Something That I Want

 フェルトザラートと私は血の繋がった姉弟ではない。事実の上での関係性はあくまで王子と侍女。けれど私達には、他の誰にもない私達だけの共通点があった。

 昔々、太陽の王国では人攫いが問題になったことがある。――正確には、その時が初めてではなかったのだが。
 太陽の王国は長い間戦争も無く、表面上は平和に見えるが、古い時代から悪習として盗みや詐欺など小さな犯罪が絶えなかった。大きな国になればなるほどどこかに陽の光が当たらない部分が生まれるものだ。そうして掬い上げられないまま、国のどこかでひっそりと、悪行を重ねる一族や集団が根付いていたのだ。伝説のプリンセスの物語が語られる反面で、プリンセスの王冠を盗み出した盗賊の物語が語られる家もある。どんなに文明が発達しても古い時代から、皮肉にもこの国の文化の一つのように途絶えることがなかったもの。それに比例してと言いたくは無いが、太陽の王国の刑罰が他の国や地域より重いのもまた、そういった暗い歴史の積み重ねの結果であった。

 話を戻そう。私とフェルトは、幼い頃にそういった輩に誘拐され一時期同じ場所で過ごした事がある。フェルトに至ってはまだろくに喋れもしない頃だ。王子の誘拐は当然国を揺るがす大事件だった。そこまで伝説のプリンセスの再現をしなくても良いじゃないかと、彼の両親は毎日悲しみに濡れたことだろう。私には分からないけれど、きっと「心が引き裂かれるような思い」という言葉はあの時の彼らの為にあった。
 フェルトが物心ついた時、目の前にいたのは私だった。私もまた物心ついた時は、“両親”が側にいないことを何も不思議に思わなかったし、目の前に自分よりも小さな子供がいることも当たり前のように受け入れていた。恐れや悲しみを知る余地もないままに連れ去られたから、彼処が私の家で、彼が私の「弟」であるのだと何も疑いやしなかった。今思えば馬鹿らしい。顔付きだって全く違うし、彼の太陽のように輝く金の髪と私の艶のない黒髪とでは、全く似ても似つかない。二人並んで歩いたとして、姉弟だなんて思う人はいないだろう。
 けれど、まぁ、確かにフェルトの言う通り、あの数年間、確かに私達は本当の姉弟のようだった。記憶も薄れたが、私達を誘拐した人間は私がフェルトの世話ができるようになるとろくに世話もしなくなったし、かと言って家の扉や窓は何処も厳重に塞がれていたために外にも出られなかった。あの狭い家が私達の子供時代を作った。

 その後、人攫いの足取りを漸く掴んだ国の衛兵隊により私だけが先に衛兵隊に保護されることになる。闇が深い夜の事で私は眠っていたため後から聞いたのだが、人攫いはフェルトだけ抱えてまたも逃げ去った。黄金の髪の秘密をそいつが知っていたのか否かは定かではないが、国の王子というだけで利用価値はある。咄嗟の判断で、家も、他の盗品であろう財宝も捨てて、逃走に成功したのだ。
 国に戻った私は当時から衛兵隊長だった男の養子となる。そしてその一年後、フェルトも無事救出された。
 王子の帰還。親子の感動の再会。私はそれを新しくできた父と離れて見ている。国中に明かりが灯り、拍手喝采の中、物語はいつもハッピーエンドで終わる――。

 けれど国で再会した私達は、前のように“仲睦まじいきょうだい”に戻れるはずもなかった。

 私は知っている。鏡に選ばれたとはいえ、未だかつて前列のない女性のナイトレイブンカレッジ入学、そして今回の失態があってもなお、何故在学を許されたのかを。

「余程私が目の上の瘤のようね」


 いっそのことフェルトとはただの他人に戻れたら良かった。けれど再会を喜んだフェルトがそれを許さなかったし、私も最初は純粋に……また彼の傍にいれることが嬉しかった。
 父の立場もあり王子の侍女として、私は配属を許された。孤児だった私からすれば身に余る程の光栄。しかし、本来ならば、太陽の王国に置いて王族の侍従は同性であることが基本だった。
 私達の間に家族“同然”の記憶や絆があったからなんだというのだ。そんな目に見えないもの、どんな魔法が使えたところで証明のしようもなく、側から見れば、年頃の男女であることに違いはない。――それが王の目には快く映りはしなかった。

『――“此度の慈悲に心より感謝致します。この機会決して無駄には致しません。引き続き勉学に励み、成り立ち、性別に関わらず立派な魔法士、引いては父のような兵士になります。いずれは我が国を守るための力になれるよう精進を重ね――”』

