LEGACY

Who tells my story ?

「こんな所にまで持ってきてたのか」
「……だって眠れないし」

 頼りない灯に照らされたテントの中。しとりと話しかけてきた男に肩を震わせずにはいられなかったのはしょうがないことだろう。


「日記だか手紙だか分からないが、程々にしないと目を悪くするぞ」


 この決して可愛いとはいえない、質素なノートをくれたのはハミルトンだった。どんな時でも勉学を忘れるなという意味だったのかもしれないが、このアメリカにおいて学べるような余裕は頭の何処にだってあるはずがない。五感から入って来る全てのものが刺衝撃的で、辛くて、しかし決して夢ではないというグロテスクさ。かと言って他にやることもないので今日あったことを出来る限り書き留めている。むしろそうして手を動かしていないと思考がどんどん落ち込んでいきそうで仕方がなかった。


「あー……これねぇハミルトン観察日記だよ」
「面白くもない適当なジョークはよさないか」


 全くの嘘と言うわけでもない。私が書こうと思う出来事の中心には常にリツカか、ハミルトンがいるのだから。
 書き殴った棒人間の周りに、五つの丸を描き足す。

 「藤丸立香」がレイシフトする際に同行できるサーヴァントは5体までであった。それはレイシフト先でサーヴァントを維持させるため、カルデアで精製された魔力を受け渡すシステム上の限界でもあり、リツカ自身の限界でもあるという。

 シールダー マシュ
 バーサーカー 坂田金時
 アーチャー ダビデ
 ライダー マルタ
 アヴェンジャー 巌窟王

 今回、レイシフトに同行した彼のサーヴァントは以上の5体である。そこに今回は別口で私と私のサーヴァントであるハミルトンが加わっている。そのため、結果として同行できるサーヴァントは最大6体となった。
 とはいえ、レイシフト時にかかるエネルギー量や私自身への負担からリツカに比べてある程度の制限がかかっているということだった。
 難しいことは良く分からないが、イメージでいうところの「タップ」。増設して受け口を拡げてはいるが、結果としてその限界値に変わりはないということである。私とハミルトンはギリギリのラインを調整してレイシフト先に出力しているのだとか。その辺も正直理解は出来ていない。

 ハミルトンは基本的に私を守りつつ戦っているので前線に出ることは殆ど無い。リツカに対するマシュのような立ち位置である。戦闘には一応参加しているが、あくまでマスケット銃で後方からの支援を行なうのが彼なりのサポートであるようだった。
 特に今回のレイシフトに同行している「ゴールデン」こと坂田金時は近接有利かつ爆発的な打撃力を持つサーヴァントであるらしく、彼を主体として今回は戦術を組んでいるようだ。
 ダビデ王とマルタさんはリツカと特に長い付き合いのあるサーヴァントであることだけでなく、私を含むどの人間とも友好的であることから特異点レイシフトによく抜擢されている。また治癒能力を持っていることも大きいのだろう。

 ただひとつ。ひとつだけ気になっているのは、巌窟王という黒衣の男。
 いつの間にかカルデアにいて、しかしリツカとはそれなりの関係性をすでに築いている節がある。そしてふとした瞬間に視界から消えている。今この瞬間もそうだ。掴み所のない、正直言って危うさを感じる男。話したことは一度だってない。物理的に命の危機を感じるサーヴァントは他にもいるのに、彼の金の眼はこちらを掠めるだけで息が詰まるような圧迫感を感じさせる。目に見えて不機嫌な時のハミルトンやリツカのそれとは全く別の、“無”故の居心地の悪さとでもいうのだろうか。


「うーん、やっぱりまだ貴方がサーヴァントって気がしない。周りが濃ゆいだけかな」
「サーヴァントにはそれぞれ固有のスキルや宝具といった能力を持つ。君にはまだ僕の力を全て引き出すだけの経験が無い」
「……それってつまり私のせいって言いたい訳?」
「君が悪い意味で言った訳ではないことは重々理解しているよ。……何より、“足りない”のは何も君だけではないとも」


 まるで子供を寝かしけるような自然な仕草で彼は私の手からするりとノートを抜き去った。まだこんなところで寝るわけにはいかない。まだ何もしていないのに、このアメリカで起きている問題の、何の解決にもなっていないのに。そんな思いがこの私に無い訳でもないのだ。焦燥感の一番の理由は“この場の違和感”に他ならないのだが。

「――それってもしかして私がリツ……」
「違う。僕だ。足りないのは僕だ」


 苦し紛れに紡ぎだした言葉を全て言い切る前に彼に遮られる。


「サーヴァントの能力は知名度や信仰心、成果によって左右されるといってもいい……という話は前にしたか?」
「いや……でもドクターから聞いた気がする」
「例えば、ダビデ王。彼のことは君だって知っていただろう?」
「変人だけど顔は本物の方がハンサムだとは思った」


