LEGACY

Who tells my story ?

 奇妙な感情が心の内でさわさわと波音を立てていた。心地良いようで、むず痒さもあって。喉の奥に詰まったものに、もう少しで手が届きそうで届かないイメージ。こういうのをデジャヴと言うのだろうか。どこかで、会ったような。どこかで……。


 その正体に私はしばらくしてから気づくことになる。ああ、そうだ。$10(テンダラー)だ。

 

*

 

「僕はアレクサンダー・ハミルトン」

 美丈夫だな、というのがパッと見での印象だった。切り揃えられた長めの前髪が、眉毛を殆ど覆ってしまっていて表情の差が分かりにくい。それでも異様な程に輪郭のはっきりとした、紺碧の海を思い起こさせる情熱的な目が真っ直ぐにこちらを見つめているのだけは分かる。
 特に印象的なのはその下にある鷲鼻だろう。髭もない若々しい顔立の中で唯一のその鼻がどこか荘厳な雰囲気を醸し出している。腰辺りまで伸びるストレートな髪を後ろできっちりと一つに括り、少しばかり神経質そうな印象も受ける。毛先の方だけが白髪なのが不思議だ。
 そう、確かに不思議ではあるのだが、どう見ても普通の人間にしか見えない。この人は、本当にサーヴァントなのだろうか? 確かに彼が身に着けている衣服は今の時代ではなかなか見られないようなものではあるが、思ったより……普通だった。リツカが召喚したサーヴァントの殆どは派手な格好をしていたり、角や尻尾が生えててたりと、見た目から明らかに「違う」と分かった。もしくは、見た目は普通の少年少女でも纏うオーラが異常だったり。私に魔術の素養というものが無いから尚更そう感じるのだろうか。
 じろじろと見つめ過ぎていたのが悪いのもある。身長差もあってかしばらくお互いに睨み合いのような状態が続いた。
 と、そこで自分がまだ名乗っていないことに気付き、慌てて口を開く。

「ああ、ごめんなさい。私の名前はなまえ……なまえ・みょうじっていうの」
「なまえ……アクセントの強さからして君はアメリカ人か?」
「え? う、うん。ニューヨークに住んで……た。……それでその……本当にあなたが私のサーヴァント?」

 勿論だとも、とそこで彼は私にはじめて笑顔を見せる。

「僕の愛しい子、出逢えて良かった」
「……? いいえ、私の父はジョージです」


 最初から妙に噛み合わない挨拶に不安を覚える私を余所に、「すごい、英語の教科書みたいなやりとりだ」と、いつの間にか隣にいたリツカが笑った。

 

*

 

 アレクサンダー・ハミルトン。アメリカ合衆国建国の父の1人であり、初代アメリカ合衆国財務長官。『ザ・フェデラリスト』の主執筆者でもある。――というのが、学校で習った最低限の知識だった。
 彼を除く他の建国の父の話はアメリカにおいて広く語り継がれているが、ハミルトンだけはその中では比較的知名度が低いといえるだろう。彼は生きた時間があまりにも短過ぎた。そしてその出生と、行き様故にも。
 しかし彼の成し遂げたことの全てを知らずとも、その顔はアメリカに住むものにとっては馴染みの深いものであるといえる。そう、何故なら10ドル紙幣に描かれた男、その人物こそがアレクサンダー・ミルトンだからだ。

「聖杯からの知識もあるにはあるが、どうしても僕には“本を読む”ことが癖を通り越して生き甲斐になっているようだ。英霊になった今でも」

 カルデアから宛てがわれた部屋は白と基調とした無機質なもので、視覚的にも精神的にも、慣れるまでには多少の時間を要した。少しばかりの抵抗として、今は使われていない部屋からちょっとした小物や文房具を頂戴している。(提案者はリツカなので、彼もきっと同じなのだろう。)
 仮の住まいであるとはいえ、ここ1カ月程、この部屋は私だけのものだった。が、今はどうだろう。机には分厚い本がいくつも積み重ねられ、出所も分からない書類が隙間なく敷かれている。机の周囲には所々破れた紙が乱雑に散らばり、意外にも綺麗とは言えない文字がその中で暴れ狂っているようにすら見えた。神経質そうだとか言ったのはどこの誰だよ。ああ、私か。

