夢で見たような風景

 「大事な話があるんだ」。あいつにそう言われた時、俺は不覚にも頭が真っ白になった。

 そうやって人を人影の少ない場所に呼び出してやることといったら、ひとつしかないだろう。漫画や映画でよくある典型的なシチュエーション……そう、告白だ。というのも、現に俺だって以前勇気を出してリンを呼び出したことがある。あの時はたまたま通りかかったカカシに邪魔されてしまったのだが……。いや、今は過去のことはどうでもいいだろう。

 まだ冷たい風が吹いているせいか、どことなく赤らんでいるその頬がなんだか眩しくて、俺はそっと目を逸らした。対してなまえの視線はじっと俺の顔に刺さっているのが分かる。その事実にこっちまで顔が赤くなりそうだった。場所も、立場も以前とは全く違うというのに、あの時と、リンに告白しようとした時と同じような感覚を抱き始めているのが不思議でしょうがなかった。

 正直言ってなまえのことをこれまで意識したことはなかった。ただの元同級生。派手な見た目をしているでも秀でた成績がある訳でもない、いつも誰かの斜め後ろで笑っているようなタイプの奴だ。アカデミーでも話す機会は決して多い方ではなかった。リンや紅達がよく話しかけているのを、リンのおまけとして横目で見ていた。お互いが下忍に昇格し、班分けされてからは、ただでさえ薄かった関わりが完全になくなった。そしてその結果、今の今まで全く気にも留めていなかった程度の間柄である。――少なくとも俺からしたら。

 だからこそ、なまえからこうしていきなり呼び出されたのも、そもそも声をかけられたことも、全て異質で異例の出来事だったのだ。

「だ、大事な話ってなんだよ」
「……」

 俺の予想では十中八九「告白」だと思っているので、まだ何にも始まっていないのに既に俺の方が火照っているような気さえする。なまえはなまえで顔面蒼白に近いくらい緊張している様子ではあるが。
 彼女と関わりはなくとも嫌われるようなことはした覚えがない。カカシみたいないけすかない奴ならともかく、人気のないところに誘い込んでぶん殴られるような恨みを買った覚えは一切ないのだから。(カカシの場合、そんな状況になっても、告白だったとしても、いつも通りの死んだ目で乗り切るのだろうが。)

 やっぱり告白か? しかし――そう考えると、猶更ほとんど関わりがなかったというのに、彼女は俺のどういう所が好きになったんだろうかと気になって仕様がない。……自分でいうとクソ恥ずかしいぞこれ。でも誰かに好かれるというのは嫌な気はしないもので、むしろ凄く嬉しい。基本的にリン以外のアカデミーの女子はカカシに突っかかる俺に当たりが強い。思い返してみればなまえもあの凶悪な女子とはまた違った目で俺を見ていたように思う。少なくとも落ちこぼれだとバカにすることはなかった。……ついに俺にもモテ期が来たのではと思うと感慨深い。けどこれもしどこかでアカデミーの奴らが見てたら「調子に乗るな」って言われそうだな……。そっと当たりを見渡して、あくまで何かの罠や罰ゲームだったとしてもクールに振舞えるように備えておく。

 恐る恐る彼女の顔を見やると、依然としてなまえは口をきつく結んだまま俺を見ていた。緊張からじとりとした汗が頬を伝う。おい、だから何でこっちが緊張してんだよ俺!

 まて、だからクールになれって。頭を冷やせ俺。彼女には悪いが俺にはリンがいるのだ。

 「まぁ好きな人がいると言われても諦められない俺みたいな人間もいるんだけどな」と心の内で自虐を吐きつつ、なまえがそうならないことを祈った。いや、そのためにも、まずはこの俺が、きっぱりと、断らなくてはいけないのだ。……別に据え膳なんたらとか全然思ってないから、マジで全然考えてないから。リン一筋だから!!俺は絶対に負けねぇ。何を言われても揺るがねぇからな……。こうやって自分に言い聞かせてる時点でもうダメな気がするとか言うのは無しだ。

