Something That I Want


 思えば、ここに至るまで長い長い道のりだった。孤児だった私が、たまたま、奇跡的に今の養父に掬い上げられるまで。どうして、“ここ”に至ったのか。
 私はどうしても魔法士になりたかった。王家に使える魔法士でありながら、衛兵隊長でもある父。彼は私にとっての憧れであり目標であった。だから、立派な魔法士になって父と国に恩を返すこと、それだけを目的に生きて来た。それが私の夢だった。
 しかし、いくら父の身分があっても、どれだけ努力をしても……私の孤児という出生と僅かばかりの魔力量ではロイヤルソードアカデミーに入ることは難しく、挑戦する権利すら与えられることはなかった。
 ところが、どういう訳かナイトレイブンカレッジは、鏡は私を選んだ。“選んでくれた”。はじめて、指で指し示された瞬間だった。

 ナイトレイブンカレッジに通うには、2つ大きな問題があった。
 1つ目。それは私が女であるということだ。問題とは言ったが、解決法などないシンプルな結論。ナイトレイブンカレッジは男子校だった。

 2つ目。何より、一番に認めて欲しい父に魔法士の学校に行くことを反対されていた。
 直接、私に話したことはあまりなかったが、父は早くに妻と娘を亡くしている。その為、寮に入るまで男手一つで私を育ててくれた。だからだろうか、子供の頃から花や洋服よりも剣や魔法に焦がれたし、父のようになりたかった。しかし父としてはむしろ逆で、「女性らしく」お淑やかに、そして温く幸せな世界で生きて欲しかったのだろう。
 そうなれば尚更私が男子校、それもナイトレイブンカレッジに入ることにあまり良い顔はしなかった(恐らく父がロイヤルソードアカデミー出身であったことも関係すると思われる)。


“どれだけ反対したって行く! せっかくのチャンスなの!”
“このまま人生をひっそりと歩むことは、私には耐えられない。父さんみたいになりたいの!”
“どうして分かってくれないのよ”

 そんな言い合いを何度したことだろう。どれだけ自分の意思を伝えても、彼は険しい顔付きのまま。そうして最後まで父が首を縦に振ることはなかった。あの時のことを思うと、今でも胸の内が空っぽになったかのような寒さが襲ってくる。虚しいという感情。あの日、信頼している相手に認めてもらえないことほど絶望的なことはないと知った。
 学園長のクロウリーもまた、しばらくの間私の扱いに酷く悩んでいたようだった。それは大袈裟な程に。鏡が生徒を選ぶ基準は不明である。私のような人間を選ぶことが前例のない事態であることは確かで、そして、その後どうすれば良いのか教えてくれる訳ではない。アフターケアは無しということだ。学園長としては問題を盥回しにされたのと変わらず、良い落とし所が見つからなかったのだろう。

 問題は山積みで、入学ギリギリまで足元が浮ついた状態だったが、結果、とある人の助力もあって私はナイトレイブンカレッジに入学できることになった。
 公にできない門出であったので、知り合いには誰一人本当のことを告げずに国を出た。当然、笑顔で見送ってくれるような人は誰もいなかったし、笑顔で迎える人もいなかったが、そのことが逆に私に火をつけた。
 男として暮らすことに僅かに不安はあれど、それ以上に「やってやるぞ」と根拠のない自信で溢れていた。異国の地でのし上がるヒーローの物語に影響されていたのだろう。要するに浮かれていたのだ。これに関しては後々しこたま苦労することになるのだが、結果として1年間バレることなく学園生活を送れている。……いや、正直なところ一部怪しいところもあるが、聡明な人間は疑いの時点で騒ぎ立てたりすることはないのでバレてないのと同義だと言い張っておく。
 ここまでやってこれた理由としては、学園長がある程度気を利かせてくれていることと、私自身があまり人の記憶に残ろうとしていないから、というのが大きいだろう。本当に危ない時だけ、僅かに譲り受けた変身薬でその場を凌いだ。極力目立つような行動は控え、授業が終わり次第オンボロ寮へ戻る。そう、悲しいかなユニーク魔法も大した魔力も持っていないし、黙ってさえいれば目立つことはないのだ。……もらった喧嘩は買うけれど、男子校ならまぁこれくらい日常茶飯事、普通のことだろう。相手をのした後はしっかり口封じもしているし、大丈夫だ。

 魔力量は少なくても、他で補うことはできる。誰になんといわれようと数値と力があれば黙らせることができるのだということを私は理解していた。そう、男と対等になるためならどんなことでもした。本当はなるべく関わりたくないタイプの先輩に頭を下げ弓技の師事を仰いだり、代価が恐ろしい悪徳業者にやけくそで値切ってもらって苦手科目の克服法を教わった。普通の学生が部活動や友人との談話に費やす時間を鍛錬と勉強に当てることで、成績は少しずつ上がり続け、トレインやクルーウェルの私を見る目も次第に変わった。毎度、紙面に書かれたアルファベットに一人ほくそ笑むのが私の楽しみだった。
 全てが静かに、けれど確実に良い方向へ向かっていた。こここそが私の居場所であると、錯覚しかけるほどには、順風満帆であると。――そう思っていたのに。

