パズルは全部ぶちまけた

 子供の頃の記憶は、曖昧で断片的で、いつか挑戦した未完成のパズルのように大部分が欠けてしまっている。それはまだ未熟だった脳味噌の容量的にしょうがないことなのかもしれない。どうにかして頭の中でパズルを組もうとしても、まず一番に見つけるべき四隅のパーツすら見つからない時もある。
 それこそ子供の頃におじさんとよくパズルをして遊んだものだが、ピースの数が多くなればなるほどに頭がこんがらがって、最終的に私がぶちまけておじさんが泣いていたことは覚えている。そう、これはちゃんと覚えている記憶だ。しかし、それがいつだったのか、どんな絵だったのか、どこまで作り上げたのかは曖昧だ。おそらく1000ピース以上はあった―これも定かではなく、記憶が自分の中で“大袈裟”な表現をしている可能性はあるが―気の狂ってるとしか思えないパズルは、おじさんが暇つぶしにと持って帰ってきたものだった。結局おじさん自身も飽きたのか、私が心を折ったせいか、いややっぱり飽きたのか……。あの後ちゃんと完成させたのかどうか以前に、今どこにあるのかすら私は知らない。それ故に、私の中ではあのパズルは「未完成だった」と決めつけているのだ。
 記憶のピース(と呼ぶことにする)を見たことはもちろんないけれど、きっとおじさんが持っているパズルのピースとは違い、ちゃんとした形も法則性もないのだと思う。ひとつひとつが空を往く雲のように不安定で、日々を繰り返し、新しい記憶が増えていくたび、その下に重なっているピースもその度に形を変えるのだ。そしてひょんなことで過去のピースと新しいピースが、他のさらに深層にあったピースと繋がった時、ズルズルと忘れた記憶を引き出す。そんなイメージを持っている。証拠に、食べ物の味や傷の痛みだけは、不思議と体が覚えているものだ。そしてそれに連なる記憶も、その味や痛みを感じた際に、ぶわっと思い出すことがある。むしろそれ以外で「全く覚えていないこと」を0から思い出そうとするのは無理なのではないだろうか?

 昔、地図を描いたことがある。それが何年前だったかは覚えていないが、私が何もなくとも思い出せる記憶では、最古のものであるかもしれなかった。
 尤も、地図、というのは少し過剰な表現かもしれない。思えばあれは、子供の落書き。ただ、おじさんと二人きりで過ごしたあの山を、適当に集めたチラシの裏に一生懸命にクレヨンで、そこに刻みつけるかのように書き留めただけのものだ。それが本当に地図として機能出来たのかといえば、おそらく不可能で、一緒に暮らしていたおじさんですら理解することは難しいのではないだろうか。しかし、逆に言えば私にしか分からない暗号。それはそれで所謂「ロマン」があると、幼いながらも腕を組んで一人ほくそ笑んだものだった。「絵心」はないけどな。
頭の中で、再びあの地図を思い描く。緑色で塗りつぶしただけの、不細工な楕円形。茶色い四角は私達の暮らした家。黄色で小さく入れた印は、おじさんに内緒で作った小さな秘密基地。
 ――あの鳥がいたのは、地図のどの辺りだっただろうか。そしてじわりと思い出すのは、あの時の自分の息遣い。

*

 特に何をするでも無く、微かに湿った草の上でゆるゆると繰り返しやってくる微睡みの波に負けそうになっていた時であった。眼前に広がる、大きな掌のように枝を広げて空を覆う木々。それぞれが身に飾った青緑色のレースと、その向こうに透けて見える青ざめた空の中を、黒い影が線を描くように通り過ぎていった。おそらく烏か何か。それだけならば、私はもうこの波に逆らうことも無く瞳を閉じていたことだろう。しかし、その鳥の足下で、何かがちらりと光ったのを私は見逃さなかった。草陰に隠していた体を勢いよく起こし、後を追う。不思議なことに、たったその一瞬の間に、両目はきらりと冴えていた。
 烏には光りものを集める習性がある。巣に持ち帰り宝物として大事にする、というよりはそのまま巣の一部として放置するのだという。そのことをおじさんからもらった図鑑を読んで知っていた私は、初めてその光景に遭遇し、随分と興奮していたのを覚えている。

