Something That I Want
みょうじという男がいる。
ゴーストの出る曰く付きのオンボロ寮に一人で住み、その上ほぼ強制的に寮長をさせられている運の悪い奴、というのが彼に対する周囲の認識だ。本来であれば寮長という肩書は非常に名誉なものであるが、オンボロ寮にいたってはその常識が通用しない。むしろこの学園において唯一オンボロ寮に指名された存在として見下される対象だった。
彼は、申し訳程度の魔力しか持ち合わせていなかった。その結果、どこの寮にも相応しくないと鏡が判断したのだ。
魔法士を養成する名門ナイトレイブンカレッジにおいて、何故魔力の素養が乏しい人間が選ばれたのか、疑問に思うのはおかしなことではない。しかしそれだけに留まらず、異質な存在を嫌悪し排斥しようとする者、格下と断定して虐げようとする者が少なからずいた。
それらの勢力を、彼は入学してからのこの一年をかけて跳ね飛ばした。至ってシンプルな、物理的な力をもってして。
『みょうじに物を持たせてはいけない』
それが、今となっては彼の名前とセットで付いてくる言葉だ。無理だろ、と思ったのは俺だけではないだろう。
どこで習ったのか、彼は剣術や体術に非常に長けていた。己に害を為そうとする存在はその辺にあったモップでも、箒でも、フライパンでも、なんならマジカルペンですら凶器に変えて血の雨を降らす。(というのは勿論あくまで例えでそれくらい返り討ちにあった者からすると恐ろしかったのだとか。)
そう、魔法に関しては悲しいほどに才能がないが、彼の手にかかればマジックペンすら鈍器に変わる。「仰る通り? どうせ魔法も下手くそなので?」と青筋を立て、怒りで口元を痙攣らせながら魔法石で相手の脳天をぶっ叩いてるところを俺も一度見たことがある。勿論その後両者ともトレイン先生にこっぴどく叱られていた。彼に良くないところがあるとすると、やたらと交戦的なことである。
そんなことがあって、ゼロとまでは行かないが彼に対して直接茶々を入れるような輩は段々と減っていった。結果として、別のベクトルで腫れ物扱いとして学園内で浮くようになってしまったのが現状である。
確かに黙っていると顔付きに少し険があるというか、目が大きくつり目がちなのが相まって近寄りがたい雰囲気を醸し出している、のだろうか。
しかし常に人当たりが悪いわけではない。相手から喧嘩をふっかけられない限り、基本的には大人しいものだ。質問や相談をすれば普通に答えるし、何なら望んだものよりもプラスアルファで返ってくる。NRCにおいては親切な方であると思う。……返ってくる際のその言葉の打球に少し棘があるのは否めないが。
あまり人と好んで関わるような奴じゃないが、イデア先輩のように集団行動が苦手という訳でもなさそうだ。元が聡明なのだろう。おそらく必要に応じて愛想を振るかどうかを見極めているのだ。
「シルバー、どうした? 授業は終わったけど」
「……ん、いや。考え事をしていただけだ」
そして幸いにも、俺は知らぬうちに判別され、比較的友好な関係を築けているようだ。
人間関係構築が器用なのか不器用なのかわからない不思議な人間である。しかし、そういうところを、実は好ましく思ってる自分もいたりする。
「あ、そう……。……また、髪に糸屑ついてるよ。右側」
「ん……? あぁ、すまない」
「また授業で寝てたんじゃないの。瞼が軽そうなところを見るに」
「あー……まぁそうだ。……お前は本当細かいところによく気付くな」
「いや、シルバーが抜けてるだけ。悪いけど櫛は持ってないから自分でどうにかして」
そう言って、手をひらひらと振って俺を追い越していく。
唯一のオンボロ寮生。部活に入っている訳でもない彼は、いつも一人で授業を受けて、それが終われば真っ直ぐに誰もいない寮へと帰るのだ。
本当は割と世話好きで、クラスメイトであるカリムのちょっとしたミスをフォローしたり、テストで良い点を取ると机の下で小さくガッツポーズをしていることも、喧嘩に勝った後は勲章をもらったかのように上機嫌になることも、ぎろりと睨みを効かせている目も、笑う時は水に揺れる月のように形を変えることも――。
