※幕間ネタを含みます。


 ほんの些細な傲慢さと愚鈍さが、全ての過ちの始まり。私は最初から道を踏み抜いて、修復不能な状態にしてしまったのだ。
 端的に言おう。当時の私はあの青いマントに焦がれていた。青い、青いマント。ロンドンで世闇をかけたあの雷電は、畏怖と共に私の心を撃ち抜いた。淡い淡い、ただの小さな恋心だった。



「マスターが誰を見ているのかは知っていました。ここにいない誰かを見ていることを、それこそ、最初に会った時から気付いていましたとも」

 何せ、私は最高のサーヴァントですから。と、いつも通り薄ら笑いを浮かべて彼は私の手を取る。彼にその言葉を言わせてしまったという後悔から、その声は私の頭に焼き付いて今も離れない。

 いつだってアルジュナが口を開くたびに私は心臓に一本ずつ針を刺されていくような痛みを感じていた。しかしそれはただの自業自得で、彼は何一つ悪くないのだ。
 「違う」、その類の言葉がどれだけ最低で残酷であるものなのかあの時の私は理解していなかったし、きっと彼もそうだったのだろう。
たった一つの傷が、長くいればいるほどに枝分かれしていく。彼が心を開いてくれればくれる程、時折見せる寂しそうな瞳。実際最上レベルの英霊たる彼に「引け目」を感じさせてしまった。ヒビが広がるように、じわじわと確実にその傷の存在感と深さを増していった。

 

*

 

 人理修復を成し遂げたあの日、私は多くのものを失った。私を導いてくれた人だけでなく、誰よりも献身的に接してくれた、誰よりも強く気高い“最高のサーヴァント”をも失ってしまった。彼は最期の最期まで私を守り、大して動揺や後悔の念を見せる事なく、嬉しそうに微笑んで消えた。その瞬間に私の心臓に刺さっていた針の全てが体をも貫通してしまったような痛みに襲われた。
 粉々に壊れてしまった霊基を修復するのは現在のカルデアの人員と設備では不可能である。そう言われた時、ああ、もう本当に手遅れになってしまったのだと実感した。
 オルレアンから共に戦ってくれたサンソンも、セイレムにて消滅させてしまうことになった。またやってしまったと。本当に最低最悪なマスターであると自覚している。しかしサンソンの時もアルジュナの時も、そうでもしなければ先を切り開けない状態だったのだとダ・ヴィンチちゃんは言った。
 幸いにも、サンソンの場合は霊基データはカルデアに残っており再び「同じ」彼を召還することに成功した。本当に同じなのか、一度消えてしまったという時点で確実に何かを失ってしまっているのではないかと不安であったが、再開してその心配は消えた。長く一緒にいたからこそ、彼が私の知る彼であると断言できた。
貴方だけでも戻って来てくれてよかったと、それまで溜め込んでいた思いが濁流のように溢れた。サンソンは醜い顔で泣き噦るマスターに、いつもと変わりない穏やかな声で「彼の執念深さは貴女が一番ご存知でしょう」と慰めた。やはりサンソンは私の知るサンソンのままだった。

 

 

 以前カルナは私に言った。サーヴァントの中には、以前の契約者との記憶を完全ではなくとも覚えている者もいる、と。おそらく、それは契約者と余程の繋がりがあり、忘れられたくないほどの大切な記憶を少しでも残したいと英霊が足掻いた結果なのではないかと思う。
 カルナはこんな情けないマスターにすら、慈愛と敬意、信頼の念をもって接してくれる。それはきっと、別のカルナと別のマスターの関係が良好だったからに違いないのだ。

 しかし、記憶も良いものばかりとは限らない。真逆の、忘れたくても忘れられない程の経験――所謂トラウマレベルの記憶や感情が血痕のように零基に染みついてしまうこともあるというのだろうか。その問いに、カルナは何も答えなかった。

 

 

「――私は、貴女の最高のサーヴァント」

 もう耳に胼胝ができる程聞いた言葉だった。彼は気高き精神を持っているが、元来が自信家な訳では決してない。誰からも望み愛され与えられ、成るべくして英霊となった。彼自身がそう認識していたし、同時にその栄光の過去が彼の心の枷となっていた。しかし彼が英霊たる理由はそれだけではないと私は確信している。

