LEGACY

Who tells my story ?

「……駄目か」


 誰かの声がぽとりと落ちる。落ちただけマシかもしれない。気を遣わせて、辺り一面が静寂になってしまうよりは事実を突きつけられた方がいくらかマシだ。 
 これで何度目になるだろうか。貴重な聖晶石という虹色の石と限りのある電力をその度に消費しながらも、点々と浮かび上がる光が線を結ぶことはなかった。
 英霊どころか魔術の存在すらここに来るまで知りもしなかった私が、今こうして英霊召喚を試みている。そんな状況に対する疑問や困惑は最早消え失せた。ただ、失敗する度に流れるこの鉛のような鈍く重い空気感にはいつまで経っても太刀打ち出来ず、ただぶちりと押し潰されるのだ。

 私にも英霊を召喚するための適正があって、“それ以外”を補填するだけの技術力もあるのだとドクターは言った。カルデアの前所長であるマリスビリー・アニムスフィアによって作られた召喚式『システム・フェイト』。既にマスターである(というより本来“人類最後のマスター”であった)リツカもこの召喚式を利用して数多の英霊をこのカルデアに召喚している。
 ドクターは言った。リツカと私とで魔術師としてのパラメータはそう変わらないのだと。その後に続く言葉は予想に容易かったが、「そもそも魔術師であった覚えが今までの人生で一度も無い」と待ったをかけると、全く同じ事を以前彼も言っていたとドクターは苦々しい表情で零した。その際にできた目尻の皺の形が妙に記憶に残っている。


「彼には進んでもらうしかなかった」
「僕はそれを強いることしかできない。君に対してだってそうだ」
「だから、君にならきっと分かる。彼のことを、分かってあげてほしい」 



 それなら、私のことは一体誰が分かってくれるというのか?





*




 無機質な白い部屋。外が豪雪地帯であるということから必要最低限の室内温度が保たれているようだが、生活感がないというただそれだけでどことなく寒々しい思いがする。これが仮に旅先のホテルであれば喜んでいた程度の部屋の広さもまた、肌寒さを加速させた。
 いつまで経っても馴染むことがない。この部屋にも、カルデアにも。自分でも分かってしまう程度に今の私の存在理由が薄すぎるのだ。この部屋に戻ってくる度にその思いは鉛石のように募っていく。それでもまだ繰り返し目覚めることが出来るのにはたったひとつの希望があるからに過ぎない。誰にも知られること見られることもない、細く不確かな糸のような希望。

 ――まだ、まだなんだ。
 天井に向かって私はただ返ってくるだけの言葉を投げる。

 私だけがコフィンから目覚めて今こうして呼吸をしている。他に優秀な魔術師はいたはずなのに、私だけが、何故か。何故私だったのか? その答えを教えてくれる人は、ここにはいないのかもしれない。もしかすると、どこにもいないのかもしれない。本当にただの偶然であったという可能性だって勿論ある。けれど、けれどもし、私であったことに意味があるのなら、きっとその時が来る。“何にも無いのに”生かされているだなんて、思ってしまう程に絶望したくなかった。今までだって、そこに至る前に誰かが手を差し伸べてくれた。だからこそ、まだギリギリ、見えるところにいながらも私は絶望に落ちてはいない。


 ――待つんだ。
 記憶に残るのは僅かばかりのものだが、思えば私は何時だって何かの訪れを待っていた。生まれたときから、ずっと。

 肉親の顔を憶えるよりも前に預けられた孤児院で、私はずっと待っていた。誰かが来てくれるのをずっと待っていた。捨てられた、という事実について頭が理解できるほど大人ではなかったし、ただ本能であるかのように“次”を待っていた。過去を悲しむ程、本当の親の記憶も無く、自分で現状をどうかできるだけの力もなく、ただ待ち続けていた。そして実際に二人は訪れた。まだ小さく弱い私を、優しく、時には厳しく。血の繋がりもない私を本当の子供のように愛してくれた。二人の顔を思い浮かべると、一気にぶわりと涙腺が緩んでしまい、頭を振ってそれを誤魔化した。

 そう、だから、きっといつか成功する。


 ――成功したらどうなる?
 成功すれば、ここでももっと上手く息ができるようになるに違いない。逃げる場所すらないこの場所で、生きていくためにはそうするしかないのだろう。根拠もないその思いに縋りついている私を知ったら、リツカは何て言うのだろう。例え誰に嗤われたって構わないけれど、彼にだけは、決して知られてはいけないという確信だけは胸の内にあった。
 そう、私はただここで立ち止まっている訳じゃない、機会を待っているんだ。そう、ただ、待っているだけ。その時が来るのを。ずっと――。




