定期的に行われる小テストも終わり、大きく伸びをする。足早に去って行く生徒達を眺めつつ、何時ものように誰もいなくなるのをただ待っていた。テストの出来についてはノーコメントでよろしくお願いします。
 せっかくだし、行きにコンビニで買ったパックでも開いてみようかと鞄の中を漁る。自分でパックを買うのはとても久しぶりのことであった。兄のデッキに入るかどうかは別として、ただ純粋な楽しみのためである。

「へぇ、お前が、噂の」

 突然目の前に現れた、もう見た目からしてさっきまで山籠りしてたんだろうなという風貌の少年は、私を見てそう呟いた。都市伝説のようなものではあるが、この世には熊を一頭伏せてターンエンドするデュエリスト達がいると聞いた事がある。おそらく彼もその一人ではないだろうか。ガチ勢の間では動物と戯れながら修行するのは当たり前なのだろう。森のクマさんにダイレクトアタックされたら流石にライフ4000失うどころではないと思うのだけど。
 私が要らぬ心配をしている間にも、人のことを上から下までじろじろと眺めてくるので、こちらも仕返しするつもりで、彼を舐めるように見つめ返してやることにした。私と視線がかち合うくらいであるから、背丈は高いとはお世辞にも言えない。しかし、特徴的なシルエットと、背負っている竹刀のような物から察するに、此奴……出来る。絶大なる主人公オーラがある。悔しい。見た目だけで判断してんじゃねーかというツッコミは置いておこう。
 彼が視線を上に戻した時、ようやく私の無言の視線にも気付いたのか、少しばかり居心地悪そうに、頬を掻いた。自分のしていることを理解したのだろう。

「悪い、じろじろ見ちまって。感じ悪かったよな」
「……ここから恋は始まらないからね」
「そんな風に見えたなら相当目が悪いぞお前」
「あと頭もな」

 後ろから追撃してきた声に渋々振り向くと、案の定、偉そうに腕を組んだ志島北斗が薄ら笑いを浮かべていた。

「なんだお前、やっぱり筆記の成績も悪いのか!」
「……この失礼な少年見たことないんだけど、志島の友達?……友達?!志島友達いたの?!」
「君の方が失礼だろ。全く……テストの範囲教えてあげたのは誰だと」
「ごめんごめん。だって、友達いないから私にちょっかいかけてくるんだとばかり……」
「友達いないの君の方だよね?感謝してほしいくらいなんだけど」

 そう言って軽く方を小突いてきたのですてみタックルで返してやろうかと思ったが、ふと思い立ち、踏みとどまる。冷静になって考えてみれば、確かにいつも志島にはなんやかんや助けられているような、いないような……?じっと志島の顔を見つめ返すと、即座に視線を逸らされた。

「……多分、感謝してるよ。なんやかんや志島といる時が一番楽だし」
「えっ」

 LDSには確かに友達と自信を持って呼べる人はいない。学校ならまだしも「塾」でそれなりの関係作る必要性が感じられなかったこと、自分自身LDSと正面から向き合うつもりがなかったことが大きい。そして何よりも、「いつかはどうせ辞めるのだから」という怠惰的な感情が、不必要な関わりを増やすことを渋っていた。それが周りにも伝わっていたのか、私に積極的に近寄る人もいなかったし、大部分では、鬱陶しいとさえ思われていたのだろう。
 そんな中、毎日毎日、ちくちくちくちくと小言を言いにやってくる志島は、色んな意味で特別だったかもしれない。

「志島ってもしかして」

 つまりそう、志島はきっと。

「……私のファン一号だな?」
「期待した僕が馬鹿だったよ大馬鹿野郎」
「馬鹿野郎とはなんだ馬鹿野郎。将来サインが欲しいと頼まれても絶対してあげないからな」
「君が将来何になろうとも絶対に有り得ないね」
「……仲良いのは分かったから、俺を忘れないでくれよな」

 割って入ってきた少年に、どうどうと押さえつけられる。私は馬か。なるほどじゃあ志島は鹿ね、とほくそ笑んでいると、何かを勘付いたらしい彼に腕を捻られた。デュエリストにとって腕は命だって言ってたのお前だろうが。完全に臨戦態勢に入った私を物の見事にスルーして、志島はもう一人の少年の隣へと移動した。

「彼はシンクロ召喚コースの刀堂刃」
「よろしくな」
「……うん、よろしく」

 刀堂が人の良さそうな笑顔で手を差し出してくるので、なんだかこちらの気も削がれてしまった。彼に応える形で恐る恐る握手をする。何故だろう。こんな普通のコミュニケーションがとても久しぶりのように感じる。いきなり喧嘩売ってくる奴等としか最近関わっていなかったから、小さく感動が芽生えた。存外、普通に良い人なのかもしれない。
 たまに他のコースの生徒とデュエルする機会もあるが、彼を見たことはない。その容姿、一度でも会っていれば忘れるはずがないから、初対面で間違いはないのだろう。

「刃も僕と同じ様に、シンクロコース内じゃ一二を争う程の実力者だよ」
「あ?何言ってんだ北斗。間違いなくこの俺が一番だぜ」
「悪い悪い。まぁ僕だって一番だけどね」

 予想はしていたが、やはり刀堂もエリート中のエリートのようだ。それもあの志島が褒めるということは、相当なのだろう。
 シンクロといえば、エクシーズの黒い枠のデザインと対を成すような白い枠のカード群だ。その印象しかないあたり知識の無さが露呈しているが、そこは気にしないでほしい。え?ダーク……シンクロ……?何?黒いカードはエクシーズだけではないのか?