知っている人間は少ないのだろう。いや、彼自身がそれを隠している。
気が向いた時だけ寄ってきて、近寄ろうとすると離れていく。爬虫類のそれのような、少し変わった、俺のクラスメイト。
それが、いままでのみょうじだった。
*
俺の知るはじまりは2ヶ月ほど前のこと。
「ナイトレイブンカレッジの面汚しめ」
そんな声が聞こえたのは、少し遅めの昼食を食堂で取っていた時だ。
2年になって、みょうじを取り巻く環境は劇的に変化した。望んでいたかどうかは分からないが、彼は一人ではなくなった。――オンボロ寮の新入生は、みょうじ以上に変わった、奇妙なコンビだった。
全く魔法が使えないという少年と、魔法の使える猫のような姿をした喋るモンスター。当初はその成り立ちから生徒としてではなく雑用係として学園に残ることを許され、オンボロ寮に配属されたらしい。しかしどういう訳か、結局正式にオンボロ寮生になった。自分のはじめての後輩になるとは流石にみょうじも予想していなかったようだ。
あの日監督生達は、まるで昔の彼のように意地の悪く排他的な輩に絡まれていた。たまたまみょうじと並んで昼食をとっていた俺は、自然と手を止め彼の方を見た。驚くほどに何も変わらない。眉ひとつ動かすことなく、皿を両手で持ちスープを平らげることだけに集中しているようだった。
先輩であるとはいえ、監督生達と関わり合いになりたくないという意思が彼の中にあることは薄々分かっていたが、少しは過去の自分と重ねて思うところはあったりしないのだろうかと、若干彼に対して失望に似た思いを抱いたのを覚えている。
その間も監督生に注がれる理不尽な罵倒と、それを面白がる視線の数は増えていくばかり。その日はあの猫のようなモンスターも近くにいなかった(卓上の様子を見るに、自分の昼食が終わり次第彼を置いて遊びに行ったのだろうか)。
友人も頼れる存在もまだいないなのに、入学して早々これは流石に同情する。そう思い、席を立とうとした時だった。
「魔法が使えない奴ばかりがオンボロ寮に入ってよ。品位が落ちるっていうか、他の生徒の為にも寮ごと消えてほしいぜ」
その言葉が聞こえた時、隣の席は既に空になっていた。いくつかの食器も、その席に座っていた者もだ。俺は瞬時に察した。
「……私が魔法を使えないといつ言ったよ? 覚えの悪い耳を潰すくらいの魔力ならあるけど?」
いつもの彼を見ている人間ならば分かる。己のことも侮辱されたとなれば、流石に黙っているはずがないのだ。たまたま監督生と近い席で食事をしていたみょうじの存在に気付いていなかったのが、相手の敗因だろう。
「ゲ、みょうじ……」
「おヤァ、見知った顔。そんなにまたブラシでしばかれたいの? なんなら今度は歯ブラシでやってやろうか?」
ちょうどこれから歯を磨きにいくところだったんだ、と弾むような声で続けるがしかし、その目は全く笑っていなかった。
絡んでいた男は、みょうじに対して嫌な思い出があったのだろうか。彼の姿を見るなりあからさまに顔色を変えて逃走した。そんな男の後頭部を目掛けて、彼は豪速球で何かを投げた。奴が食堂を出ようとしたところで見事にそれは命中し、短くも情けない悲鳴が食堂に響いた。
一瞬で静かになった食堂。今まで傍観していた者もそうでない者も我関せずと何事も無かったかのように各々の食事を再開し出した。
「何を投げた」
「だから歯ブラシ。新しいの買わないとな」
「お前に触れられる物が可哀想だと時折思うよ」
「仕方ない。だってあんな奴に魔法使うまでもないからさ」
監督生はといえばぼうっと席に座ったまま、突如現れたみょうじと一瞬の出来事に目を見開いたまま固まっていた。
「あの人、投擲90くらいあるだろ絶対」
「あぁ、何でもポムフィオーレ唯一のパワータイプ、ルーク・ハント先輩に師事を仰いでるらしいぞ…。跳躍も多分70はある」
