Something That I Want
マジフト選抜メンバー、その中でも狙われそうなメンツが書かれたリストを手に小さくため息を吐く。私がマジカメをやっていないことを知ったユウが書き記していったものだ。主に私が接触しやすいように2年生でまとめてくれているのだろう。
同じクラスでリストに入っていたシルバーには既に警告済みだが、元よりふとした瞬間にどこでも寝てしまうような人だ。いつも体のどこかに葉っぱや糸屑をつけているし、普段から事故に会う確率は人より高いと思われるので本当に気をつけてほしい。特に今日は寝起きで完全にフワついている状態だったので、私の言葉が本当に伝わっているのか怪しいところだ。
授業が終わり、本来であればそのまま寮に戻るのだが、今日は鏡舎の中でしばらく時間を潰すことになる。ここで張っておけば数人は捕まえられるだろう。ユウには悪いがいちいち誰かを探すための時間までを割くつもりはなかった。
メモを貰った時、一番に目に入ったリーチ兄弟の名前には思わず口元が引き攣った。どんな喧嘩でも基本は買ってきた私でも、あの二人には目をつけられたくはなかった。実際にその時がきた事がないので勝てない……と言い切りたくはないが、それ以前に何をしでかすか全く予想できないのが恐ろしい。ユウはまだ関わりが無いようだったので、すかさずあの二人との接触は彼等にお願いしたのだが――。
「ジャミル・バイパーか……」
リーチ兄弟のインパクトでぶっ飛んでいて今改めてメモを開くまで気付かなかったが、この男の名前もあるとは予想していなかった。
ジャミル・バイパー。浅黒い肌に艶のある長い黒髪、切れ長の瞳と熱砂の国の出身者らしい顔立ちをしている。スカラビア寮の副寮長で、私と同じクラスのカリム・アルアジームの従者であるというのは有名な話だ。しかし、それだけ。従者としての能力は非常に高いが、それ以外では特段目立つ部分がない男。かと言ってどこか欠点のようなものがあるかというとそれもなく。妙な器用さと副寮長という立場もあり、選抜メンバーに選ばれていてもおかしくは無い人材ではあるだろう。(そういえばこのメモの中にカリムが入っていないのは何故だろう。リストを作ったのはハーツラビュルのダイヤモンド先輩と聞いたが、もしこの事件に犯人と呼べる者がいるとしても、寮長クラスを狙うのは現実味がないという判断によるものだろうか。)
正直なところ、私は彼のことが苦手だ。リーチ兄弟の分とはまた違う、繊細な理由で。
彼がやたらと私に接触してきたのは、入学してしばらく経った頃だ。今となっては物凄く白々しい爽やかな笑顔を携えて。
思い返せばその目的は明白だった。今と同様にカリムと同じクラスで、その上、不本意な悪評の嵐の中心だった私を危険因子でないかどうか判別しにきただけだったのだろう。
しかし彼は従者として優秀すぎた。情けない話、当時の私には彼の真意を悟る事ができなかったのだ。
衛兵隊長の娘ともなれば、悪意のある人間に利用されることも可能性としてゼロではない。そのため、父から簡単に外の人間を信用してはいけないと、スパイの特徴や話術に関して散々教えられていた。それなのに、何故だか――。いや、その当時は私もまだ学園に慣れず精神的にも不安定な状態だった。それにあくまで周りにいるのはただの学生だからと気を緩めてしまっていたのだろう。
『君はよく頑張っているじゃないか』
簡単に、彼の言葉を信用してしまっていたのである。
「そこで突っ立って何をしてる」
背中にかかる声。記憶の中で思い返していたものとは異なる声色だったが、それがすぐに彼であると理解した。溜息をつきたくなる気持ちをぐっと堪え、ゆっくりと振り返る。
「あー……ジャミルを待ってた」
「……お前が俺を?」
軽く頷いて、少し見上げる位置にある彼の顔を見る。珍しく驚きの色を混ぜた瞳をしている。
「うちの後輩……監督生が絡んでてね。少し聞きたいことがある」
「またあの監督生と煩い獣か……」
早々に用を済ませたかった私は、手に持ったリストを見せながら今回の事件についての詳細を簡単に伝えた。見たところ元気そうではあったが、やはり今のところ特に思い当たる節は特に無いらしい。それならと、一応忠告しているのに、どうでも良さそうに目を細めて適当な相槌を打つ様子に口端が震えた。
