数日前からピンクや赤の装飾が目につく街を駆け抜ける。今日、世間はバレンタインデーとかで浮き立っているが、私はそれどころではなかった。街中に漂っている(ような気がする)甘い香りとピンクのオーラを振り払い、ただ一点を目指す。その途中、可愛らしいお菓子屋さんで見覚えのある三人組を見かけたような気がしたがスルーした。誰に買うのか明確だよズッコケ三人組よ、男三人で本当もう。そして彼等の帰りを待ってるあいつがいるのか……想像しただけで目頭を抑えたくなる光景だった。いや、そんな事はどうでもいいのだ。切り捨てる時はスパッと切り捨てるよ私は。
「ついに……ついにこの時が来たのだ……」
ドドドドという低い地響きのような音が聞こえるような気がしていた。眼前に広がるのは今日新発売のパックのポスター。ここは他ならぬカードショップであった。しばらく店の外でじっと中の様子を伺っていたが、どうやらまだ開店していないようである。せめて開店時間を確認すればよかったとため息を吐いた。
「あと30分か……待ってろよゴキブ」
「なまえじゃん。……今すっごい不穏な言葉が聞こえそうな気がしたけど気のせいだよな?」
「ゆ、ユーゴ!」
振り返るとそこには榊遊矢、ではなく榊遊矢に激似?と噂の融合くんがいた。「融合じゃねぇ!ユーゴだ!」……っこいつ、直接脳内に……!?
貴様、一体何故ここに……とあるあるセリフを呟いて一歩後退りする。いや本当に何故ここにいるんだ。それにいつものようなライダースーツではなく、ごく普通な服を着ている。ごく普通。強いて言うなら髪型凄く……おしゃれだね。おかげで「お洒落な服着てるから一瞬誰だか分からなかったよ現象」は全く起きなかったよ。こんな特徴的な髪型何人もいてたまるか。
「何しにきたの?」
「んーま、観光みたいなもんか?」
「……へ、へぇ、観光」
そんな簡単に来れるものなのだろうか。むしろ来れていいものなのだろうか。実はドラえもんでも隔離してるんじゃない?タイムパトロール隊にちくろう。
いつか私もお手軽に別次元に行ってみたいものである。まぁ第一希望としてはカブトボーグ次元かな。お兄ちゃんの思い出がもう残り少ない!今大嘘吐きました。
彼もデュエリストであるから、当然カードショップが気になるらしい。新発売のパックのポスターを随分と興味深そうに眺めていたので、私もつられて視線を戻す。
「なんか……この宣伝キャラクター、ユーゴに似てるね」
「あ?そうか?」
特にこの……髪の毛がツンツンしてるところとか。見れば見るほど顔も似ているような気もしてくる。
「悪いけどこの顔見過ぎてお腹いっぱいだよ。……榊といい、ユーゴといい……」
「は!? お前まだあの……トマトみたいな奴と付き合ってんのか!?」
「まだも何も付き合ってねーよ。今頃そのトマトは柚子ちゃん達とパーティしてるよ」
おそらく遊勝塾で、榊ママさんと柚子ちゃんお手製のチョコでも食べてるんじゃないかな。それでフトシくんが「しびれる~」とかいってるんじゃないかな。誤解を生むから絶対言っちゃダメだそれ。
「もしかしてお前……」
突如マナーモードのように震えだしたユーゴが指で私を指す。人を指差しちゃいけませんって習わなかったのかと、喉元まで言葉が出かけたが、彼のことだ。「じゃあグーならセーフな!」とかいう小5的発言が飛んできそうな気がしたのでそこはぐっと堪えた。
「……呼ばれなかったのかよ」
「んんん?」
「呼ばれなかったんだ……」
「その目やめて違うから。ただ純粋に新発売のカードが欲しかっただけだから。聖なるGを回収しにきただけだから」
「パーティーよりカード優先するとは、デュエリストの鑑かよ! ……泣いていいんだぜ?」
「だから違うんだって本当もう!! ……チョコ食べれないの!!」
「は?」
しまった。つい口が滑った。と、今更口を押さえてももう遅い。
「チョコ……そうか。こっちの世界じゃ今日はバレンタインなんだな」
キョロキョロと周りを見渡して、「それで心なしかカップルが多いのか」、とユーゴは続ける。どこ見てんだお前は。
確かに意識して見てみると、男女のペアが多いような気がする。もしかして、カードショップの前でこうして話す私達も、周りからそう見えているのだろうか。そんな考えにまで至った私は、そっと一歩分だけ彼から離れた。
「女なのにチョコが嫌いなんて、珍しいな」
「それは偏見でしょ……」
「なんでチョコが嫌いなんだよ? 匂い? 味か?」
「……トラウマがあって」
「は? トラウマ?」
「昔、母から家族へってもらったチョコが、実物大昆虫チョコだったんだよ!!」
「うわ」
いともたやすく行われるえげつない行為、まさにそれであった。何かカワイイ、とか言う訳がない。甲虫ならまだしも、幼虫タイプもあったのだ。ご丁寧にホワイトチョコも使用し、職人技によって細部までこだわった作りのものである。それが本物ではないと分かっていても、まだ幼かったこともあり、気持ちの悪いものはただ気持ち悪かった。それを笑顔でムッシャムッシャ食べる家族、泣き叫ぶ私。きっと、兄が喜ぶと思って買ってきたのだろう。あの年のバレンタイン以降、普通のチョコすらも食べられなくなってしまった。世界はそれをトラウマと呼ぶんだぜ。