「小さいキャスターが電子書籍というものを読んでいたが、やはり僕には紙をめくる感触がないと調子が狂う」

 この“人”――と果たして形容していいのかどうか分からないが――はやたらと独り言が多い。そういう性質なんだろうということは出会って僅か1日で察した。とにかく、よく喋る。だのに、私が反応すれば「君に言ったわけじゃない」とくるからこちらから声をかけるのも嫌になってからどれほど経ったか。
 ――こういうこと言ってはいけないのかもしれないが、『英霊ってもっと人間とは違うものだと思ってた』。少なくともリツカはこんなこと教えてくれなかった。
 ひとつ、ため息をついて寝返りを打ち、彼の背中をじとりと睨んだ。

「……sir」

 寝たくとも、さかさかと走るペンの音やページをめくる音が耳をくすぐって上手く集中できないのだ。そして時折漏れる独り言も。瞼はこんなに重いのに、妙な緊張感がそれを阻んでいる。

「ん? 立場的に、今は君の方が上だと思うんだが?」
「と、言われても……どうみても年上だし……。正直、マスターというのもまだ実感が湧かないんだ」

 背を向けたまま、なんとも無いように返答してきたのがまたこちらを困惑させる。ただでさえその存在に困惑しているというのに。いや、呼んだのは、願ったのは私なんだけど。

 ハミルトンはなんだか、ものすごく、人間くさい。


「なまえの好きなように呼んでくれ」
「そうね……じゃあ、アーチャー……?」
「何だ?」
「……いや! やっぱり、藤丸くんのサーヴァントにもたくさんアーチャーさんはいるし……Mr.ハミルトンと呼んでも?」
「勿論」

 その間も振り向くことなく手を動かしていたから、彼にとってはそれらより価値の低い事柄なんだろう。愛称って結構重要だと思うんだけどな。
 私はこれから彼を「ハミルトン」と呼ぶ。彼は出会った時から私を「なまえ」と名前で呼んだ。先程の口振りからして、マスターと呼んでほしいと言えばきっと彼はそれに従うのだろう。とはいえ、カルデアに「マスター」は一人でいいと思っている自分がいるので、そう呼ばれることは一生ないだろう。何より、建国の父の一人である彼に私のような小娘を「マスター」と呼ばせるなんて恐れ多いを通り越して正気の沙汰ではない。それから、単純に紛らわしいし。
 そんな事を考えていたら、眠気の波が少し引いてしまった。ベットから上体を起こし、正面から彼の背中と向き合う。……背中と向き合うというのもおかしな話だが。

「……私、ハミルトンのこと、実はそんなに詳しくないの。アメリカの血をひいていながら恥ずかしいことだとは思っているけど」
「それで?」

 食い込み気味に返ってきた問に、ぴくりと上唇が震えた。
 それから数秒考えて、口を開いた。

「ええと……貴方がアーチャーなのは、銃を使うからだよね?」

 こんなところで遠慮したって意味はないだろう。ただでさえ知識が足りないのだ。
 スタッフに貰ったデータベースによると「アーチャー」に属する英霊は、弓矢等の飛び道具や、銃器類の射撃能力が高かったり、それらに関連した逸話がある者が該当するという。そして他のクラスより単独行動スキルが高いという特徴があるようだ。
 ハミルトンを召喚した時、彼の右手には確かにマスケット銃があった。今は必要な時ではないからなのか、彼の周囲には見当たらない。どうやら英霊は、自分の意志で武器を出したり閉まったりできるらしい。その原理は……また誰かに聞くことにしよう。