「ふん……なるほど。まぁ注意しておこう。俺がそんなミスをするとは思えないが」
「選抜メンバーに選ばれるだけあってもの凄い自信とドヤ顔だね。……よく隠せてるなその面を」
「それで、もういいか? 鏡の前にいられると邪魔だ。寮に帰らせてくれ」
お分かりいただけただろうか。このジャミル・バイパーと言う男、私に対してはやたらと雑な態度を取ってくる。周りに他の人間、特にカリムがいる場合はこんなあけすけな表情を見せたりはしない。出会った頃の一見人の良い笑顔も、今となっては剥がれ落ちて何処かへ吹き飛んでしまった。
おそらく、これが彼の本性なのだろう。きっと彼にとって、この学園でカリム以外の人間は「害がなければどうでも良い」部類に属するのでは無いだろうか。別にそれでもいいっちゃいいのだ。ただ、あまりにもその切り替えといか落差が酷過ぎる。恥ずかしいことに、この学園ではじめて出来た友人だと思っていた相手だったからこそ、ある日突然彼の態度が豹変した時は酷くショック……というより動揺したものだ。当時、何か気に障るようなことをした覚えはなかったから尚更。
はいはい、とこちらも適当な返事で彼に道を譲った。とにかく仕事は終わったのだ。肩の荷が一つ降りた気持ちで「ジャミル・バイパー」と書かれたメモの上にペンで何重にも線を引いた。
「おい、待て」
……貴方がどけと行ったからどいたのに呼び止めるってどういう了見だ。
「まさかお前、そのリストのメンバー全員を回って同じ話をするつもりか?」
「全員は予定してない。ここで目についた奴だけだよ。後30分もしたら寮に帰る」
「……監督生。彼らに対して少し過保護が過ぎるんじゃないか?」
「シルバーみたいなことを……別にお世話してるわけじゃ無いし、必要も無いでしょ。あっちが勝手について回ってるだけ」
「それだけであのみょうじが誰かと一緒に動くのか? あんなに人を避けていたのに?」
どういう訳か今日のジャミルは異様にしつこい。本来なら私のことなど気にもかけないのに。
別に避けたくて避けていた訳じゃ無く、結果的に浮いてしまっただけ。しかし、その後あらゆる印象を挽回しようと動きもしなかったのも事実だ。その理由の一つに自分がいることに彼は気付いていないんだろうな。念願の学生デビューの直後の友人関係で、ある種のトラウマに近いもの植え付けてきたの貴方なんだけど。
……などと正直にいう気も失せていたので「別に避けてない。今回は協力する理由があるだけ」と事実だけを述べる。それに。
「それに、“過保護”に関しては貴方には言われたくないな」
「は、俺と“今の”お前では違う。分かるだろう? ……近頃のお前は少し、いや、かなり間抜けに見える。まるでらしくない」
「は?」
「分からないのか? 付き合う人間のレベルを考えた方が良いということだ」
「……はぁ?」
確かにユウ達の存在によって自分のペースが崩れる事が多くなったという自覚はある。柄にも無く声を上げることも、巻き込み事故でミスをすることも。
でもそれを他者から言われると、妙に腑に落ちないのは何故だろう。端的に言ってカチンと来たわ。結局ジャミルも私に突っかかってきた奴等と同じなのだ。カリムに害をなさない、利用価値も無いと分かればあとは見下し突き放すだけ。その証とも言えるのが「人間のレベル」という言葉に現れている。忠誠心は立派だ、けれどそれだけ。
「グリム……はともかくユウと私は実際に近しい。……きっとこの学園で一番、」
「は!? そんな訳ないだろ、お前は俺が‥‥!」
「っ何、大きな声出して」
彼が声を荒げるところを初めて見たので、驚いて一瞬素の声が出るかと思った。周りで談笑していた生徒達の視線が集まるのを感じた。ジャミルも同様に気がついたのか、舌を向いて小さく咳払いをしたかと思えば、何事もなかったかのような無の顔で向き直る。この辺の感情のコントロールが凄まじく上手いのは素直に尊敬する。
「――いや、何でもない。すまなかった」
「あ、ああ、うん……」
そうは見えなかったが、藪をつついて蛇を出すつもりもなかったので忘れることにした。
「とにかく、私の邪魔さえしなければ、来るものは拒まない。後輩だし使えるものは使う」
「……むしろいいように使われている可能性は?」
「……」
