いつからこんなに虚勢を張るのが上手くなったのか。

 

「なまえちゃんはすっごいなぁ。かっちゃんの前でもいつも笑顔で」
「フッフッフ、人生笑ったもん勝ちよ」

 なんてことをカッコ良さげに言ってみせると、彼はその大きな瞳を磨き立ての硝子のように煌めかせる。私はそれを見たいがために痛みを我慢してでも笑うのだ。
 嵐が去った後の公園はいつもより広く、静かだと感じた。膝と手についた砂をパタパタと叩きながら立ち上がると、尻餅をついた時に石ころで擦ったのか、小さな切り傷が手のひらにいくつか出来ていることに気付く。とはいえ直接爆豪に殴られた頬の疼くような痛みに比べれば気にするようなものではない。……のだが、ちらちらと青い顔で私の顔を見ていた出久も、それに気付いたのか今度は顔を白くする。

「あっ、なまえちゃん手も怪我してる!」
「だねぇ。でも大丈夫大丈夫」
「……本当に? 赤くなってるよ?」
「あはは、本当にだいじょーぶだって」

 私の個性は“笑い”だった。強制的にわたしの意志で周りの人間を笑わせることができる、というものである。ぶっちゃけ微妙かつ地味な個性だと思われるだろう。以前友達から「ナマエちゃんは将来芸人さんになれるね、有名人だね!」なんて言われたこともあるけれど正直そんなに嬉しくはなかったし、ヒーローでもないのに個性をむやみやたらに使う訳にもいかない。そもそも、個性で笑わせるのはなんか……ズルくないだろうか?そんなことをしていたら、私は周りの人の笑顔全てが信用出来なくなってしまいそうで、滅多なことがない限り、この個性を使うことはない。だって一応ヒーローに憧れる身としてはそういうのはね……と渋る私にその友達はこう続けたのも覚えている。「イロモ◯アに出たら優勝間違いなしだね!」…………なるほど、とか、有りだな?とかそんなこと全然思ってないから、確かにこれは稼げるとか思ってないから。

 

「爆豪は私のことが苦手なんだ」

 しかしこんな個性でも、効く相手には効いたりする。それこそ、あのいっつも悪役面して気取ってる爆豪からしてみれば、私の個性は死ぬ気で避けたいところだろう。だってキャラじゃないもんね。一度アイツを「微笑ませ」てクラス中にトラウマに近い恐怖を植え付けたのは私である。もちろん爆豪には殴られた。あれ以降、私を視界に入れた時の爆豪ときたら、転けた拍子に踏みそうになった犬の糞を股関節を犠牲にしてでも避ける時のような必死さを見せるから面白い。誰が犬の糞だ。

 そう、私自身こんな個性はぶっちゃけ微妙だと、発現したばかりの頃は思っていた。しかし、少しだけ身体も大きくなり、私の気持ち次第で、それこそ微笑程度のものから抱腹絶倒レベルまで操れるようになった。今では我ながらこの個性、侮れないのでは、と思っている。個性発動はノーモーションのため、初対面の相手であれば私が個性を発動したことにすら気付かないだろう。「いやこれ頑張れば酸欠まで落とせるんじゃね?」なんて冗談半分で考えたこともあるが、可能性はなきにしもあらずなので勿論試したことは無い。私はヒーローになりたいのであって犯罪者にはなりたくはないのだ。
 再度手のひらに出来た傷を眺めて一人呟く。

「ついにアイツを大爆笑させた時は『勝った!』と思ったんだけどなぁ」

 取り巻き達のあの唖然とした顔は今思い出しても笑える。結局その後は普通に殴られたんだけど。瞬時に左の頬を守ったら、私以上の反応速度で右の頬を殴りやがった。更には「おお、腫れてらぁ。この際バランスよく腫らしてやるから右も殴らせろブス!」などとジャイアンもびっくりな理不尽極まりない台詞を吐いたのである。(これで爆豪もヒーロー志望だと宣っているのだから笑える。)一瞬、イエス・キリストの言葉が頭にちらついたが、やはり私には奴を許すことなど出来なかった。お前を酸欠にしてその整ってる顔を崩したろうか?私の意思は基本的に抜けかけの乳歯並にグラグラだった。仮に私がいつかやらかしてヴィランになったら名前はキリングジョークでよろしく。……色んなところから大ブーイングが来そうで、うん、これは笑えない。
 などと一人で頷いていると、いつの間にか公園の入口近くの水道まで行っていた出久が戻ってきた。そして何の前触れもなく濡らしたハンカチを私の頬に当ててきたので、思わず身体が跳ねた。

「あっ!! ごめんなまえちゃん、痛かった……? 冷やしたほうがいいと思ったんだけど……!」
「違う違う、冷たくてちょっとびっくりしただけだよ! ……ありがとう出久」