 

 さて、ここで私の今一番の苦悩の種の話をしよう。

 私の属するオンボロ寮にはゴーストが住み着いている。最初は鬱陶しくて堪らなかったが、一度お互いのテリトリーを理解してからはまぁ、程よく付き合えているのではないかと思う。私がその日起きたことで気分が上下する度に、ニタニタと突っかかってくるのだけは解せないが。
 ゴースト以外にも、この寮は問題が山積みの場所だ。どこもかしこも老朽化しており、埃と木片がそこらに散らばっている。風が吹けば壁は軋むし、雨が降れば天井から水が滴り落ちるので何度DIYをしたことか。
 一人で暮らすには無駄過ぎる広さ、いくら私の城と呼べるところであっても愛着が湧くこともない。正直なところ手先は器用な方ではないし、特段綺麗好きでもないので自分の生活範囲以外は来た時から変わらず手付かずのまんまだ。それも、まぁ、良い。ここまでは良いのだ。

 このオンボロ寮に新たにやってきた存在。それがゴーストより雨漏れより何よりも問題だった。
 監督生のユウとグリムという、不本意に、そして突如現れた私の『後輩』。


 出自も不明、魔法も使えない。私に似ているようで全く違う。ユウの方は魔法の知識以前に魔力もなく(全くのゼロ)、魔法士を育成するこの場所でまず存在意義がない。
 私と彼が決定的に違う部分。性質そのものが私と異なる。コンビでようやく一人分の生徒として認められた異質さを持ちながら、早くもハーツラビュルに友人を作り、学園に馴染もうとしている。考え方も常識も、ナイトレイブンカレッジの生徒としてはズレているのに、私以上に既に馴染んでいるのだ。コミュニケーション能力が非常に高く、なんでも素直に吸収するスポンジのような性質が、良くも悪くも気に入られているのだ。
 しかし、全ての人間から認められることは当然不可能で、私の時と同じように“ちょっかい”をかける阿呆な生徒は未だに存在する。

『また魔法が使えない奴がオンボロ寮に入ったのかよ』

 小突かれても、怒鳴られても、理不尽に口汚く揶揄されても――彼はどんな時も眉を下げヘラヘラと笑っていた。それがまた私を苛つかせた。火を吹く猫や彼の友人が代わりに対応することもあるが、相手が他の寮だったり上級生となると、その場をなんとか凌いで穏便に済ませることしかできない。確かに、それが一番正しい、生きる上で利口な判断だと思う。だとしても、その様が、私の目にどう映るか。
 それは単純な怒りか僅かな同情か、はたまたある種の嫉妬や憎しみなのか分からない。様々な感情が混ざり合ってつい手が出た。彼等に対して無感情のままでいられなくなった。結果として彼を救ってしまうことになり、不本意ながら先輩として体よく尊敬し頼られることになる。
 

 今も、こうして。
 勝手に人の部屋に入ってきたと思ったらご丁寧に正座して上目遣いでこちらを見てくる。こんなタチの悪い後輩、いる?


「みょうじ先輩、助けてほしいんです。実は学園長からの依頼で……」
「嫌よ」
「ちょ、僕の話を最後まで聞いてくださいよ!」
「もう嫌な予感しかしない」
「き、聞いてくれなきゃ、あの事を皆にバラすんだゾ!」
「あ、こらグリム! それは……」
「……腹立たしいけど、話だけは聞きましょう」
「ヨシ!」
「ヨシ! じゃねーわ監督生。さては元々脅すつもりだったな」


 そう、この男と獣。私の弱みを握っているのも確かだった。
 入学してから私以外の人間をオンボロ寮に招き入れたことはなかった。そのため、この場所ではつい気が緩んでしまう。本来の自分のが剥き出しとなってしまうのだ。結果、初めて監督生がオンボロ寮に来たその日に、己に腹が立つほど馬鹿らしいミスで女であることがバレた。
 できれば一切の願いを無視したいところだが、そうはいかない事実もある。ユウは、こうして時折切り札としてチラつかせてくるし、グリムに至っては本気で監視しておかなければ無意識で口を滑らせそうな危うさがあるのだ。非常に厄介なモンスター後輩等である。しっかり躾けておかなければ。

 彼の口から語られたのは、最近学園内で起きている事件に関しての内容だった。日も迫ってきたマジフト大会の選抜メンバーが、奇妙な事故で相次いで負傷しているとのことらしい。そのことに関する調査を学園長直々に依頼されたのが目の前の二人だった。
 被害者はとうに10人を超え、そして誰もが自らの不注意で負傷しているという。詳細を聞くと、彼の友人の先輩も実際被害にあっているらしく、その様子からただの事故ではないと思っているようだ。また、寮長であるリドル、ダイヤモンド先輩方も協力してくれているらしい。