「けどなぁ、相手もそれを待ってたらどうする?」


 突然、上空から降ってきた問いかけに、私はベットの上で仰け反った。


「一応、ノックはしたんだが……まぁ大丈夫だろうと思って入った。悪かったな」


 いつの間にか目の前に立っていたのは、リツカのサーヴァント――ペルシャの大英雄であるアーラシュだった。神話や歴史に造詣が深い訳ではないので、正直なところ、その名前を知ったのはカルデアに来てからが初めてだった。
 流石勇者といった体格は勿論のこと、漆黒の髪と褐色の肌、そして鮮やかな衣装が、色素の薄いこの部屋においては随分と存在感を増している。
 私は普段食堂にてミスター・エミヤやその他のスタッフとともに食事の手伝いをしている。サーヴァントは本来食事を必要としないらしいが、リツカの意向もあってなのか、食事の時間になるとサーヴァント達が数日おきに食堂を訪れる。その際、特によく姿を見せるのが彼だった。

「エミヤがあんたを探してたんでな、呼びに来たんだが……」
「そ、そう……」

 時折、彼の真っ黒な瞳が私を刺すような鋭さを持ってこちらを見つめていたのを私は知っている。彼は竹を割ったような性格で、普段の会話からもそこに私に対する嫌悪や侮蔑のようなものが含まれていないことは理解してはいたが、感情の色が見えない視線というのもまた恐ろしいものである。彼は私の何を見ているのだろうと、考えることも億劫な程だった。
 依然として、彼の双眸は私を見つめている。こちらとしてはもう腰を上げて部屋を出て行きたいところなのだが、私を呼びに来た張本人であるはずの彼がそれを許してはくれなかった。

「……俺が言っても説得力はないかもしれないが、あんたの事を待ってる人もいるんじゃないか?」
「……どうして、それを」

 さっきのは聞き間違いなどでは無かったらしい。まるで心を読まれたかのようであった。サーヴァントは、現在を生きる私達人間では持ち得ないような力や知恵を持っているとは聞いていたが、彼も同じなのだろうか。相手は人間ではないのだ、と改めてまざまざと見せつけられたような気がして、尚更この場から逃げることは出来ないと悟った。

「私を待ってくれているような人が、いると思うの?」

 ぽつりと、恐る恐る呟いた。それはこのカルデアで、初めて他人に零した本音だったかもしれない。

「いるさ。きっといる。確かにあんたを救ってくれる人も、待っていればいつかは現れるのかもしれない。だが、あんたの事を待ってる人はどうしたらいいんだ」

 などと、妙に確信めいた表情で彼が言い切るものだから、私は少しだけ気持ちが後退してしまう。だって、そんなことは一度も考えたことがなかったのだ。自分で言うのも何だが、私は確かに“恵まれていた”から。そう信じて、ただ周りに合わせて受動的に生きてきたからだ。

「でも私、リツカと違って、強くもないし、」
「……うーん、それは比べるものじゃないと俺は思うけどな。確かにうちのマスターは良くも悪くも変わってるかもしれないが、それはあんたも同じだぞ」
「……縁だって結んでない」
「そんなものこれから結べばいいだろう。……んー、と言ったところで今理解しろってのは難しいよなぁ」

 思案するように彼は数度小さく唸った。それからしばらくして、嫌味のないからっとしたいつもの笑顔をこちらに向ける。

「大丈夫。あんたはいい子だ。よっぽど変わった奴じゃない限り、上手くやれるさ……だから」

 今すぐでなくてもいいから、いつかは気付いてやってほしい。と、今度は少しだけ眉を下げて笑った。

「じゃないと、誰も報われないもんな」

 その言葉の意味が、私には分からなくて。




*





「なまえは、素直でいい子だ。“こんなもの”使わずとも、分かりやすくて……うん。……子供らしい可愛さがある。あの子のサーヴァントになる奴は、素直すぎて逆に心配になるくらいかもな」

 誰に話しかける訳でもないのに、わざわざ声に出したのは、何れ来たる誰かに届ける為かもしれなかった。
 そう、子供。まだ子供なのだ。そんな相手にこれから起こり得る多くの戦いに身を投じるように仕向けるのは、心が痛むことだ。けれども、このまま放っておくのは彼女にとっても、カルデアにとっても――そして藤丸立香にとってもよろしくない。現実的な所、今のカルデアのでマスターが一人しかいないという状況は本来狂気的であった。誰もが、こうするしかないと、これ以上を求める術もないと思っていた。
 それはきっとカルデアに居る全ての者の心の奥に隠れた、確かな事実。ある種の保険。予備。考えたくもない、“もしも”が起きた時の最終手段。

 そこでふと、自らのマスターに想いを馳せる。空のように澄んだ青い瞳の少年。彼は、どうだったのだろうか。
 自分はカルデアのサーヴァントの中でも比較的早く彼と契約したということは知ってはいるが、その始まりは知らない。恐らく、それを知るのはドクターを始めとした生き残りのスタッフと、彼の隣を歩くデミサーヴァントの少女だけなのだろう。俺たちサーヴァントは皆、その始まりを知らない。何もしらない。けれど、なんとなく想像は出来た。

 ――きっと、彼は迷う時間すらもなかったんだろう。



「その素直さ……うちのマスターに、少しだけ分けてやってほしいくらいだ」