(独白)
この話をはじめる前に、私の兄の話をしなければならない。彼が私とその周囲に与えた影響は、計り知れないのだ。
兄は虫取り少年であった。常に帽子を被り、虫かごをひっさげ、そして相棒である虫取り網を手に走り回っていた。その姿はまさに「むしとりしょうねん」そのもの。意地でも虫タイプしか捕まえないというその姿勢。昆虫採集のためなら例え火の中水の中、草の中森の中あの子のスカートの中という訳である。
舞網市は比較的都会であるため、兄の努力も虚しく、その成果の程は正直いって寂しいものではあった。しかしそれでも毎日何かを見つけてきては、決まって私に自慢した。蟻から蝶、カマキリに蜘蛛。虫であれば何でも構わないようで、父の入れ知恵で標本を作っては、大切そうに部屋に飾った。「虫は男の子のロマン」なのだと、父と母はよく言った。対する私は、そんな兄の行動に、幼心に引いていたのを覚えている。正直、彼等のその心は未だに理解できない。兄はいつだって笑っていた。
彼はデュエリストであった。某有名昆虫カードゲームの終了により落ち込んでいた兄を慰めるため、父が誘ったのがきっかけだという。半ばやけくそで始めた兄であったが、世界を取り巻くその波に乗るのはあまりにも容易く、次第に「デュエルモンスターズ」に魅了されていった。
舞網市はデュエルモンスターズへの関心が非常に高く、様々なスタイルの塾や教室がそこら辺りに溢れている。それは3年前も同じであったようで、既に当時からエリート校として有名であったLDSに兄も通っていた。そこで彼は秘めた才能を開花させた、とでもいうのだろうか。
気付けば別名「甲虫王者」。デュエルの世界においても、ムシキングの名を我が物にしていたのである。当時のLDSでも成績最優秀生徒として記録に残り、最年少プロデュエリストになる日も近いと噂をされていた程だったという。
その頃の兄を、私はよく知らない。兄はいつだって笑っていた。
あまりに自然で、無垢な、近いのに遠い存在。だからこそ、彼は誰からも愛されていたし、尊敬されていた。
兄の存在が大きければ大きい程に、落とす影も大きくなる。結局のところ、私は彼の影から逃げられない。私だけは絶対に。
兄と関わった全ての人に、兄の事を忘れないでほしいと思っている。しかし、私の事も忘れないでほしいのだ。
だって、この話の主人公は私なのだから。……多分。