 そういうことじゃない、と奪われたノートで頭を小突かれる。対して痛くはないが、猶更あんたは私の何なんだという気持ちが数ミリ膨らんだ。
 ダビデの宝具は巨人ゴリアテを倒したという投石器。逸話の通り、五発目の石は必ず相手に命中するという。今までも管制室からその姿を何度か目にしたことがある。ただの石ころが竜の厚い鱗を貫くのを見て「人間じゃねぇ!」と思ったのは別に冗談でも褒め言葉でもない。


「逸話そのものがサーヴァントの力となり、時には弱点にもなる。そして土地にも信仰心があるんだ。本来なら、“アメリカ”というフィールドで、僕の能力は通常より強固なものになるはずだった」
「だった?」
「実際に足を踏み入れて確信したよ。ここは確かにアメリカだが、僕の生きたアメリカではない。そして、恐らく僕が何も成し遂げられなかったアメリカだ」
「でも、種火? とか、カルデアの設備を使えば霊基を強化出来るんでしょう。そうすればハミルトンは完全な状態になれるの?」
「勿論。霊基を再臨することで今の能力値の限界を超えて出力できるようになる。それが人理修復のために必要なことであれば、僕もそうなりたいし、そのためにできることなら何だってしよう」


 けれど、と彼は珍しく目を伏せて静かに語った。


「何より、失念していた。知名度や信仰といった補填を、僕はアレクサンダー・ハミルトンであるが故に、ある一定以上得られるはずがないんだ」


 ハミルトンは、黙っていればクールに見えるがその実は猪突猛進の頑固者だ。自分が正しいと思えば私を引きずってでも(今回はこれでも自分の意思で来たけど)戦禍の中へ連れ出すだろうし、口喧嘩をはじめれば絶対に折れることはなく、嫌になるほどのマシンガントークが炸裂する。ひねくれているように見えてただ不器用なだけの厄介な男。真っすぐ過ぎて、故に柔軟性が無い。私と正反対の性質を持っている。これがそれまで私が彼に抱いていた印象だった。

  けれど、それは彼の貪欲さからくるものなのだと、私はこの時に気づいてしまった。分かってしまったのだ。彼は飢えている。私に見えない何かをひたすらに求め、そして何かに追われて生きている。それが何かは今の私には分からないけれど、きっと、生前も同じだったに違いない。



「そうさ、僕は――満たされたことなんて一度もない」


 ――『一体何がそんなに不満なのか』。ナイチンゲールの言葉が脳裏に浮かんだ。















*





 何故ですか、sir!

『もう私は十分やるべきことをやった』


 十分? 十分ですと? そんなはずは無い! 貴方程の人間であれば、貴方でなくては出来ないことがまだ沢山……!


『もういいんだ。言っただろう。…私がやるべき事はもう終わったのだよ。“もう充分やったんだ”。だから私は……家に帰るよ』


 信じられない! どうして、どうして自ら終わるなんて言えるんですか! まだ、まだ始まったばかりなんですよ、“この国”は!


『違う。だからこそこれが最後なんだ。……そんなに怒らないでくれ。君にも笑って見送ってほしいんだよ、分かるね。そう……最後だからこそ、君に頼みたい』


 貴方の代わりになれるような存在はいないのに……? どうしてさよならを言わないといけないんですか……!


『――アレクサンダー、君もだ。君も代わりはいないのだ。だから、君もいつかは家に帰りなさい』


 ああ、ああ――。





*















 ひどい喪失感が、私の心までも抉り取っていったような、そんな。


「夢を見たな」


 金の眼がこちらを見ていた。暗闇の中で光るその色が、世闇の月の如く存在感を放っている。じとりとしたものが頬を伝って流れていくのを感じる。この暗闇の中では、それが何の液体なのか判別することは難しい。


「マスターはサーヴァントの夢を見ることがある。そして逆も然りだ。意識の上はそのつもりがなくとも、貴様等は決定的に繋がってしまった。その証だろうよ。……さて、貴様は歓ぶか? 悲観するか?」 


 ――別に嬉しい訳でも悲しい訳でもなかった。ただひたすらに、困惑。悲鳴に似た苦悶の問いかけ。その男と同じように、ただ困惑し、どうしようもない虚しさが胸を締め付けている。


「次に目を開けた時は現実だ。夢は幻であり虚構でもあり、そして予兆でもある。赤子同然の盲目の瞳が次に映すのは一体どんな世界だろうな?」


 少しずつ、声が闇に溶けるように遠くなっていく。聞いたことはないはずなのに、何故か知っているような気がした。しかしそう認識した瞬間には、耳をこらしても聞こえるか危うい程の薄い音になっていく。


「今回はまだ扉に手をかけただけで済んだが、妙に鮮明な夢を見た時は気を付けることだ。地面が、足取りがはっきりとしていたのなら猶更だ。深追いだけは止めておけ。“例えそこに何を見ても”、決して後を追うな」


 まぁ、この忠告を覚えているかどうかまでは俺の知ったことではないが。

  その言葉は果たして幻か虚構か。最早私には思考する気力すらもなく、ただただ微睡の波に揺られる感覚に身を任せるより他なかった。