 ただひたすらにその影を追いかけていた。何でもいいから刺激が欲しかったのだ。絵本で見て惹かれた海賊や、冒険者もあの時の私のような気持ちだったのだろうかと思いを馳せながら。
 今思えば、それは何だってよかったのかもしれない。そう、「いつもと違う何か」なら何だってよかったのだ。それが例え、ガラスの破片でも魚の骨でも、名前も知らない妙な形をした金属でもよかった。木の枝を剣に、鍋の蓋を盾に、シーツをマントに見立てて遊んでいたくらいだ。あの時は、何だって全て遊びに変えることが出来たのだ。それが精一杯だった、そうでもしないとやってられなかった。我ながらバカだなぁなんて思うけれど、そういうところがワタシは好きだし、おじさんもきっと好きなんだ。

 私の足音に反応したのか、近くの木から慌てたような羽音が聞こえた。そして黒い影がまた遠くの空に飛び去っていくその姿を見て、「よし」と小さく呟いた。まるで彼を名残惜しむかのように、手でも振るかのように未だ葉を揺らすその大木に、私は遠慮もせずに片足をかける。昔から木登りは得意だった。手や膝に、朽ちた木の皮が張り付くのが鬱陶しく感じながらも、ゆっくりゆっくりと登っていく。服が汚れることも、木の表面で擦って出来た傷も、それらを見たおじさんに怒られることも脳裏に過ったが、その時は些細なことだった。上昇していく視界に比例して、気持ちがふつふつと昂っていくのを感じていた。胸の奥で燻っていた何かがようやく静かに火を灯したように、暖かい。
 木の枝が掴める程の高さまで登った頃、ついに目当てのものを見つけた私は、ぷふっという変な息が口からこぼれるのを抑えきれなかった。比較的太い枝にしがみついたまま、片手を巣に向けて伸ばした。

 鳥が巣を作るのは、勿論子育てのためである。鳥によって巣作りの時期は異なるが、子育て中に鳥達の警戒心が強くなるのは例え鳥でなくとも共通のことだろう。幸いにも私がその時見つけたのは、まだ未完成で作りはじめたばかりの小さなものだった。
 仮に卵があったなら、子供がいたならきっとあの鳥はこの場所を離れることもなく、声を上げて私に威嚇しただろう。まだ幼い私はそんな危険な可能性に気付きもしなかった。冒険気分だった。相手が鳥で、仮にそれが大したものでなかったとしても――その時行おうとしていたことが、盗みであるということすらも気付いてはいなかったのだ。
 罰が当たったのだろうか。何かを掴んだ、そう思った束の間。ぱきっと、軽い音がしたのはそのすぐ後の事だった。

「いっ」

 あの浮遊感は今でも忘れられない。そしてその後に襲った強い衝撃も、鈍い痛みに滲んだ視界も。木から落ちたのだと気付いたのは、少し遅れてのことだった。手のひらにある感触や、折ってしまった木の枝のこともその瞬間は忘れていた。ただ強く打ち付けた全身の痛みに唇を噛み締め耐えるので精一杯だったのだ。頭がぶれるような感覚に吐き気を催しつつも、なんとか、上半身を起こす。ぽろぽろと反射的に溢れ出た涙が、ぽとりと地面を染めた。
 「どうしよう」「痛い」「おじさんを呼ばなきゃ」そんな言葉がぐるぐると渦をまいて頭の中で荒立っていた。しかし喉から出るのは汚い嗚咽と荒い息ばかり。
 それからしばらく経っただろうか。もしかしたら直後かもしれない。上から、こちらを見下ろす視線を感じたのは。

「……っお、おじさん?」

 無意識にそう呼びかけていた。あの頃、私が知っている人間はおじさんを除いて他にいなかったのだ。
 しかししばらく待っても返事はなかった。おじさんじゃないなら、誰だろう?私は比較的汚れていない方の手で目をこすって、気配のする方へ焦点を合わせる。