 静寂に包まれた部屋の中で、不意に出た自分のため息が思いの外響いた。

 フェルトは今年で16歳になる。古臭い式たりだが、本来ならば将来女王となる相手を見繕う時期だった。そんな時に、元は孤児だった私のような女にばかり構っていたらどうだ。
 それ故に王が動いた。学園長のあの反応からその内容は察することが出来る。そもそも私が入学できるよう学園長に持ちかけたのはフェルトの父、我が国の王であるその男だった。


「別に最初からお姫様になれるなんて思ってもないわよ……なりたいともね」

 書きかけの書類を鏡台の端へと追いやって顔をあげる。

 鏡に映る自分を見るのは久しぶりだった。自分の顔が好きだと自信を持って言えるような人間はそう多くないだろう。私もまた、必要に駆られない限り、じっくりと自分の顔を見ることもなかった。自分で思っていたよりも少し頬の肉が薄くなったように思う。ただ年齢とともに輪郭の柔らかさが消えただけなのか、やつれたのかは判断の仕様がない。……やはり鏡もルージュも嫌いである。こんな私がポムフィオーレだったかもしれないなんて、何かの冗談に違いない。

 “みょうじ”という名前。今や愛おしさすら感じる程に書き慣れてしまったその単語を鏡に映る顔の上でなぞる。姉、侍女、娘。この学校にいる間はその全てから解き放たれると思っていたのに、おかしいな。誰かが私の裾を引っ張るのだ。スカートなんてもう随分と履いていないのに。

 必死で努力して守ってきたもの。自分の力で積み上げてきたと思っていたものが呆気なく崩れ落ちて、それすらも外側からの力によってなかったことにされた。
 まるで今までの努力が泡のよう。……この辛さが他の誰かに分かってたまるものか。

『……どうしていつも隠れるの』

 けれど、フェルトだけはそれを分かろうとしてくる。どんな痛みも分け合えるものだと信じているのだ。どんな時でもいとも簡単に私の懐に入ろうとしてくる、とても心が澄んでて優しい子。誰もが貴方のように誰にでも心を開けるわけじゃない。不可侵領域というものは誰にだってあるはずなのに。

 私は生かされているのか? 鏡が私を選んだのに、自分では道を選ぶこともできないと?

「……違う、私は選ばれて、そして望んでこの学園に来たの」

 自問自答。
 隠れたくて隠れている訳じゃない。こうすることでしか夢が叶えられないから、自分で受け入れてここにいる。

 ふと、鏡台の端に置かれた小瓶が目についた。

 ――そういえば、もう一人だけいるのだ。決してその線は越えることは無くとも、私のことを理解しようとする人間が。
 ただ、観察する。
 私の怒りに、私の痛みに、深みに触れないギリギリを黙って見つめている。地雷を上手く躱し、フェルトのように安易に境界線を越えることはしない。ただ、試験管の外から与えられるもので、どんな反応を示すのか観察しているのだ。
 不気味な程にコントロールが効くとも言える。フェルトは私が望むことも望まないこともしてくれる暴走特急だが、その人は引き際を知っている。寄せては返す波のように、ふと視線をそちらに向けたときにはもういなくなっているような、そんな人。
 その微笑みは本心を悟らせず、その陽光のような言葉は分け隔てなく降り注ぐ。
 だから私はそう言った意味では彼を信頼しているとも言えた。

 あくまで彼は自分の心に基づいて行動している。鳥のように自由な人。それはまるで空に向かって歌っているかのような――。







*







「月の君」


 私のことをそう呼ぶのはただ一人だけだった。
 胡散臭い程にいつも緩やかな笑みを浮かべてただ私を見つめる、変わった人。ポムフィオーレの副寮長、ルーク・ハント。
 彼は美しいもの・興味深いものに対しての探究心が赤子のそれ以上に強い人だった。寮長であるヴィル・シェーンハイトはともかく、レオナ・キングスカラーやリーチ兄弟など、普通の人間ならわざわざ関わることをしないような相手にすら好んで接触するような人だ。自分の事を狩人と表現し、気に入った獲物はどこまでも追う。疎まれて殴られそうになってもひらりと避けては何事もなかったかのようにまた背景へと溶け込む。所謂“奇人・変人”として彼もまた校内で有名な存在であるということを私は出会った後に知ることになる。

