見つめていたユートが、ふとこちらに振り向いた。追いかけなくてもいいのだろうかと、口を開こうとした時、遮るように静かな声が響いた。

「瑠璃は……隼の妹なんだ」

　『瑠璃』？その名前に首を傾げたが、すぐに先程二人が助け出したい仲間として、その名前を聞いたことを思い出す。妹、ということは当然だが彼等より年下の少女、そして彼女を取り戻すために赤馬社長？を追っている……。

「もしかして、それって……」

　名探偵なまえの脳裏に浮かび上がる、一つの可能性。

「赤馬社長に、妹さんとられたの？だからあんな」
「ちがう、そうじゃない。……ある意味そうかもしれないが……いや違う」

　玉の輿じゃんと続ける私に、真顔で違うと再度否定されてしまえばもう黙るしかない。別にふざけて言った訳ではなく真剣な推理の結果だというのに。
　それにしても妹を探す兄、か。彼の底知れぬ怒りの感情は、そのせいだったのか。あの針のように鋭い瞳を思い出す。
　本当にLDSが、赤馬社長がそれに関わっているのかの真偽は部外者の私に分かるはずもない。けれどそれはおそらく彼等も同じで、だからこそこうして片っ端からLDSの生徒を襲っているのではないだろうか。少な過ぎる手がかりに縋るように、それ以外に手がないとでもいうように。その必死さが、私は――。

「君、どうかしたのか？」
「あ、いや……良い兄さんだなと思って。やり方に問題あり過ぎだけど」
「……そう、だな。あいつは…良くも悪くも真っ直ぐ過ぎるだけなんだ」
「君も良い人だよ、多分」
「……そういってもらえると、嬉しい」

　その言葉の割りに、彼の淡い笑顔はどこか翳りを残したままであった。
　気まずくなってしまった空気を変えるために、気になっていたことをこの際聞いてしまおう。

「……聞きたいこと？」
「うん。エクシーズ召喚は、どこで習ったの？　LDSの生徒ではないんだよね？」

　エクシーズを一番に取り入れたのがLDSというのは有名であるし、当然その歴史が一番深く、広いのもLDSのはずである。しかし、私の目から見ても、沢渡とのデュエルで見せたあのエクシーズ召喚は、同じエクシーズ召喚コースの人達のそれよりも上だと感じた。何か、決定的な違いがあった。なんと言えばいいのだろう、極めている、というよりは「慣れている」に近いだろうか。

「ああ……それは、そうだな。俺達がいたところでは、エクシーズが主流だったんだ」

　その言葉に私は少なからず驚いた。そんな塾が世界にはあるのかと。

「私にも兄がいて、エクシーズ使いだったんだ。……これも、兄のデッキで」
「だった、というのは……」
「……今は、もういないんだけど」
「……すまない。聞くべきではなかった」

　申し訳なさそうに目を伏せる彼に慌てる。そんなつもりではなかったのに。

「……あ！　私も、兄のカードとは別にエクシーズモンスターのカード持ってるんだけど……」

　再度話の流れを変えるために、私はエクストラデッキから、そのカードを取り出した。黒い縁の中で輝くイラストは、今は少しだけ眩しく見えた。
　気付いたらデッキケースに入っていたカードなので、これが本当に私のものかどうかは分からない。兄のが混ざった可能性が高いとは思われるが、それを確かめる術もない。
　問題は、これが私に、このデッキに使えるのかどうか。

「はじめて見るカードだ……が、見たところ汎用性は強そうであるし、君のデッキでも使えないこともないんじゃないか？」
「そうなの？」
「ランク4は、エクシーズモンスターでも特に扱いやすいはずだろう」
「そっか！　そもそもレベル4のモンスターって多いし……」

遠慮がちに、それでも確かに、今更何言ってんだという視線が刺さるがほっといてくれ。本当に今はじめて気付いたのだ。

「何か理由があって、そのデッキを使っているんだろう？」
「……私、もっとデュエル強くなりたいんだ。勝たないといけないの」
「なら、尚更。君はもっとデュエルと向き合わないといけない」

　デュエルに向き合う、と言われても、最近こうして真面目に頑張っているというのにこれ以上どうしろというのだろう。当たって砕けているところなのに、これ以上……。しかし、彼のことを私が知らない様に、彼も私のことを殆ど知らないのだ。ズレは当然生じるもの。そう、思って、その言葉を深く考えないことにした。

*

「え？　なまえも大会に？」
「うん、その予定」

　LDSから帰る道で榊と偶然会った。思えば彼と会うのは、沢渡とユートのデュエルを見た日以来である。

「俺は後2勝……なまえは？」
「すごいね！　私はなんとか……2勝目」
「えぇっ間に合うのかそれ？」

　榊の言葉にうっと詰まる。正直、残りの期間的にもう負けは許されない状態であった。
　人生で初の白星をあげたあの後、別のLDSの生徒とデュエルをして、ターン数を稼ぐことも出来ずストレート負けした。連勝に繋ぐことに初っ端から失敗した訳だが、なんとかその後2連勝まで繋ぐ事が出来た。残り4勝、確実に勝ち取らなくてはいけない。