「そういえば君さ、最近色んな奴にデュエルふっかけてるらしいね」
「そうそう、それが気になってたんだよ俺も」
「ふっかけてるなんてそんな……お願いしてるだけだよ」

 確かに、最近は兄のデッキが使いこなせているかどうかを実践で確かめようと、デュエルの申し込みを何人かにした。しかし、LDSの生徒は皆既にデュエルの予定が入っていたりと忙しい。そもそもエリート思考の多いLDSでは、私のような所謂『カモ』であろうと、デュエルをしたところで何の身にもならない、相手にする必要がないと思っている節がある。つまり、私に構っているような暇はない。それは上を目指す彼等にとっては至極当然のことであると思うし、私も初っ端からLDS相手に勝てるなどと思ってはいなかったが。
 しかし、いくら町中にデュエリストが溢れるこの世界であっても、全くの他人にデュエルを申し込める程、私の神経図太くなかった。目が合ったら強制バトルのポケモン形式でも困るが、野生ポケモンとのバトルみたいに、草むらでのエンカウント制ならコミュ症にも優しい世界になっていたんじゃないだろうか?いや、やっぱりダメだ「▼ やせい の デュエリスト が あらわれた!」とかそんな世紀末みたいな世界怖過ぎる。

「なんだ、皆から断られたのか。俺なら受けるのに」
「シンクロコースのエリートに勝てる訳がない」
「俺も負けるつもりは全くないけど少しは自分に自信持てよ」

 慰めるつもりがあるのかないのかよく分からない返しに素で戸惑いつつも礼を述べると、満足したように笑う。きっと刀堂的には慰めているつもりなんだろう。なんだ……やっぱり刀堂って良い奴じゃん!

「しかしお前、小学生狙ってデュエルしてるらしいじゃねーか」
「ええ……引く」
「それ完全にフトシくんじゃん違うよ。そんな小学生ばかり付け狙ってる訳じゃないよ、彼だけだし、そんな目で見ないで」

 これじゃあまるで私がショタコンのようではないか。まぁ、待てよ。よく見てくれ。そもそも私だってまだピチピチの少女、ロリの枠に入るであろう歳なのだ。自分で言うかというのは置いといて。とにかく、それがちょっと歳下の小学生と遊んでただけで、養豚場の豚を見るような眼で見られるというのは納得がいかない。いくはずがない。っていうか情報流したの誰だよ。

「本当だって。デュエルするのはたまたま帰り道でよく会うからだよ」
「で?」
「で、って何?」
「それで、君はその小学生に一度でも勝ったのか?」
「……まだ、だけど」

 私の尻窄みな言葉に、二人は目を見合わせた。そうして笑う訳でも、貶す訳でもなく、ただ向けられた哀れみの視線が今は何よりつらかった。いたたまれない気持ちで縮こまっていると、まるでタイミングを図ったかのように、二人が同時にため息をついた。

「LDSの生徒が情けないぜ……。よし、デッキ見せてみろ。俺が調整してやる」
「あ、ちょっと!」

 刀堂は机の上に置いていた私のデュエルディスクから、勝手にデッキを抜き出した。志島も便乗して、刀堂の手元を覗き込む。そして一枚、二枚とカードをめくる程に、二人の顔つきが変わって行くのがスローモーションのように、その境界線がはっきりと分かった。

「この……デッキは……」

 どこか震えた声で、志島が呟いたその先の言葉は、言わずとも分かっていた。別に隠していた訳ではなかったが、せっかくならもっと後、それこそ強くなってから志島にはお披露目しようと思っていたのに。刀堂は後で竹刀を置いて体育館裏な。ねぇよ。

「どういうつもりかは知らない……けどね」

 志島の、その周りを漂う空気が変わった。ゆっくりと、低い声で続けるその様は、まるで何かに怒ってるようだった。いや、実際怒っているのかもしれない。けれど、何に?

「デッキが使いこなせなければ、何の意味もないよ。君は弱いままだ」
「……え?」

 先程までとは明らかに違うその冷ややかな眼差しは、今まで彼に向けられたものの中で一番冷たく、重いものであった。

「やっぱり……期待した僕が馬鹿だった」

 今までどんなに私がふざけても、からかっても何をしても向けられることはなかったその一線を、今、越えてしまったとでもいうのだろうか。しかし一体、何が志島の気に障ったのだろう。はじめてのことに内心うろたえながら、志島の次の言葉を待っていた。何を言われても、受け止めるつもりでいたのだ。
 しかし、彼はそのまま私を一瞥し、教室を出て行ってしまった。

「あいつ、あの人に憧れてた節あるからな。色々思う事あるんだろ」
「志島が……?」

 呆然と立ち尽くす私に、すかさずフォローを入れるように刀堂はそう続けた。あの人とは、兄のことだろうか。そんな事、私は一度も聞いたことがない。

「でもまぁ、志島の言う通りだな。このデッキでも勝てないなら相当だぞお前」
「え……ああ、うん」
「……だが!俺はそんな事全く気にしない。デュエル出来るならな」

 そう言ってデュエルディスクを展開する刀堂を前に、私はただ空気に飲まれていくことしか出来なかった。