「サーヴァントって人と変わんないんだね!」
なまえがいきなりそんなことを言うので、俺はタブレットを操作する手を止めて数度瞬きをした。
「サーヴァントって何なんだってずっと考えてたけど、あいつと会って分かった! サーヴァントも人だわ、嫌な奴は嫌な奴!」
「嫌……?」
「そう、ヤな奴!」
若干故郷の某アニメ映画を思い出した。俺もあんな青春したかったと思いを馳せ……いや、やっぱりちょっとあれは恥ずかしいかもしれない。
なまえは流されやすいところがあると思っていたのだが、対人関係においてはどうやら認識が誤っていたようだ。
そもそも(一概にそうだと決めつけるのは間違いであると分かっているのだが)、アメリカ人は日本人よりも感情の起伏がはっきりとしている。今までは、居場所がなくて無意識のうちに縮こまっていたんじゃないだろうかとすら思う。きっと、今の彼女が素の彼女なんだろう。
もともとよく笑う子ではあった。けれどそれは少し偽物臭いものだった。
今思えばあれも彼女の意地だったんだろうなと思う。分かるのだ、だって俺も同じだから。
俺達はお互いに意地を張っていた。ついこの間まで。けれど今は、こうして自然に近い形で談笑できる。今は遠き学生生活を思い起こさせるような、人肌の温さとゆるさに、俺は心の内で縋っているのだ。
「そういえばハミルトンは今どこに?」
「追い出した」
「え?」
「あーこういうの、なんて言うの? ……カンニンブロ?」
「あぁ……堪忍袋の……」
ついにやったのか。どちらが、とは確信がないので言えないけれど。
なまえとハミルトンの関係は側から見ても良好といえるものではなかった。互いが憎み合っている訳でもないし、サーヴァントたる彼から彼女を傷付けるようなことは一切ないのだが、如何せん、あまりに彼は“独立”し過ぎていたのである。アーチャークラス特有の……とかいう話ではない。彼個人の性質の問題である。せっかく二人になったのに、彼女は変わらず一人のままで空回りし続けている。正直なところ、まだ俺達と一緒に実戦に出れる状況でもなく、またしても予想外な展開にスタッフ達が悲鳴を上げている。一番悲鳴をあげたいのは俺だってそれ何度も言った(心の中で)。
それに、彼女のことを気にしているのは何も俺やスタッフだけではないのだ。食事担当として関わりの深いエミヤやブーティカは心配故に彼女を見かける度に声をかけている。ダビデとの会話の中でなまえの名を聞くことも増えたし、先日召喚に応じてくれたばかりのビリーですら同郷故か彼女とハミルトンに興味津々だ。
「基本誰とでも上手くやっていけてるオタクが異常なだけでしょ。あんなもんですよ、普通は」と苦虫を噛み潰したような顔でいうロビンですら、彼女が視界に入ると眉を顰めて行方を見守っている。
「一体何があったの」
「小さいことの積み重ねの結果、かな。よくよく考えたらさ、女の子の部屋に寝る時まで男の人がいるのってあり得ないと思わない? それで追い出した」
「えぇ……霊体化してもらえばいいのに」
「霊体……? ……あぁ、でも見えないのにいるかもしれないって方が不安じゃない?」
女の子って複雑だな。と素直に口から飛び出しかけた言葉をぐっと抑えて頷いた。この咄嗟の判断は正解だったのではなかろうか。思い返してみれば、俺も最初は似たような気持ちを抱いていた。
以前、ハミルトンと少しだけシミュレーションを共にしたことがある。彼からの提案だった。「人類最後のマスター」たる俺とその英霊の闘いぶりをその目と体で識りたいというものである。聡明な男だった。そして例え一人でも所構わず突き進む強さを持った“英霊”。そう思った。
しかし彼女は、ハミルトンのことをまるで人間のように扱う。普通の人間のように嫌いであると。そして人間のように、側にいることに安心や不快感といった感情を抱くという。俺には理解できない、不思議な感覚だった。