「……あ！　そうだ俺、なまえに聞きたいことが」
「何？」
「この間、沢渡達と……倉庫でデュエルしてただろ？」
「デュエルしてたのは私じゃないけどね」
「俺に似てる奴だっけ？　……そいつのせいで俺が沢渡に怪我させたとかで、LDSから疑われて大変だったよ……」

　なるほど。それで志島達エリート三人組が遊勝塾に試合を申し込むことになったのか。ようやくはまったピースにひとり頷く。

「なまえがその場にいたなら、あいつらに証言してくれればよかったのに……」
「だって、終わった後でその話聞いたんだもん。噂で」
「……えぇ！？　そうなの？」
「LDSだからって皆と仲が良い訳じゃないからね」

　そこが遊勝塾とは違うのだ。LDSでは、自分以外の生徒は全てが敵、ライバルであり、勝者が何よりも強い世界だ。実力によって、塾内での他の生徒や先生からの対応も変わってくる。私のような底辺には、そんな重要な話は滅多に回って来ない。何より、所属する生徒の数が何桁も違うのだ。知らない生徒のことは知らない。つい最近までLDS内では有名であるらしい刀堂や光津さんのことすら知らなかったのが証拠だ。ただ単に私の友達が少ないとか、決してそういうことではない。ないから。

「榊は……志島に勝ったんだって？」
「ああ、手強かったけどなんとか」
「そっか……」

　やっぱり榊は、志島よりも強いのか。ずきり、と、また胸が痛んだ。

「なまえはエクシーズ召喚コースなんだっけ。それこそあまり……仲は良くないみたいだけど」
「そうだね。……ところで、さっきの聞きたいことって？」

　話がよからぬ方向に行き出したので、無理矢理話を元に戻す。志島とのことに関しては、今はあまり触れてほしくない。確かにそう思っている自分がいることに、気付いてしまった。
　私の言葉に榊の顔が翳りが見られた。つい、ユートと最後に会った時の顔を重ねてしまったのは、二人が似ているからだけではないのだろう。

「あれから……柚子の様子がおかしいんだよ」
「柚子さん？」
「これ、柚子のカードなんだけど……なんか、気まずくて返しそびれちゃって」

　彼の手にある、赤と青の渦を巻くようなイラストのその魔法カードは、とても見慣れたものであった。『融合』――手札、またはフィールド上の複数のモンスターを融合させエクストラデッキから強力なモンスターを特殊召喚することが出来る魔法カードだ。流石にこの当りは空でも言えるほどには覚えている。
　そう言えば、連勝を止められた相手も、融合召喚コースの人間だったなぁとカードを眺めつつ思い出す。そう、確かガッチャ！とかなんとか言っ……うっ久しぶりに突然の頭痛が。

「なんで、柚子が融合を……光津真澄に負けたこと、やっぱり気にして……」

　光津さんとあたったのは、彼女だったのか。

「……ただ単に、このままじゃ駄目だって思ったんじゃないかな。初めて会った時の榊みたいに」

　私はそうだ。このままじゃ駄目だと思ったからこそ、兄のデッキに手を伸ばしただけ。最短かつ確実な道であると、そう思ったからだ。
　しかし――志島の怒り、コートの男のあの目、そしてユートの言葉。今も頭から離れない。どうしたって、皆が皆、私を認めてはくれない。どこまで行けば私を認めてくれるのか、兄と同じくらい強くなるまで？落ちこぼれのレッテルを剥がす時まで？

「柚子さんは、自分で新しい道を見つけられたんじゃない？　それって凄いことだと思うよ」
「柚子が……」
「まぁ、推測でしか、ないんだけど」

　結局は、否定されたくないという、子供の我儘の延長線であった。私が駄目だから、兄のようになって見返そうとしてるのに、それすら間違ってるというのなら、私はどうすればいい。そう、叫び散らしたい気分でいっぱいだった。
　私に模倣でもいいと、気付かせてくれたのは榊だ。彼はさらにその先を行くことを目指しているが、私にその先というのは存在しない。その違いだけ。なのに何故、榊は良くて、私は駄目なのか。

「……俺達も、頑張ろうな」
「そうだね」

　私達は、きっとどこか近い場所を歩いている。だから、だからこそ、榊だけはきっと私を否定しないし、否定させない。そして私もまた、榊を否定しないだろう。
　今はただ、この道を突き進むと、彼の横顔を見ながら改めて思った。

「……あのさ」
「うん？」
「なまえと俺は……その、友達だよな？」
「えっ、」
「えっ違うの」
「い、いや……基準は分からないけど、榊が言うなら、そうじゃないの？」

　私の言葉に「よかった」、と笑う少年の顔は、とても晴れやかだった。