ふと思ったけど私の心の傷って大半が家族が原因じゃない?心当たりがあり過ぎて思い出す程、心の底から怒り が沸いてきた。
「……しょ~がねぇなぁ! こうなったら俺がなまえのチョコもらってやるよ」
「何でそうなるの? 今の話ちゃんと聞いてた? しかも何妥協したみたいに言ってんだよ」
「トラウマ克服に協力してやるって言ってんだよ!」
「別に頼んでないから。そもそもチョコ持ってないし」
「じゃあそこの店とかで買おうぜ。俺今日こっち来てから何も食べてないんだよ~」
「……あーまた突如消えてくれないかなぁ、この人」
時計を確認すると、開店時間まであと僅かであった。私の後に並び出すお客さんもちらちらと現れ始め少々気持ちが焦る。カードショップの前で子供のように「お腹が減った」と地団駄を踏まれても困るので、代わりに順番待ちしてもらう事を条件に渋々数メートル先のお菓子屋さんへと向かう。
エプロンをした可愛らしい店員さんが呼び込みをしている。当日まで本当ご苦労様である。彼女にも恋人がいるかもしれないのに、こうしてお客さんに笑顔を振りまいているのだから本当……ご苦労様です、それしか言う言葉が見つからない。
時間も無いので、適当におすすめコーナーを巡る。まず驚いたのは、ヴァイオリンや工具、バイクの形をしたチョコまで存在していたことである。精巧である故に値段もそこそこであったが、ついそれらに目を奪われてしまった。このバイク型のチョコとか、仮に買って上げたら大喜びするんだろうな。……って私は何を考えているのだ。パックを買うお金が無くなってしまえば本末転倒だぞ。
そうして視線を逸らした先に、見覚えのあるデザインの箱を見つけた。
*
「遅かったなー。待ちくたびれた。店ももう開いちまったぜ」
そういって駆け寄ってくるユーゴに少し怒りを覚えたのは言うまでもない。レジに並ぶ人々が皆して大量に持っているのは、新発売のパックである。お前今まで何してた。約束が違うと憤りつつも彼に小さな箱を押しつける。
ものすっごくウキウキ!とした表情で箱に手をかけるユーゴ、を見る私の顔はきっと闇に満ち満ちていることだろう。ユーゴが勢いよく、フタを開ける。その小さな箱の中に収められていたのは、あの日見たカブトムシ。ユーゴの眉間にぐっと皺が寄るのを見逃さなかった。
「D4C作戦成功」
「……自分がやられて嫌だと思う事を他人にするなって習わなかったのかよ」
「買いに行く時点で私もライフポイント3000くらい支払ってるわ」
「てめぇ」
「ユーゴにも同じ思いを味わってもらっているんだよ。 それが! 愛し合うということなんじゃないかなぁ!! 」
「うるせーよ。……まぁ俺は形なんて気にしないけど」
その言葉通り最初は嫌そうな顔をしていた彼も、興味の方が勝ったのか、まじまじとチョコを観察し始めた。やはり男子は皆昆虫が好きなのだろうか。おっと、これもまた偏見か。
「俺以外に渡す人もどうせいないんだろ」
「自分から催促しておいてその言い草はお前ほんと」
「そうだ、角くらいなら食べれるだろ、ほら」
「!」
早く食べるなり帰るなりしてくれないかな、と思いながらレジをちらちら確認していると、
ユーゴが突然、ポキッとカブトムシチョコの角を折った。そしてそれをこちらに向けてきたので、思わずそのまま叩き落としそうになった。そうか、トラウマ克服か。落ち着け私。さっきチョコを買ってきたのだから、これくらい食べることも雑作ないはずである。彼が言う様に味や匂いが苦手なのではなく、精神的なものなのだから。
彼の手から、細く小さい2cm程のチョコを受けとりそのまま勢いよく口の中へと放り込む。そうして広がる甘い味は、随分と懐かしいもので、少しだけ後悔した。
「美味い?」
「……うん。思ったより、たいしたことなかったのかも、トラウマ」
「良かったな」
にかっと歯を見せて笑うその顔は誰にも似てはいなかった。
「……そうそう、お礼って程じゃないけど、パック買っといたからやるよ」
「え……?あ、ありがとう」
手渡されたのは念願のパック。なんだ、買ってくれてたのか。突然のデレに動揺しつつそこは素直にお礼を言う。
「一ヶ月後また会えるとは限らないし」
「一ヶ月後また会う予定もないよ」
そう言って笑うと、「可愛くねーな」と拗ねたように呟いた。
*
「やべっ、角無くなったらこれ殆ど……」
「あっ……」
そのお陰かどうかは分からないが、無事セフィラビュートをゲットすることが出来た。これでようやく私もペンデュラム召喚が……!とほくそ笑んでいたのはつかの間で、効果を見て撃沈したのは言うまでもない。
え?この人今は蠅なの?