「私が知ってる歴史では、銃を使った決闘で負けて亡くなったって……」
「ああ、それで僕の銃の腕を疑っているという訳だ」
「いや、そうじゃなくて、どうしてその最期だけでクラス認定されたのかがよく分からなくて……ごめんなさい」
「疑問は殺すものではないし、僕がいちいちその程度のことを気にしてたら今ここにはいないよ」

 書き物をしていた手をぴたりと止めて、ようやく彼はこちらを向いた。小刻みに動く背中ばかり見ていたせいか、いざその並んだ双眼に見つめられると逃げ場をなくしたような不安がこの身を降りていくのが分かる。

「現代ではあまり知られていないのかもしれないが、僕はこれでも砲兵中隊の隊長をやっていたんだぜ」
「砲兵……? 独立戦争で?」
「勿論。数多の誇り高き英霊と比べれば、アーチャーとしてのランクも知名度も低いということは認めざるを得ないが、それでも君のような人間一人を守るくらいは余裕だ」

 彼の言葉には、抑揚も熱もなかったが、それでもすとんと腑に落ちるような説得力を伴っていた。
 アメリカ独立戦争、か。そうだ。私はほんの少し前まで、英霊との戦いどころか、人間同士の戦争すら知らないただの子供だった。本当の意味での争いというものを、私は知らない。リツカとそのサーヴァント達の、レイシフト先での戦闘を見るまでは。

「……ねぇ、ハミルトン。決闘ってどういうの?」
「……決闘のことを知りたいのか? うら若き乙女には到底理解できないと思うが」
「うらっ、思ってもないことを……。理解できてないから、貴方を理解するために知りたいの」
「思ってもないことを」
「お、思ってるから!」

 じとりと横目で私を見た後、ハミルトンは机からまだ真っ新な紙を一枚引き抜いて宙の上でペンを走らせる。本当に、“手を使わずに”宙で紙の上にペンを走らせたのだ。

 

「決闘の戒」

 

 彼が言うにはこうだ。

 まずは相手に決闘を申し込み、謝罪を要求する。その時点でもし相手が謝罪をするのなら、勿論、決闘を行う必要はなくなる。
 謝罪がない場合、お互いに介添人(所謂セコンド)を一人つける。時には代理人にもなる。また、女性の場合は代闘人を立てることも多い。
 次に介添人同士で平和的な解決が可能かどうか、交渉を行う。それすらも決裂した場合は、決闘の日時や場所を取り決める。余程の用件でない限りは、ここで解決してしまうことが多い。
 決闘の当日には医者を呼び、近くに待機させておく。医者をその場に配置させないのには、あくまで彼等は決闘に関与はしていないという体にさせるためである。また、医者への治療費は前払いとなる。
 続けて武器を用意する。短剣を使うこともあったが、僕の時代の頃は銃(ピストル)による決闘の方が多くなっていた。勿論、剣と銃での決闘は許されない。原則として相手と同じ武器、同じ性能のもので執り行わなければならないといわれていた。とはいえ、詳細な部分では全てがその通りであったとは言えない。武器の調達に手間をかけていられない場合もあったからだ。
 決闘を行う者はあらかじめ身内への遺言書を書いてそれを介添人に渡しておく。
 そして最後の交渉。再び介添人同士で話し合い、それでも双方の決闘の意志が揺らぎないないものであれば、もう後戻りは出来ない。

 決闘自体の様式には諸説あるのものの、基本的にはまずお互いが向き合うことから始まる。それから近づいて背を向け、数歩歩いた所で合図を元に振り返り撃つ、というものもあれば、単純に向き合い一定の距離をとり、カウンドダウンの後に撃つ、というものもあった。
 その決着の付け方も様々だった。弾が当たった時点で終わりとするものもあれば、一方が命を落とすまで続けるというのも珍しくはなかったという。


