「モンスターで、ダイレクトアタック」

 私の声に、昆虫の姿を模した鎧の戦士が、相手に襲いかかる。その表情は、独特な形のマスクの下に隠れ、角度的にもこちらからでは伺うことは出来ない。榊のモンスターは、笑っていたな。そんなことをぼんやりと考えながら、ライフがゼロになる、その音を聞いた。そして、デュエルディスクの画面に映し出された三文字の言葉。
 今、私は人生ではじめてデュエルに勝利した。しかし、思い描いていたような感情が襲ってくることはなく。淡々と、全てが終わってしまった。
 もう、何もかもがよく分からなくなっていた。

「く、くそ……エクシーズの落ちこぼれに負けるなんて……」

 心底信じられない、屈辱だと言わんばかりの目で睨み付けてくる名前も知らない少年に、私は少しだけ怯んでしまった。これが勝負の世界、悔しいという気持ち。以前まではずっと私がその立場であったというのに、彼のその瞳の奥に燃えている感情すら、私には新鮮で、恐れるべきものであった。

「運が悪かっただけ、そうに違いない……!」
「……運、か」

 確かに彼の言う通りである。今回はただ、私の運が良かっただけかもしれない。ただ、相手の運が悪かっただけなのかもしれない。私自身、勝てないのは運のせいであると、何度思ったことか。依然私を睨んでくる彼から逃げるように、その場を去る。
 最初のターン、手札を見た彼が苦虫を噛み潰したような顔をしていたのを、私は知っていた。余程、どうしようもないカード達だったのかもしれない。対する私は、あの時既に心の奥で勝利を確信していた。見覚えのあるカードの組み合わせ。それは頭に叩き込んだ、兄のデュエルシュミレーションで見たもののうちの一つと全く同じで。まるでパズルを解くかのように、ただ録画を再生するかのように、同じ様にカードを配置していく。その度にぐっと詰まったような顔をする彼に、更にその確信を強くする。相手のターンでも、どこか頭は冷えきっていて、ただその動きに対応し返り討ちにする策を、記憶の中から引っ張り出した。
 しかしそれは私の意思と云えるのだろうか?勝利を決めたモンスターも、このデッキも、そして戦術すらも、全て兄のものなのだ。
 そう、この為に、「こうなる為に」兄のデュエルを記憶していたのだ。ようやくその「努力」が報われたというのに。それなのに、どうして。そんな目で見るのだ。ようやく、勝利出来たのに。誰も私を――。

「楽しくない……」

 沸き上がる感情。そこに喜びの色は欠片もなく。これが、志島の云う「勝利」なのだろうか。……これが本当に?いや、勝利しても尚、あの時の志島の気持ちは何ひとつ分からないまま、何も変わってはいない。落ちこぼれというレッテルも、依然貼られたまま。
 ビルが囲む路地。小さな空を見上げれば、橙と紫のグラデーションが、私や街を染めはじめる。しかしまだ、夕飯までは時間がある。
 何はともあれ、事実上の一勝。あと5勝頑張ればいいのだ。細かいことは今は考えず、その事実だけを受け止めるよう。そう自分に言い聞かせた。気持ちを切り替え、早く次の相手を探しにいこうと、再び踏み出した。

「な、何だお前は……ヒィッ!!」

 その時、背後から、少年の、小さな悲鳴が聞こえた。微かではあったが、その尋常じゃない声色に一体何事かと、来た道を戻る。然程距離はないため、すぐに元の場所に付いた。しかし、そこにあの少年の姿はなかった。 あるのは、酷く散乱したカードと、液晶の割れたデュエルディスク。