「マジ? あの人そんな物理ステータスに全振りして何と戦うつもりなの。寮長対抗スマッシュブラザーズでも開催されんのかな……」
「なにそれこわ……とづまりしとこ」
「うちの寮長死んじゃう」
それまで後ろの席で静かに食事をとっていたイグニハイト生達の会話は、俺にはよく分からなかったが、みょうじを称賛するものであるということだけは分かった。
みょうじの対応は決して褒められたものではないかもしれない。でも確かに、人によっては「憧れ」に近いものを抱いてもおかしくない。俺は球技に詳しくないが、あの肩があればきっと三振が取れる。そう思う。
*
あの事件があってからだ、監督生と猫がみょうじの周りを隙あらばついて回るようになったのは。
「先輩、みょうじ先輩! 大変なんです!」
「手を貸して欲しいんだゾ!!」
「あーーうるっさい!! 分かった! とりあえず話は聞くからその汚い格好のまま近付くんじゃない!! 実験着が汚れる!!」
彼の声がナイトレイブンカレッジに轟くのは、珍しい。今まで喧嘩や決闘を行う時も基本的に騒いでいたのは相手の方で彼は静かなものだった。相手のレベルを見定めて、冷たく見下すか愉快そうに闘志を燃やしているか、そのどちらかが彼の基本だった。
だからこそ、その悲鳴に似た甲高い声を初めて聞いた時、ぎょっと目を見開いたのは俺だけではないだろう。
「話は寮で聞くから一回去れ! 帰れ!」
「絶対、絶対ですよ先輩!! 前そう言って寮に帰ってこなかったの忘れて無いですからね!」
帰ってこなかったってお前その日どこで寝たんだ。
渋々帰っていった一人と一匹の後ろ姿を見送ってから彼は大きな溜息をついた。心の底から面倒だと感じているのだろう。実感その表情に諦観の色が見えるのが俺としては驚きだった。
「あの感じ……また面倒ごとに関わってるな……」
「……あぁ、そういえばハーツラビュル寮の事件も」
「そうそう。勘弁してほしい、本気で」
確かに、彼等の様子を見るに真剣に困っている様子ではあったが……。
「……お前、後輩が出来て変わったな。いや、むしろそれが本来の姿か?」
「……はぁ、ちょっと、身内を思い出してつい……。……少し甘やかし過ぎている? そんな風に見える?」
頬杖をついた状態で視線だけをこちらに寄越してくる。そんな行儀の悪さを見せるほどに疲れた彼を見るのも初めてだった。
「いや、別にそうは思わないが……。後輩に頼られているのは良いことなんじゃないか。俺は、あまりそういうのが得意ではないから」
「あーあの声が大きくて生意気な後輩か。確かにアレもなかなかクセが強そうだ」
「生意気……いや、セベクはまた関係が複雑でな。単純に後輩と呼べないというか……」
「だとしてもシルバーは優し過ぎる。せめて敬語くらいは使えと言ったほうがいい。……敬語使ってりゃ先輩を振り回してもいい訳じゃないけどね」
「大変なのは分かるが、力を抜け。マジカルペンが折れるぞ」
俺の言葉にはっとした様子でマジカルペンから手を離した。音を立てて机の上に落ちたそれを見て、居心地悪そうに彼は口元を歪めた。もしかしたらそれは照れている表情、だったのかもしれない。
「……そういえば、シルバーもマジフト大会に出るんだってね」
「ん? あぁ、一応な」
「ディアソムニアは寮長が寮長だから、応援する必要はないと思うけど……」
「そんな事はない、出場するからにはマレウス様の足で纏いにならないよう全力を尽くす」
「シルバーはそういう奴だったね。とにかく……今年はどの寮もいつも以上に本気だと思うから頑張れ」
「……寮長会議で何かあったな」
そういうこと、とさも他人事と言わんばかりの悪どい顔で彼は笑った。
けれど、俺には小さな確信があった。彼はきっと、これからあらゆる事に対して無関係ではいられなくなる。不思議な監督生の存在がきっとみょうじを傍観者の立場から引きずり出すのだ。
それを、友人として少し寂しく思っている自分がいた。