窓から見える空が淡い桃色に染まる、昼と夜の隙間の時間。講義の終了と共に、ぱらぱらと教室から出て行く生徒達。そんな彼等を横目に、一人席に着いたまま、完全に人がいなくなるのを待った。
 いつまでも帰る準備をしない私が余程珍しいのだろう。不審そうにこちらを見る視線がいくつも刺さる。それがただうっとおしく、机に顔を伏せ寝たふりをすることにした。
 確かに、いつもなら授業の終了と共に全力ダッシュで帰る。だって美味しいおやつにほかほかご飯が私の帰りを待っているのだ。人間様々だよ。そもそも学校の掃除時間中にお腹が鳴るくらいに消化が早いというのに、LDSの講義まで受けていたら空腹で爆発してしまうというもの。そう、「いつまでもこんなところにいられるか!私は先に帰らせてもらう!」まさにそんな気分なのだ。これ駄目なやつだわ。
 しかし今日はまだ帰れない理由があった。例えこのお腹が空腹で爆発しようとも、私には……コンビニのおにぎりがある。そういうことじゃない。
 そもそも教室内は飲食禁止のため、バレたら即摘み出される。結局おにぎりを食べられるのはLDSを出てからだと気付いたのは、コンビニを出た後のことであった。ルールを守って楽しく飲食!
 そんな事を考えているうちに、足音や話し声といった雑音が遠くへと去っていったことに気付く。あまりに静かなので、もう少しこうしていれば私もその空間に溶けるように、完全に気配を消せるんじゃないか?という気すらしてきた。私も一度でいいから霊圧消して騒がれてみたいものである。絶対故意的に消すものじゃない。

「帰らないのか?」

 人が霊圧消そうと試みている時に話しかけてくるのは誰だ。いや、声で判別しなくても、このエクシーズコースで私に話しかけてくるのは、先生か、彼しかいない。恐る恐る重たい頭を上げれば、予想通り眼前に広がる青紫色。

「志島……ずっとそこに立ってたの?びっくりさせないでよ」
「そっちが勝手に驚いただけじゃないか。で、何してるの」
「ちょっと……眠くて。もう帰るよ」
「あっそう」

 聞いておいて興味なさそうに「それにしても」と、話題を変えるのは相変わらずといったところだろうか。

「今日のデュエルも酷かったね。見ていられなかったよ」
「へぇええほぉおおうすまんね。志島くんは今日も絶好調のようで」
「僕はこのコースに入ってから37連勝中さ」
「うわぁ別次元だ」

 鼻高々に言い放つ志島は少し輝いて見えた。このコースに入ってから、ということはそれ以前を含めれば更に記録が伸びるのだろう。

「……お前さ、何も思わない訳?」
「え?凄いと思うよ」

 志島の実力はこのコースでも屈指のものであるということを知っている。彼が刻んだ37連勝中のうちの何勝かは、私とのデュエルも含まれているはずだ。……だよね?まさか私『除いて』とかではないよね?
 しかし、こんなに手応えのない相手とデュエルして何が楽しいのだろう。私は楽しくないよ。毎度毎度出てくるプレアデスにそろそろ本気でトラウマが植え付けられそうで憂鬱である。カード名を中々覚えられない私でも、奴の名前だけは決して忘れられない程だ。

「ああ、お前って……」
「ん?」
「本当に勝ったことないんだね」

 その哀れみに似た視線は真っ直ぐに私を指していた。勝った事がないのは事実であるし自分でも理解はしていたつもりだが、面と向かって言われると威力は大きい。どうやって言い返そうかと考えを巡らすも、今の私が何を言っても彼に勝てないことは必至であった。何時だって、デュエルにおいても人間性においても、勝てる気がしない。私の言葉を待つ事なく、「じゃあ」と手を振り彼は去って行った。絶対会話のキャッチボールする気ないよね。投げかけるだけで、答える権利すら与えてくれないなんて。

 今度こそ一人になった教室で小さくため息を吐く。一体、何だったというのか。
しばらく彼の消えた方向を眺めていたが、本来の目的を思い出して机に向き直る。そして各机に設置されたタブレットモニター、スリープモードにしていた目の前のそれを起動させた。
 モニターは主に講義中に使用するものである。デュエルに関する最新ニュース、詳細なルール、カード一覧など多大な情報がこの中には詰まっているが、その大半は家のパソコンでだって調べられる事である。……調べたことはないが、おそらくそのはずだ。しかしLDS内のデータベースはLDSでしか、関係者でしか観覧する事は出来ない。
 生徒専用ページからログイン画面を開く。各生徒に与えられるIDカードの情報とパスワードを入力すれば、自分のページへとログインすることが出来る。

「よし……」

 自分の決意を固めるためにそう呟いて、私は兄のIDカード見ながら、タッチパネル式のキーボードを操作する。そう、LDS程の塾であれば、当然あるはずなのだ。自分の戦績、戦術データ、デッキレシピ、それらを基にしたシュミレーション。生徒であれば全てを閲覧することが出来る。どこの塾よりもずば抜けてハイテクなLDSだからこそといったところか。こういう使い方が出来るという事は知ってはいたけれど、実際に利用するのは今回が初めてである。
 三年前のIDの情報が残っていないということはないだろう。兄のLDSでの功績を考えれば、きっとデータを残しているに違いない。……そう思いたい。それよりも問題なのは、パスワードであった。
 まず兄の生年月日や名前に関係する単語をいくつか打ち込んでみるが、案の定当たりはない。しばらく考えて、まさかムシキングではあるまいなと思い、恐る恐る入力するとすんなりログイン出来てしまった。先程までの緊張感と不安がその瞬間どこかへと消え、脱力感とともに、どこに向ければいいか分からない小さな怒りが沸いてきた。パスワードは自分にしか分からないものにしようよ。
 何はともあれ、これで私は先に進むことができる。震える指でそっと、兄のデータベースを開いた。
 『なんとも思わない訳?』と、さっき志島はそう言った。

「思わない訳ないよ……」

 正直に言えば悔しかった。けれどそれすらも隠してしまうのは、これ以上弱く見られたくないが故の虚勢と、今まで何も行動に起こさなかった自分への後悔と反省。

「本当は、あいつらを、赤馬零児を見返してやりたい。その為に力を貸して……」

 理由が不純かもしれない。けれど、これこそが今の私の本当の気持ちであった。この衝動を生み出したきっかけは、何であったか。
 兄のデータから登録されているデッキレシピを確認する。当然といえば当然ではあるが、今私が持っている兄のデッキ内容と変わりはない。これなら、いける。後は私が兄のデュエルを片っ端から覚えるだけだ。これから毎日、シュミレーションを重ねていけば確実に今よりは強くなれる。模倣でもいいのだ。
 デュエルディスクから、自分のデッキを抜き出し、兄のものと入れ替える。気分は驚く程に軽くなっていた。ようやく見えた自分の未来に安堵したとでもいうのだろうか。よっしゃいける。湧き出てくる自信を再度確信し、ディスクを腕に装着した、その時であった。
 ピー!と突如デュエルディスクから鳴り響いたアラート。たいして大きな音ではなかったが、今までのテンションに急ブレーキをかけられたかのようで、芯から驚き液晶を叩き割りそうになった。慌ててディスクを確認すると、液晶に浮かび上がっていたのは『エラー』の文字。
 『下記のカードがリミットレギュレーションに反しています。このデッキを使用しての公認大会への参加は認められません。』


 この三年のうちに、ダンセルとホーネットが駆逐されてる。

※この話を書いた当時のリミットレギュレーションに基づいています。