「……私達の時代では考えられない」
「僕らの時代にも一部の地域では禁止されてはいたんたぜ。だが、安定した生を送ることもまだ難しかった時代だ。だからこそ。“それならいっそ”と。『男のロマン』なんていう姿も形もないものに価値を見出して、その天秤に自分の命すら簡単に乗せることが出来たのさ。――けれど、それを他人が否定することは出来ない」
「……」
「僕も幼少時代から何度も決闘を見てきた。とても身近なものだったのさ。それがどういった内容であれ、民衆にとっては恰好の話のネタでな。当時の僕には勉学以外の娯楽といえばそれくらいしかなかったし……まぁ、実際に自分もやった」
「……それがあのアーロン・バーとの決闘……?」
「それだけじゃあないが、後世に語り継がれているのは大半がそれだろう」

 ハミルトンの、最期。彼の政敵であったアーロン・バーとの銃による決闘。
 どういう理由でそこに至ったのかまでは忘れた。歴史の授業はあまり好きではなかった。担当の教師がカマキリみたいに怖い顔で、生徒を監視するように見まわしていたから、全くリラックス出来なかったのだ。……ああでも、昔、二人の決闘を題材としたミルクのCMがあったのは覚えてる。それほどに、ハミルトン=決闘のイメージが色濃くアメリカには残っているのだろう。

 

「聞いてもいい?」
「さっきからしつこいな。君には僕がそんなに繊細そうに見えるのか?」
「いや、とても図太そう」
「……正直なのは嫌いじゃないとも。むしろ好感を抱く」

 じゃあ、と私はすかさず言葉を放つ。

「それならもっと笑ったら?」
「――――何だって?」
「好感を抱いてくれたのなら、もっとニコッと微笑むとかしてくれたらいいのに。笑顔はいいよ」

 笑ってればそれだけで誰でもキュートになるし、笑っていれば大抵人間関係上手くいくから。
 それに、はじめて会った時の彼の笑顔はいいものだった。顔が整っているから尚更だ。
 彼は私のサーヴァントなのだ。それなら、リツカとそのサーヴァント達のように、私達ももっと交流を深めていく必要があるのだろう。常に真顔の男が横にいたのでは、こちらも居心地が悪い。

 

「……私、何か変なこと言った?」
「――それより、聞きたいこととは?」

 話をそらされた事に気付かない程子供ではなかったが、それを追求する程野暮ではないし、彼との絆も足りなかった。むしろ引き下がった方が子供扱いされてしまうだろう。ここは素直に話を元に戻そう。

「……アーロン・バーとの決闘について。私は、その結果しか知らないから」
「……彼との決闘はニュージャージー州のウィホーケンで行われた。あそこは僕の……いや」

 ハミルトンはそこで一度、深く目を閉じた。

「とにかく最初に言っておく。歴史や書籍がなんと語ろうと、あの日、この僕は空を撃った」


 まるで、“その時”を再現するかのように彼は腕を振り上げた。ペン先に溜まっていたインクがピッと飛び散り、私の白い服を汚す。



「僕は1発目、彼を撃つつもりは毛頭なかったのだ」

 

 ――思えば何故、貴方のような人が私の前に現れたのか?――

 私は後に知ることになる。それは、誰に教えられる訳でもなく。
 ニュージャージー州のウィホーケン。アメリカ人なら殆どの人が知っている、アレクサンダー・ハミルトンとアーロン・バーの決闘の地。そして殆どの人が知り得なかった、もしくは知ろうともしなかった、埋没した事実。

 世界で一番有名といわれるその決闘が行われる三年前。皮肉にも同じ地で、ハミルトンの息子が決闘によって命を落としていることに。
 
 

 

 

 

「って、そうだ。……Mr.ハミルトン!」
「何?」

「私の机を占領した上にこれ以上汚すつもりなら、明日から余所で読書してもらえます?」
「……Yes,Ma’am」