 出久は優しい。それだけでなく、周りの状況にもとても敏感で誰かが困っている時に一番に気付くことができる。(それを爆豪に対して発揮するとそれはそれで彼に理不尽に怒鳴られるのが見てて居た堪れないこともあるが。)出久が無個性だからと言うだけでからかうクラスの子達は、きっと出久自身の「良いところ」を見ようともしていないから、ただ単純に気付かないだけなのだ。

「ご、ごめん……本当は僕が殴られるはずだったのに……」
「へへへ、良いんだよ出久~。そもそもアイツのパンチなんてうちのお母さんのげんこつより弱っちぃのよ」

 女である私を容赦なく殴る爆豪なんて、絶対にヒーローにはなれないぜ。実のところ私は無宗教だが、ああいう奴にはきっと何かしらの罰を何かしら偉い人が与えてくれるはずなのだ。私は一人、そうほくそ笑んでいたのだ、が。

「そ、そうなんだ……? ……なまえちゃんは本当にすごいなぁ。……僕にも、個性があればなぁ……」

 そんなことを言いながらも出久の視線は私の後ろ、爆豪が去っていった方へと流れていく。まただ。彼から受け取ったハンカチをぎゅっと握りしめる。その力が強過ぎたのか、じわりと滲んだ水が雫になって膝に垂れた。

 今は私が出久のヒーローのはずなのに、彼は私を見てくれない。私の個性は人から羨望されるようなものではないからだ。私が出久を助けても、出久が憧れるのは私ではなくアイツなのだ。出久が欲しいのはオールマイトやアイツみたいな爆発的な力であって、決して私のような個性が欲しい訳ではない。
 何故ならこの個性では、絶対にヒーローになれないからだ。先生も親も、出久も、そして何より自分でそう確信していた。母は私が幼い頃から、この個性を「貴女らしいとっても素敵な個性」とよく褒めてくれた。対する私は「ヒーローもヴィランも笑わせて仲良しにさせる」だなんて夢のまた夢のようなことを宣っていたし、頑張ればきっとそうなるのだと信じていた。けれどそれは、幼稚園に入ってすぐ、爆豪勝己の存在によって打ち砕かれることになる。私は、永遠にアイツには勝てないだろう。そんなこと、本当は最初から分かっていたのだ。

「僕にも、個性があればなぁ……」
「……そんなこと気にしなくてもいいんだよ。だって、私は出久のヒーローだからね」

 口からでるのは可笑しな嘘ばかり。その嘘で笑ってくれる彼がいるから、それでいいと思うようにしていた。けれど私は知っているのだ、『出久のヒーロー』は、今も昔もオールマイトだと。
 

 この頃から気付きはじめていた。――私は、緑谷出久の存在に安心していたのだ。
 “無個性”である彼は、決して私よりも上に来ることは無いと、無意識のうちにクラスの子達と同じように、私は出久を見下していたのである。彼はずっと私の下にいて、私に守らせてくれるものだと思っていた。出久の前だけなら、私はヒーローになれる、爆豪を前にしても笑っていられる。酷い話である。一方的に欲をぶつけて、一人で勝手に満足しているだけではないか。これは、プロヒーローがよく言う「守りたい者のために強くなれる」なんて、そんなきらきらした思いからくる行為ではない。それはとっても最低で、愚劣で、淀んだ思い。

『出久は絶対にヒーローになれない、だから』

 自分の根底にある気持ちに気付いた時、ずっと身体を支えていた杭が外れたかのようにバランスが上手くとれなくなってしまった。私の行為は殆どが自分のためで、私一人では成り立たない、脆い虚勢の塊なのだ!出久がいたからこそ、私は愉悦感と偽善が混じったぬるま湯に何年も浸かっていられた。では、出久がいなければ、私はなんだというのだろう。
 そうして改めて思い知らされたことがある。自分の器の小ささと、その歪な形がそもそもヒーローに向いてないということを。

 

*

 その後私は死ぬ気で勉強して、地元で一番偏差値の高い中学へと入学した。こんな個性でも、それを補うだけの学力さえあればあの雄英を目指せるのではないかと思ったからだ。焦って、いたのだと思う。後ろを振り向けば、あのきらきらした瞳がそこにある気がして、私は止まれなかった。「なまえちゃんはすごいなぁ」なんて聞き飽きた声に背中を押されては躓いている。そういう風にしたのは自分であるというのにこんなに疲弊して、今思えば滑稽でしかない。
 小学校の卒業式では出久に泣かれたけれど、私は笑っていた。そう寂しくはない。互いの家は近いから今までと変わらずいつでも会えるということを、彼は忘れていたのだろう。
 私は私で、相変わらず自分のことでいっぱいいっぱいだったこともあり、出久のことを次第に気にも留めなくなっていた。
 気付けば中学3年間で髪は伸びて、肌も少しだけ白くなり、最初は違和感しかなかったスカートにもすっかり慣れてしまった。まだ傷もなくピカピカのスマホには、女子の名前が並ぶ。爆豪程の気性の荒い人間とは会うこともなく、私も年相応の女子らしいものに興味を持ち、随分と大人しくなってしまったものだ。と我ながら思う。その頃には既に、私自身、出久のヒーローであることを諦めかけていたのだと思う。