「貴様もLDSか」
「……え?」

 気配を感じた時にはもう遅い。ぐい、と右腕を何者かに引っ張られ、そのまま身体ごと壁に打ち付けられ、ずるずると座り込む。 誰だこのうら若き乙女に乱暴する奴は……その顔をしっかり頭に刻み付けてやろうと頭を上げるも、脳が揺さぶられた衝撃で視界が歪み、顔どころか私を掴む腕にも、少しの間焦点を合わせられなかった。
 いきなり胸ぐらを掴まれ、強制的に視界が上がる。焦点が、合う。サングラスに紅いスカーフで口元を覆った男。その表情は読めないものの、地の底から響くような、怒気を含んだ声色が私を震えさせた。いや、この恐ろしさは、その声の低さだけからくるものではない。不良?ヤンキー?いや、違う、こ、これは……。

「ふ、不審者だ……」

 私の脳内で某お祭り男が「アカーーーーン!!」と叫んでいる。恐怖とともに、身体の芯まで冷えていくような感覚がした。だからといって冷静になれたかと言えばそれは逆で、むしろ脳内ではお祭り状態である。鎮まれ私の中の宮◯大輔……と唱えても、祭りが終わる気配はなく、未だ「アカン!アカンよ!」と繰り返し警鐘を鳴らし続ける。だってこれ完全に不審者だよ。
 ……と再び口から溢れてしまった感想のせいで、首にかかる力が更に増し即座に後悔する。苦しい。喉元にナイフを突きつけられているような気分だった。ただでさえ体格差があるのに、自由も利かない、助けを求める相手すらいないこの状況、冗談抜きでかなりまずい。

「俺は貴様もLDSかと聞いている」
「ち……違いますけど」

 なんとか縫い合わせた冷静を装いつつ、彼の問いに応える。自分の命を守るための嘘は、許して欲しい。

「じゃあこれは何だ」
「あっやべ」

 襟に付けたLDSのバッジの存在を完全に忘れていた。サングラス越しに刺さる視線が、更に鋭くなってきた。

「こ、これは……その、兄のです!」
「兄、だと? ……恍けても無駄だ。俺とデュエルしろ」

 これも咄嗟の嘘だ。デッキはともかく、このバッチは正真正銘私のものである。
 ……ってちょっと待とう。今、彼はなんと言った?「デュエルしろ」?
 分かった。この人シャイなだけで本当はデュエルがしたいだけのコミュ症なのかもしれない。デュエルがしたいけど、ただでさえ可愛らしい子だから?うまく誘えなくて?勢い余って壁に叩き付けたり、つい胸ぐらを掴んだりしちゃったのかもしれない。あるあ……ねーよ。そんな危険極まりないコミュ症いてたまるか。

「道場破りみたいな……? LDSの生徒と戦いたいのなら、もっと良い人いると思いますけど」
「どちらにせよ貴様も追って潰すつもりだった。その手間が省けたことには感謝してやる。……正直、潰す価値もないが、」

 LDSであれば容赦はしない、そう続けた男は壁に私を縫い付けたまま、空いている左手でベルトに付いている私のデッキケースに触れた。

「……!」
「……良いカードを、デッキを持ちながら、貴様のデュエルには鉄の意志も鋼の強さも感じられなかった。それ以前に、戦意すら感じられない」
「え?もしかして見てたの……」
「宝の持ち腐れ……いや、羽をもがれた今となっては過去の栄光か」

 聞き捨てならない言葉であった。勢いのまま彼の左手を掴んで、ケースから離す。突然の反抗に少なからず驚いたのか、サングラスの向こうにある瞳が、微かに開いたのを見逃さなかった。

「……LDSはどうでもいい。私のこともこの際どうでもいい」

 過去の栄光。数年前に流行ったデッキ。その先駆者であった私の兄が愛した――。ただ、私のデュエルを見て感じた、一個人としての感想を述べただけに過ぎないのだろう。宝の持ち腐れ。事実、それは正しいのかもしれない。けど、どこの馬の骨とも知れぬ相手に言われると、流石にカチンとくるものがある。

「このデッキを貶すことだけは許さない。兄を貶すことだけは、絶対に」
「……! ……デッキだけの問題ではない。馬鹿だな、貴様は」
「ばっ……!?」
「ハッ、悔しければ、俺を倒してみろ。……その、抜け殻のデッキでな」