 私も彼の獲物のひとつだったのかといえば恐らく違う。初めて出会った時から、彼はキングスカラー等に見せるような執着を私の前に出してきたことはなかった。ただ、“唯一のオンボロ寮生”という肩書きだけを、他の生徒と同じようにその双眸は見つめていたのだと思う。
 時折視線は感じていたし、すれ違い様には軽く声をかけられることもあったがただそれだけ。必要以上に接触はしない。それがむしろ気味が悪くてしょうがなかったのだ。最初は。








「今日は面白いものを持ってきたよ」


 彼はあの日もそう言って笑った。思えば、初めて彼から目的を持って呼び止められたように思う。まだ、あのむず痒い渾名すらつけられていなかった――私が一年生の頃のこと(そしてまだ彼が先輩であることも知らない程度の仲だった頃のことだ)。


「は? ……面白いもの?」

 あの時の私はとにかく絶不調だった。一向に成長しない魔法力に、ジャミルの態度の豹変、相も変わらずちょっかいをかけてくる輩。そして絶えず届く、ひたすらに眩さで溢れたフェルトからの手紙。含みのある学園長の視線――。何もかもにイラついていたと言っても過言ではなかった。先生にすら触れて欲しくなくて、子供のように存分に不機嫌オーラを周囲に撒き散らしていたというのに、よりによってそんな時に彼は私の前に姿を現したのだ。


「そう、君のために作ったんだよ」

 ポムフィオーレ寮生特有の黒い手袋の上に載せられた小さな小瓶。瓶の輪郭をぼかすように、中で何かが発光しているのが見えた。粉状の魔法材でも「発光」という似通った性質のものは非常に多く、見ただけではそれが一体なんなのか判断するのは難しい。

「……それは?」
「ふふ、これはね。妖精の粉さ!」
「……妖精の粉?」
「そう、妖精達は皆優雅に空を舞うだろう? その力の源ともいっていいものだよ」
「そういえば昔何かの文献で読んだ気がするな」

 いや、文献なんて大した物ではない。フェルトに読み聞かせた絵本のなかで見たのだとすぐに思い当たった。大人になりたくない永遠の少年と、その傍を舞う妖精のお話。

「……妖精の粉は、妖精の羽から分泌されるものだったはず。……まさか」
「確かにそれも妖精の粉ではある。フフ……私が愛らしい妖精から粉を振り落としたのでは、と疑っている顔だね……。そんな野蛮なことをすればすぐに周りの妖精から報復されてしまうよ!」

 妖精は基本的にプライドが高く執念深いものだから、と彼はエメラルド色の目を細め小声で続けた。
 ではその手にあるものは?と視線を再び小瓶に戻そうとしたところで、彼はそれをくいと空に掲げた。知っているかい、と秘事を話すときのように声を潜めて彼は続けた。


「本来、妖精の粉は“月の石”から精製されると言われてるんだ」
「……“月の石”?」
「そう、私もつい最近知ったのだけどね」

 (その言葉にどこか引っかかるものがあった。初めて聞いたはずなのに、体の内側で違和感のような物が浮き沈みしているような。しかし――。)
 先程の妖精の記憶のようにすぐに思い当たるものがなく、消化不良の疑問を抱えつつ彼の言葉を待った。


「月の石とは、ピクシー・ホロウに伝わる秘宝」

 ピクシー・ホロウは妖精が住むと言われる谷である。人間が足を踏み入れることはできないとされる場所。私にとっては未だに馴染みのない夢そのもののような単語だ。

 太陽の王国は錬金術、そして人の力によって少しずつ周りの国を吸収し栄えた国だった。故に今も少し古い伝統や伝承が根付いており、歴史の上でも他国より発展が遅れた部分もあった。妖精や魔法使いが物語の上でのみ語られる物だと信じていた時代もあったほどだ。(そのため、国の中でも魔力を自覚する者が現れることは非常に珍しく、今でこそマジカルペンの登場により魔法士も少しずつ排出されるようになったが、それでも鉱石の国や薔薇の王国と比べると圧倒的に数は少ない。少なくとも、魔法士育成の名門であるナイトレイブンカレッジに存在する純粋な太陽の王国出身者はおそらく私だけだろう。)
 茨の谷やピクシー・ホロウのような存在が世界的に知られるようになるまで、“魔法はどこにでも在るもの”という認識が太陽の王国にはなかったのだ。

 だからこそ、次々を彼の口からこぼれてくる言葉に警戒が強まる。その辺りの知識に関してはまだ、私の方が確実に足りていない。騙されている可能性を頭の片隅に置いておく必要があるのだ。