「なんだか最近は書庫に篭るの好きみたいだし。朝になったら帰ってくるんじゃないかな?」
「そんな猫か何かみたいな……」
っていうか俺はいいんだ……。ふと、今自分のいる場所と時間を思い出し乾いた笑みが零れた。何だかそれはそれで男として複雑なんだけど。アメリカ人のボーイフレンドって何処までが恋人の範囲なんだ。「ボーイ」で「フレンド」って……と日本の高校生は思った。
*
「Mr.ハミルトンはどうしてこんな時まで。一体何を書かれて?」
「……確かに僕は作家ではないが、それでもペンで書き留めておきたいものはあるよ」
「おお、ザ・フェデラリストの再来ですかな」
『ザ・フェデラリスト』――アメリカ政治における思想において、第一にあげるべき存在。アメリカという国の最初の連邦憲法案を批准し、推進するために執筆された、85篇にもなる連作論文集である。
当初、その著者は匿名だったため極秘とされていたが、幾人かの評論家によってアレクサンダー・ハミルトン、後に4代目大統領となるジェームズ・マディソン、最高裁判所初代長官ジョン・ジェイの三名が執筆したものであると推量されていた。そしてそれは正しいものであった。三名が執筆した、という点においては。
アレクサンダー・ハミルトンの死後、彼が執筆した論文のリストが公開された。その中にはマディソンが書いたものだろうと推測されていたいくつかの論文も含まれており、評論家の間で衝撃の波が走ったのはいうまでもない。
「生まれたばかりの国を思う情熱、まさに“建国の父(ファウンディング・ファザーズ)”と呼ばれた男達の偉業ですな」
「偉業、ハ、まさしく『イギョウ』だな。俺は貴方がバーサーカーでないことが不思議でしょうがないがな」
言葉の割にアンデルセンの声には相手を馬鹿にするような嫌味たらしい感情が塗られたものではなく、むしろ感嘆や畏怖のようなものを微かな震えから感じられた。
アメリカを思い、憲法の在り方を考え、6ヶ月もの時間をかけて執筆された85篇にもなる論文集。まだ国としての土台も緩く、先も見えない状態でまず憲法がどうあるべきかを固めるべきだと考えた男達。今後国がどのように成長していくのか分からない中で、それを論ずることは、政治家として危険な綱渡りであったに違いない。
ジョン・ジェイは5篇執筆したが病気で倒れ、ジェームズ・マディソンは29本の論文を執筆した。
「――そして貴方は、その残りの51篇を一人で書き上げた! これを狂気と呼ばずなんだと言うのか。共作なら俺は程々にサボるぞ!!」
「アンデルセン、鈍いですな。それこそ愛ですよ。さながら息子や娘に対するような……何せfatherですから」
「勝手に僕の、人の考えを捏造するのは作家としてどうなんだ」
「おや、それは作家だからこそ、としか」
「はじめは25篇の予定だったんだ。それを三人で均等に執筆する予定だった」
ぽつりと呟く彼の背中は、依然としてペンの走りに合わせて揺れている。
「あのままでは憲法はぐちゃぐちゃだった。誰かが弁護し、修正案を上げ、そして国民に伝える必要があった。だからやっただけ、当然のことだ」
「そういえば弁護士でもありましたな」
「自慢じゃないが成績は頗る良かった方さ」
「……ノンフィクションにしては些か属性過多ではないでしょうか?」
「……貴公に言われたくはない」
「弁護士だとかそんなことはどうでもいい。勿論俺達作家には締め切りがある。だからこそこうして徹夜してまで執筆を続けている訳だが」
死した今もこれが「ライフワーク」であると。我ながら皮肉なのか自虐なのか分からない戯言を言ったものである。あらゆる感情の重みのせいか、自然と引き攣った形になる唇が震えた。それを彼が判別出来たのかどうかは知り得る所ではないが。
「しかし、だ。……其方様には締め切りも何もないだろう」