「そこは否定しろよ、寮長」
「……今回は違うから……」
「ま、これ以上オンボロ寮の評判を落とさないように細々と支え合うんだな」
私の言葉に鼻で笑い、鬱陶しい視線から逃げるように彼は鏡の向こうへ姿を消した。何だか短時間でどっと疲れた気分だ。
彼が最後に残した言葉を思い返しながら、今度は別の鏡の方へと移動する。正直評判などどうでもいいのだ。最終的に私の実力が評価され認められればそれでいい。失くしたものを取り返すだけの力も、時間の余裕も私には無いのだから。
*
みょうじという人間が俺の中で意味を持った時のことは今でも覚えている。
魔力が少なくそれ故に魔法が苦手で、唯一のオンボロ寮生。誰も寄せ付けず、悪意を持って寄ってきたもの達は跳ね除けて、そうやっている内に当然のように孤立した存在。
俺にとってはどうでも良い人間の一人だった。ああオンボロ寮の、という認識までで名前だって覚えようとしていなかったし、今後関わることも無いだろうと思っていた。――ある日、カリムの口からその名前が出てくるまでは。
そうなれば、多少は警戒せざるを得ない。何せ、悪評によってみょうじはキレやすくすぐに手が出る人間だと思っていたもので。
少し親切にしてやれば、思いの外短い期間でみょうじは俺のことを信用した。
話せば話すほどに不思議だった。彼は冷静な判断ができる、比較的聡明な方の人間だ。相手に合わせて対応を変えることも本来ならできるはずなのに、どうしてか総合的に見ると立ち回りが壊滅的だった。もっと楽に生きれるはずなのに、その道を選ぶことをしなかった。
みょうじはあまり自分のことを語らなかった。そして俺も。あまりに自分のことを語らないので、ユニーク魔法を使用したこともあったがあまり意味を為さなかった。分かってはいたが彼はカリムに敵意は持っていなかったし、ユニーク魔法も持っていない。大した存在では無いということだけが分かっていた。
「カリムはクラスでどうだ?」
「カリム? アルアジーム?」
ほんの気まぐれだった。話題の引き出しも飢えてきた頃に、自然に会話を続けるのに適当に聞いただけの質問。その頃はすでにみょうじとカリムの関係性も分かりきっていたし、惰性で勉強に付き合っていただけだった。
「たまに聞くんだよ、君の名前を。世話をかけているらしいな」
「別に気にかけてるって訳じゃないけど……」
「カリムが君は優しい奴だと言っていた。俺もそう思うよ。皆にももっとそう接すれば良いのに」
「アルアジームの名がそうさせてるだけだ」
「まさか。君はそんな奴じゃ無いだろう」
適当に事実と世辞を並べ立てて、言葉を紡ぐ。その返答に対して期待もしていなかった。
「……カリムか。いい奴だと思うよ」
「……ああ」 ペンを止めて、彼の顔を見た。彼はこちらを見ていなかった。
「でもああいうタイプは遠目に見るくらいがちょうどいいんだよ。太陽と同じ」
その時、時が止まったような感覚すら覚えたのだ。
「近付き過ぎたらこっちが焼かれるんだから」
あの時のみょうじの目を忘れられない。どこか遠くを見つめる目。その視線の先にいるのがカリムなのか、それ以外の誰かなのかまでを知る術は俺にはなかった。
塔から飛び立とうとして焼かれたイカロスの羽。熱と蝋の相容れない関係――。
黙り込んでしまった俺を置いて「悪いけど私じゃ友達にはなれないタイプだ」と罰の悪そうな顔で笑った。その顔は、今思えば自分を恥じている顔のようでもあった。けれど俺はそれをおかしいとは思わなかったし、真理であるとすら思った。よく、分かってるじゃないかと、そう思ったのだ。
彼はただ愚直な訳ではなく、自分の考えに真摯なだけなのだと思い知る。
そして、どうでも良いと思っている。
諦観の透ける目。自分の手に無いものは無いものとして切り離しているのだ。
だから“無駄な手間”をかける必要はないと思っている。
その時分かったんだ。お前は俺と同じ目をした同じ部類の人間なんだと。
お前は、俺と似ている。一番近しいのは俺だ。決して監督生などではではない。
だから、友としてお前のことを一番に分かるのもきっと俺だと――そしてきっとアイツなら素顔の俺をわかってくれると――、そう思いたかったのに。
『じゃあ、俺と友達にならないか』
あの時、どうしてもその一言が喉に痞えて言い出せなかった。