「知ってると思うけど、私たちはマジフト大会に出られないの。それなのに他寮のために協力しろって? なんの関係もないのに?」
「……それなんですけど、この事件を解決できれば、オンボロ寮にも大会の出場枠を貰えるらしいんです!」
「……本当ぉ?」
「マジだゾ! 学園長が言ってたんだからな」
「それが信用しきれない部分なんだけど……。……なるほどね」


 正直気になる部分は多々あるが、これは対価としては悪くない。
 マジフト大会ほど自分の実力をアピールするのにいい機会はない。入学してから一度も父とは連絡をとってはいないが、ここで成果を出せれば自信を持って実質の中間報告ができる――。


「先輩ぃ……!」
「オレ様絶対に大会に出たいんだゾ……!」


 きっとこの人ならやってくれる。期待と希望に満ちたキラキラとした瞳。随分と久しぶりにみる、“知り合い”に似た私の苦手な瞳だ。少しずつ抵抗を強めてはいるけれど、私は結局、その瞳に逆らえないのだ。

 
「分かった……私も同級生に話を聞いてみる。知り合いに大会出場者もいるしね。気になることがあれば報告する、それでいい?」
「ありがとうございます! 次のターゲットになりそうな人は絞れてるんですけど、どうしても全員じゃ手が回らないので……」


 その時だった。


「やったんだゾー!! っと、と……」


 大袈裟なほどに喜んだグリムが突然飛び上がった。その勢いで、側にあったチェストにぶつかる――。


「触らないで!」


 私は思わず叫んでいた。揺れるチェストの上から視線を外さず、マジカルペンで狙いをつける。


「うおっ、いきなり何なんだゾ!」
「ご、ごめんなさい……! こらグリム、急に暴れるから……」


 慌てた様子の二人はを他所に、対象に駆け寄り無事かどうかを確認することを優先した。恐る恐る持ち上げて確認する。幸いにも“それ”に特に変わった様子はなく、柄にもなく力が抜けるほどに安堵した。
 突然の出来事に困惑している二人に向き直り、極力努めて、冷静に声をかける。

「監督生、いやユウ……このオンボロ寮は、好き勝手使っていいと言ったけど、私の部屋だけは勝手に入らないで。今日は許したけど、これでも一応……女の部屋なんだから」
「あ、そ、そうですよね……」
「それと、絶対に、この花には触れないで」

 腕の中にある、小さな植木鉢。月明かりが、花弁を青く照らし、艶やかな緑の葉が微かに揺れている。


「それは私の花。――私の大切なものなの」


 花を抱きしめるように抱えたまま彼らに告げた。どこか、自分に言い聞かせるような気持ちも込めて。  今は以前と状況が違う。最近は監督生等の影響で、人の出入りが今までに無いほど増えた。部屋に鍵はあれど、このオンボロ寮では特に魔法使用の制限がかかっていない。
 ――隠さなければ、改めてそう決意したのは仕方のないことである。



 私の生まれた国に伝わる御伽噺。
 伝説のプリンセスであり女王の、美しい美しい金の髪。太陽の光を浴びて光るその髪は、全ての傷を癒す魔法の力を持っていた。その力は時に死者をも蘇らせるとまでいわれる反面、恐ろしい力も兼ね備えていたという。その髪をめぐる争いや冒険は、物語となって今も国中で愛されていた。

 御伽噺はいつだって、どんな困難があっても幸せに終わる。でももしも、御伽噺ではなかったら? もしも全てが本当のことで、今も続いていることだとしたら?
御伽噺のあとの話は誰も知らない。どうやったら幸せになれるのか、誰も知らないのだ。

 私は幸せだと思っていた。今のままが幸せだと、これが幸せだと思いたかった。
 だけど、満足ができなかったのだ。目の前に、私に足りていない“全て”があったから。これが世界の模範解答なのかと思い知らされるほどの“全て”が ここにいる限り、私は一生満足することはない。幼い頃より私は理解していた。



 指先に触れる柔らかな感触。まるで光そのものに触れているようなあたたかさと、宝石のような美しさ。何よりも大切なもの。何よりも愛して、愛されるもの。守らないといけないもの。
 綺麗だと思う気持ちは嘘ではない。だが、あまりに美しすぎるものは、反転して毒にもなりうる。例え、本人にその意思がなくとも。元より配られた器の大きさが違うのだろう。同じ喜びを、同じ悲しみを、全ての感情を同じように許容できたらどんなに良かったことか。

 同じものを欲しいと思ったことがないと言えば嘘だ。けれどそれ以上に“彼の髪”に対する「重い」「疲れる」等という子供らしい単純かつ真理的な感情が強かった。



「大好きだよ、姉さん」
「……ええ、私も大好きよ」



 では、「好き」だと思うこの気持ちは?  いつも辿り着く自問に、未だ答えを出す事はできない。

 私は、その長い長い髪を丁寧に梳かす係だった。