などと、業とらしく恭し気に問うてみる。これこそが俺の、そして劇作家が彼に抱く一番の謎であった。彼の手が、ぴたりと止まる。
「――“今”頭に考えが生きているうちに文字にしておきたいんだ」
「ほう、それは何故? 詩人としての感性がそうさせるとか?」
シェイクスピアの言葉に彼は少し振り向く。そのしらっとした目線に、「こいつ、読んだな」という恨みがましい感情を乗せている。この二人はよく回る口で自分の死期を招いているところが似ているような気がする。この部屋の書籍を血で染めるような最悪な事態だけは勘弁願いたい。
「だって、明日も生きているか分からないじゃないか」
さも当然のように、彼が言うのでシェイクスピアは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして動きを止める。その目には一切の惑いも恐れもなく、「これこそが真理である」という意思がじりじりと燃えている。
「止まらない、ほんの少しの時間も惜しい。だから僕は書くことをやめない」
「……ではMr.にとっては、死こそが締め切りであると?」
「まぁ、そうとも言える。いや、そうなのだ」
「死んだら全てが終わるのは当然の摂理だろうに。サーヴァントになってまで、ご苦労なことだな!」
「それはお互い様だろう、アンデルセン」
「俺達は作家という書くことでしか生きられない生き物だからな。だが、其方は違うだろう」
「そうだな、少し、違うかもしれない」
ふっと天を仰ぐように、彼のペン先は天井を差す。
「僕は、生きるために書いているんだ」
机いっぱいに広げていた幾つもの書類を文字通りその体に仕舞い込んで、ようやくその奥に追いやられていたコーヒーに口を付けた。
「ああ……それからシェイクスピア、君が先程から手にしている伝記だが」
「ギクッ」
「あの子には見せないようにしてくれ。君が読む分には肉なり焼くなり好きにしてくれて構わない」
彼は過去に劣等感がある。英霊というものの大半は自らの功績や栄光を誇りに思うものだが、アレクサンダー・ハミルトンという英霊は予想に反して“こちら側”であるらしい。
「ほぅ……その理由を聞いても?」
「必要が無いからだ。僕のことは、時を選んで僕自身が話す」
「……なるほど。では、我が輩が勝手に作品を作る分には文句はないと?」
ハハハ、とそこで初めてハミルトンが声をあげて笑った。
「天才劇作家さんには残念だが、“もう既にある”んだ!」
しばらくして、彼は席を立った。少女に部屋を追い出されたのだと、何の気なしに呟いていたのを忘れたのだろうか。大したことではないと思っていたからこそ忘れたのだろうか。その足取りは迷いなく彼女のマイルームの方へ。些細な日常事もメモしておけよ、と思ったのは言うまでもない。
*
「あの見た目でちくちくちくちくと……やかましい頑固親父かあいつは…」
「はっはっは、人の事は言えないのでは? 見た目は子供、中身は――」
怪しからんことを宣いかけた男の足を踏む。大した痛みでないはずなのに、大げさに「ひどい」と頭を垂れる様にすら吹き出しがついているように見える。
そのまま放置しているとその演技にも飽きたのか、すっくと立ち上がりいつも通りの胡散臭い笑みをこちらに向ける。彼の手には先ほどハミルトンから釘を刺された一冊の本。
「それにしても、彼はあの子を『マイ・フェア・レディ』か何かと勘違いしているのではないですかね」
「『マイ・フェア・レディ』、か」
「プライドも高そうですし、自分好みのマスターにしたいのかもしれませんな。……あぁ、そういえばあの物語の主人公の名前は、何といったか?」
「――“イライザ”、だ」
「おお、それは、なんとまぁ」
「……いくらなんでも態とらしいぞ劇作家よ。それを本人の前でやってみろ。ハハッ、銃でその本ごと穴を開けられても俺は知らんからな!」