 すら、とぼやけた腕が私に向かって伸びてきた。

「な、なに。だれ……?!」

 思わず仰け反った。
 和紙に、墨汁を垂らした時のような滲み。その中心あたりから、同じようにじわりと宙に溶けるように半透明な腕が生えていた。大きく、小さく。まるで雲のように風が吹く度にその形を自在に変えながらも、しかしどこか「人の形」を残している。私と目線を合わせるためか、しゃがみこんでこちらを見ていた。その初めてみた異常な光景に、私は何度も目をこすったが、決して消え去ることはない存在感でそこにいた。
 幽霊だ、と思った。むしろ、それ以外に何だと言うのだろうか。私は咄嗟に「おばけなんていないさ」と歌う、おじさんの姿を思い出していた。「そうさ、おばけなんていないさ、きっとこれは夢なんだ」と、自分に言い聞かせる。未だにじくじくと痺れのように全身に走る痛みからは、目を背けて。
 その矢先、頭の中に声が響いた。

『――これをあの子に届けてほしい。これはあの子の大切なもの、あの子の――』

 完全には覚えていないが、こんなニュアンスのことを言っていたような気がする。そして半透明な手のひらの上に、何かがあった。それが何だったのか、そもそも本当に何かを持っていたのかすらも覚えてはいないが、ただひたすら、こちらに向かって促すように手を揺らしていた。
 あの子って誰だよ、とか、人に物を頼むにしては内容がアバウト過ぎない?とか、そもそも誰なの?とか。今思い返せばツッコミどころは有り余る程にあったのだ。しかしそんなこと考える余裕もなかった。下手をすれば死んでいた、そんな状況でただでさえパニック状態だった頭に、未確認生命体が容赦なく飛び込んできたのだ。それでも逃げ出せなかったのは、身体中が痛かったから。正直、まだ幼く先を読めない頭では、恐怖よりも興味が勝ったというのもある。しかし、一番の理由はどちらでもない。
 とても、哀しそうな目をしていたから、だろうか。思えば、作られた幸せの中で過ごしていた幼き日の私が、初めて絵本や漫画の世界ではなく、直接この目でその感情を目にした瞬間だった。綺麗な、雲ひとつない日に見る空よりも深く濃い、青い目。
 その目を見ていると、なんだかこちらまで同じ顔になりそうだった。当時の私には頭で理解できていなかった感情、「哀しみ」がこちらまで移ってしまっていたのだ。つまりは同情。なんでこの人はそんな顔をしているのだろう。なんでそんな目で私を見るんだろう。この人は、私に“何が言いたいんだろう”。ぷくぷくと泡のように沸いてくる疑問が、頭の中で漂っている。綺麗だけど、私はなんだかその目が苦手だった。それなのに、無視できないのが、尚更。

 そしてやっぱり、その目に負けた。
 どれくらい睨み合っていたのかは分からない。ただ、私はその手に触れていた。感触はなかった、と思う。……そういえばおじさんに、知らない人から物もらっちゃダメって言われてたな、なんて。少しだけ後悔しながら、私は――。

 

*

 そこでこの私の記憶は途絶えてしまっている。
 しかも心残りが、おじさんとの約束を破ったことだなんて……良い子すぎて涙ちょちょ切れる。おじさんの言いつけを破ってしまったのは、ぶっちゃけてしまえばあの時だけではないのだが。でもまぁあれはノーカンだよね。だって、結局何にも受け取ってないんだし。と、一人おかしくて笑う。あんな不可思議な体験をしておいて、結局何ともありませんでした、なんて。
 だからこそ、あれは本当にあったことだったのか、それともやはり夢だったのか、今日のようにこうしてぼうっと考える時がある。そこに意味を求めている訳ではないが、無性に、思い出してしまう時がある。――あの人は、私に何を託したかったのだろうか、と。
 そっと、脇腹を撫でた。……ひとつ確かなのは、あの時木から落ちて出来た傷は、ここにあるということ。幸いにも傷跡は薄くなり、青痣なんて完全に消えてしまったけれど、確かにここにあった。だからきっと、夢であろうとなかろうと、あれは本当にあったこと。本当に、私は出会ったはずなのだ。

 思えばあの日からだった。小さくて狭くて、そして温い幸せがゆっくりと流れていた私の世界が広がりはじめたのは。それは受動的なものでもあったが、全てがそうだという訳ではない。
 どんなに些細でたわいのない出来事でも、体が覚えていることがある。忘れられないことがある。今もこうして、思い出せる。枯れた枝で足首を切った時、頭から草むら突っ込んだ時の青臭い香りを。そして、あの時見上げたあの青い瞳が、芋ずる式に思い出される。

 逆を言えば、この「体」が覚えていないことを、私は何も知らないのだ。