『私こそが最高のサーヴァントだと、胸を張って宣言してもいいのですよ?』
 初めて彼がその言葉を発した時のことを今でも覚えている。あれは懇願に近しいものがあった。それは彼との日々を重ねる毎に回数と重みを増し、まるで何かに救いを求めているかのような有様だった。彼は常に不安と羨望で葛藤していた。当時の私はまだ知り得なかったためその意味を全く理解していなかったが、今の私は彼の中に潜む“黒”の存在を知っている。そして、初対面の時に私が見せてしまった微かな落胆が、ナイフとなって日毎じわじわと彼に痛みを与えていたことも。

「……そうだね、君は最高のサーヴァントだよ。それなのに、こんなマスターでごめんね」

 思えば、本当に彼は私にとって特別なサーヴァントのはずだった。 “今ここにいるアルジュナ”は、何も知らないけれど、もう自分を見失ってはいないけれど、それでも彼はまた私の前に現れてくれた。新たな脅威クリプターとの闘いに一番に力を貸してくれたのは彼だった。召喚された瞬間に泣き出したマスターを前にした彼は、前と同じで不思議そうに、そして少し不愉快そうに首を傾げていたのを覚えている。
 猶更、過去の自分が憎らしい。

「本当に。このアルジュナのマスターが貴女のような小娘だというのが――」

 奇跡的にもまたこうして旅を重ね軽口も言い合えるほどになった今、やはり彼の表情は召喚時よりもずっと分かりやすいものになった。私が謝罪する度に、不快そうに唇を歪ませるのだ。“前”は見せなかった顔。私は、なぜだろう、それがとても嬉しくて、酷く安心するのだ。

「――しかし、何故でしょうね。小娘、だというのに。今や私はその目玉を口を耳を心の臓を、誰よりも強く求めてしまっている」
「……え?」

 予想外な方向へ続いた言葉に私は下げていた顔を上げる。

「そしてそれを手に入れることができないことが酷く苦しく憎らしく、同時に愛しい充足感に包まれるのです。満たされないことが満たされる等と、気が狂ったのかと思われても結構です」
「アルジュナ?」
「ええ、これは全て私の勝手なのです。だから、貴女が貴女であることを謝罪しないでいただきたい。それが貴女にとって1番の罪となるのだから」

 それは、一見救いの言葉のようにも思えた。確かに、思えたのに、私の心は氷雪の中に放り出されたかのように凍えて震えていくのを感じる。

 アルジュナはいつの間にか、笑っていた。全く悪意や嫌悪を感じさせない、慈しみと親愛を込めた瞳で私を見つめているのである。

「……これが何であるのかは分からない。私の中の“私”と共に隠し続けてきたものーー、いや、私すらも知らなかったものをまたも貴女が暴いてしまった。これは貴女の責任でもあるのです。……そう貴方が私を殺し産んだのです。せめて、どうか、その責任をとっていただかなければ」
「責任……?」
「どうか今度は最後まで。最後まで私を側に」

 彼は何を言っているのだろうか。

 おかしい。おかしい。何かがおかしい。彼は“彼”で無いはずなのに、まるで幻聴を聞いているような。

「……だ、誰よりも強くて、大好きな、私の最高のサーヴァントだもん。そんなの当たり前でしょ……?」
「ええ、しかし私は誰よりも強く誰よりも“聡い”のです。だからこうして願っている」


 いつも通り薄ら笑いを浮かべて彼は私の手を取った。
 

「マスターがここにいない誰かを見ていることを、それこそ、最初に会った時から気付いていましたとも」


 違う、なんて言ったこと一度もなかった。私はいつか見た雷電以上に、いつも側にいてくれた“彼”への想いの方が強くなっていった。だからもう一度出会えた時、心から望んだ人に会えたと思ったのだ。だからそんなはずはない。そんなはずはない、のに。けれど目は口ほどに物を言うとというじゃないか。

 つまりはそういうことなのだろう。どうして、どうしてこうなった。どれだけ後悔に思考を巡らせても何の解答も出てこない。

 

(唯一無二の救いなど)

 

違う、それは貴方だよ、と。言う資格も覚悟も確信もーー私にありはしないのだ。