 中3になり、出久が今まで以上に受験勉強に励んでいた。通学中やイベント事で会う度に、その小さな顔や身体に傷が増えていることに私は気付いていた。一度だけ何があったのか、また誰かに虐められたのかと問いただしたことがある。しかし彼は私から目を逸らして「心配しないで」と笑うだけだった。
 そうして受験シーズンが近づいた頃、親同士の会話から彼もまた雄英を目指しているということを知ったのだ。

 

 かち合う視線がどこかぎこちなさを帯びている。居た堪れなくなって少し視線を落とすと、私と同じ赤いネクタイが彼の胸元にもあった。男の子って凄いな、このまま簡単に抜かされてしまうんだろう。さらにその下、全く違う靴の大きさにそう思い知らされる。

「……出久、背伸びたね」
「えへへ……成長期だし……」
「まだまだ伸びるかな? 出久のお父さんって背ぇ高かったっけ?」
「うーん。どうかな、出来ればもっと伸びてほしいけど……」

 ガタイもよくなった、と私が口を尖らせれば、彼は頬を掻きながら、昔から変わらぬにへっとした笑顔を見せた。

「頑張ったんだ」
「うん、知ってる」
「なまえちゃんも頑張った?」
「そりゃ、死ぬほどね」
「分かる……お互い生きててよかったね、なんて」

 出久の声は以前聞いたよりも少し低く、掠れているように感じた。何もかもが、変わっていく。私が目を逸らしている間にも彼はどんどん大きくなっていくのだ。それは私だって同じはずなのに、何故こんなにも差を感じてしまうのだろうか。

「なまえちゃんも雄英受かったんだ……良かった、これでまた一緒だね」
「んーまぁ、私は普通科だけどね。……って私、出久に雄英狙っているって言ったっけ?」
「え!? いやぁ……はは、かっちゃんに聞いて……というか一方的に怒鳴られて」

 ずん、と石が上から落ちてきたかのように体を縮ませる彼を他所に私は首を傾げる。

「何でアイツが知ってんの?」
「さ、さぁ……そういえば何でかな? そんなことより、僕からしたら何で直接教えてくれなかったのかなぁとしか」
「……それは……、驚かせ、たかったからかな」

 嘘だ。私はまた彼に嘘を吐いている。
 出久がヒーロー科に受かったと聞いた時、私はこの耳を疑った。無個性の出久が、いつも爆豪に虐められていた出久が日本一と言われる雄英のヒーロー科に受かるだなんて――。もちろんとても目出度いことだと分かっている。分かっているけれど、いつか溢れたあの愚劣な感情がまた胸の奥から顔を覗かせる。こういう感情を抱いてしまう自分を醜いと思うし、そんな私に気付く素振りも見せない彼もまた、滑稽だと思った。

「……それにしても出久がヒーロー科かぁ。夢に一歩近付いたね」
「へへ……うん!」
「凄いね、本当に……。……おめでとう出久」

 今日こうして彼に会って私は確信した。彼はもう、見た目も中身も、私の知る弱虫な出久ではないのだ。

「ありがとう! 絶対ヒーローになって、今度は僕がなまえちゃんを守る、から!」
「……あはは、それはちょっと気が早いんじゃない?」
「はは……そうかな?」

 それは、私が髪を伸ばしたから?スカートを履きだしたから?今の出久の瞳には、私はどんな風に映っているのだろう。きっと、「普通の女の子」が映っているんじゃなかろうか。

 

 誰にも言えない秘密。私の個性のヤなところは、やろうと思えばその効果を自分自身にも適用できるところである。


キリングジョーク:Killing Joke
『冗談は止めろ』『おかしくて死にそうな冗談』

 

この後、逃げてるだけの主人公が自分と向き合いながらゆっくりとヒーローへの夢を諦めていく話になるか、なんやかんや不幸が重なり闇堕ちしてキリングジョークになるか。出久のヒーローになれないならヴィランになるわ!っていう別ベクトルにポジティブでも私が楽しい。
※アニメしか見ていない時に書いた作品であるため、その後本誌にて同じ個性のキャラクターが登場していたことを知らず……目を瞑っていただければと思います。
ただ辻褄を合わせるために若干加筆修正しておりますので、ご了承ください。