「あのね……オビト、私」
「お、おう」

 ――きた。ゴクリ、と生唾を飲む。ぴしっと強張る体をなんとか悟られないように、首だけ動かしてその先を促した。

「私、実はオビトのことが――」
「わ、悪い! 俺にはリンが」
「嫌いなの」
「リンがっ…………は?」

 なまえの言葉に、再度頭が真っ白になる。

「……え? リンがどうしたの?」
「え? いや、お前がどうした」

 何故かなまえの方が不思議そうに首を傾げるものだから、今のは聞き間違いだったのではないかという気すらしてくる。不思議なのはこっちだよ。今そういう空気だったぜ? 経験の有無関係なく、誰だってそういう話だって勘違いしてたに違いない空気だった、のに。

 先程までの緊張と葛藤がサァッと冷めていくのと反比例して、何だかムカムカとした感覚が胸から全身へと広がっていくのが我ながら滑稽だった。

「……ごめんね、これだけはやっぱり伝えておこうと思って――」


 対するなまえはそんな俺の変化に気付く様子もなく、先程までと打って変わって「いつも通り」のトーンで話しかけてくるのである。


「おま、え、さぁ……そういうことは普通思ってても言わないだろ……」
「うん、でもどうしても伝えたかったの。……リンに大事なことは手紙じゃなくてちゃんと言葉で言うべきよ! とも言われたし……。“もう顔も見たくない”って」


 さらっと内容が酷くなってるし。これマジでぶん殴られるパターンだったのか? 記憶を掘り出してみてもこいつに恨みを持たれるようなことした覚え一切ないんだが?

「お前……それ、手紙で言うつもりだったのか……呪いの手紙かよ……絶対いらねぇから……」
「あ、でも内容まではリンにも伝えてなかったから、決断したのは私」
「わーってるよ……リンがそんなひどいこと勧める訳ないだろ」


 っていうかそれリンも勘違いしてるよな? 多分ついさっきまでの俺と同じ方向に。勘違いした上でこいつを応援して背中を押したのだろう。ということは2重の意味で救いが無い俺はもう死んでいいか? いいや死ぬなら絶対こいつを道連れにして死ぬからな俺は。


「一応……て、てめーのために改善する気なんてさらさらねーけど、今後のために聞いておく」
「どこが嫌いかって?」
「あ……ああ、そうだ」
「うーん……それは言えないんだよね」
「いや何でだよ!」
「何ででも」

 あっけらかんとした顔でそう言い放ったなまえに、流石に声を荒げずにはいられなかった。

 果たして理由も無しにそんなことを言う人間がいるだろうか。悪戯のように軽い気持ちでいう人間が。いや、いない。余程性格がひん曲がっていない限りは。そして、いくら関わりが少ないといっても彼女がそんな人間ではないということくらいは俺だって理解していた。彼女は不必要に人を傷付けるような人間ではない。むしろそれが嫌だったから、アカデミーでも、授業でもなかなか馴染むことが出来なかったし成績が振るわなかったことも知っている。それに痛みにも弱い。忍を目指す人間でありながら、ちょっとした傷で涙目になっていたのを知っている。俺が一番知っているんだ。――俺が…………何だって?

 俺は何を考えている?

 喉から手を突っ込んでも触れないようなところに何かが詰まっているような感覚。体の中に得体の知れない何かがあるような違和感を抱いたのは、この時がはじめてだった。

「まぁ一種のおまじないみたいなのだから、気にしないで。これからは積極的に言っていくつもりだけど」
「お前な……」

 少なくとも、俺の知るなまえはこんなことを言う人間ではなかった。だからこそこうして繰り返される意味のないお互いが苦しいだけの会話に怒りを感じていた。この気持ちをそのまま彼女にぶつけられたらどんなに楽だろうか。

「オビト泣いてる?」
「っな! ちがっ!」


 どうしようもない恥ずかしさと怒りで顔の熱が冷めきらないだけだ。と伝えるのも無駄な気がして。


「はは、ほんと、そうやってすぐ泣くところは嫌いかも」

 もうお前ほんとどっかいけよ。
 なんてこと、本気で言えないのは、やっぱりこいつの言葉には全く棘を感じないから。



 そして、彼女も同じように泣いていたからだ。