「ふふ、君にぴったりだろう?」

 私の訝しげな視線を意にも介さず彼は愉快そうに口を滑らせる。

「ぴったりってどういうこと?」

 意味不明すぎて頭の中の苛つきゲージが若干増す程度には己の沸点の低さを自覚していた。

「そのままの意味さ。……今の私が持つ君の印象に過ぎないけれどね」
「……。……秘宝って、妖精を振り回して絞り出すよりも入手が難しいと思うんだけど?」
「もちろん、本物ではないさ。けれど、それと限りなく近い成分の石をムシュー・好奇心……友人から入手してね。せっかくなのでサイエンス部で妖精の粉を抽出できないか実験してみたのだよ」
「……その粉を浴びただけでは飛べないってことくらい知ってる」
「おや、流石だね。君の努力が魔法学の今季の成績に現れているとも」
「(まさかこの男、全生徒の成績まで把握している訳じゃないわよね……)」
「けれど、飛行術の成績は奮わないようだ」
「……ッ!」

 彼は私の飛行術の成績がよろしくないことを知っている。よろしくないどころか、クラスでも最低レベルであることも。初めて出会ったときに、人に一番見せたくないところを彼に見られてしまったのだから。

「信じる心がなければ、妖精の粉は意味をもたない。――けれど、つまりは自分を信じれば、飛べる! 無限の彼方までもね!」
「それが本当に本物の妖精の粉ならの話だろ……」
「そう。そうなんだ。残念なことに君は、私も、この妖精の粉も信用してはいない」


 それでも、と彼は続ける。


「君がもし、これを必要とするのならプレゼントしたいと思ってね」


 全く奥が見えない笑顔を浮かべたままそう言った。そんな入手経路から怪しい物を受け取れるか、とつい喉から出そうになった言葉はすんでのところでグッと押し込む。
 彼がなぜいきなりこんな物を私に提示したのかは察してはいた。けれどいざ言葉で伝えられると、こうも肩に重石が乗ったような思いがするとは。


「……それは、望む形じゃない」
「……!」

 同情か、興味本位か、偽善か。それともただの気まぐれだったのか。当時とにかく虫の居所が悪かった私にとっては、どれだけ推理したとしても分かるはずがない相手の感情など知ったことではなく。


「そんな薄っぺらいもので、それで喜ぶと本当に思ったの?」


 ただただ苛立ちのままに吐き捨てた言葉に、さして怒る様子も傷付く様子も見せず。柳のようなしなやかさで彼はそこに立ち続けていた。

「……オーララ、喜ぶと思ったか、ね。私には分からないよ。こうなる可能性も予測はしていたけれど」
「ずっと思ってたけど、その遠回しな言い方は嫌いだ。シンプルに聞きづらい」
「失礼、これが私なんだ」
「……」
「私は君のこと何も知らないからね。君がどう思うかなんて分かるはずがない。けれど、喜んでくれる可能性だってあるのかもしれないと……賭けてみたくなったんだ。何故だか分かるかい?」

 

 ――君が信じることをやめようとしているから。と、彼は言った。


「誰かを信じようとする心、誰かに信じてもらおうとする心。一度でも疑念を持ったら元に戻すのは難しいものだという」
「……他人事みたいな言い方が気に障るな」
「私は基本的に自分しか信じていないからね。……いや、悪い意味ではないよ!」

 ネガティブな意味以外があるのかそれは? そう突っかかりたくなったが、それよりも先に彼に手を取られたことで意識を奪われる。

「とにかく、君が信じることをやめようとしているからこそ、私はこれを押し付けることにする」
「……はぁ?!」
「私を信じなくてもいい。けれど、自分さえ信じられなくなってしまったら、どれだけ勉強や練習をしたって空は飛べないと思うんだ」


 その瞳の奥に明確な悪意が一切感じ取れないことに、私は少し萎えてしまった。


「君もヴィルのように一つ芯を持てば、より美しいものになれる。私は今日確信したよ。そして私は自分の勘を信じるのさ」
「……勝手な人だな」

 


 それから少ししてからだ。彼が気紛れで私の訓練に付き合うようになったのは。
 なぜ彼が私に選択肢を与えたのかも、今となれば薄らと理解できるのだ。あの頃よりも、私たちはお互いがどういう人間であるかを理解している。
 きっと、彼は試しているのだ。今もずっと。私がどうなり得るのかを。じっと観察しているのだ。






「何がきっかけだったか? ああ、それはね。あの頃君の成績が急に上がった理由と、それに反して心なしか落ち込んでいる理由を“偶然”に知ってしまったからさ。……ムシュー・マルチもやり方を誤ったね」